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「自分のために書き、自分のために生きたい…」私が【沖縄】の投稿をやめて【漢詩】を読み始めた理由とは?


【はじめに】使命感だけで書いていた、これまでの私。


私は、2021年の8月23日からnoteをはじめました。
noteをはじめる以前にもWordPressを使って
ブログを書いていましたが、
仕事との両立が難しく断念しています。

2021年といえば、未だ移動制限がある時期です。
私がnoteをはじめた当初の目的は、
私の出身であり現在も居住している「沖縄」
のことを多くの人に発信することでした。


必要なことは、自分の力をつけること。


この「沖縄」を発信する中で、だんだんと
「自分の力不足」を感じるようになります。
「自分の力不足」を感じたのは、
技術的な面が大きく、私の表現力や文章力、
沖縄の歴史的資料を読み解く力、などです。

沖縄関連の投稿を楽しみにしてくださる方が 少しずつ増えていく中で、「自分の力不足」
に対する焦りが大きくなりました。
時を同じくして、
仕事によって身体を壊す頻度も増えたことで、
noteを投稿するどころではない状態が続きます。

現在は少し回復しつつありますが、
状態が悪い時期には車を運転できず、
食事もしっかり摂れませんでした。
沖縄の史跡へ行くこともできませんし、
美味しい料理を提供するお店へ行って食べることもできません。

取材に行けないので、書きたくても書けない。
そもそも、私には書く能力が、表現力が足りない。

身体を壊して仕事を辞めなければならなくなったこと。
「自分の力不足」に気づいたこと。
落ち込むこともありましたが、
今は能力を身につける時期だと考え直しました。

「自分のために書き、自分のために生きたい」


漢詩との出逢いは、中国語学習です。
漢詩は発音の練習として優れた教材ですが、
その内容は時に力強く、時に儚く、
表現力を育むためには最適でした。
さらにその内容を「わかりやすく日本語で」
表現するとなると、文章力や語彙力が鍛えられます。

私は漢詩と同時に
WEBライティングを学んだことで、
「構成」を組み立てて文章を書くようになりました。
語尾の「です・ます」が連続することを避け、
「読みやすさ」を重視しています。

ただでさえ文章力・表現力が乏しい私の文章が
読みにくかったら、読者はきっと不快です。

前置きが非常に長くなってしまいましたが、
私は「自分のために書き、自分のために生きる」
ために、「沖縄」「史跡」「レシピ」「グルメ」
の投稿はやめました。
これらの内容を期待してフォローしてくださっている方には申し訳ありません。


この記事で私を知ってくれた方が多いと思います。
これまでで最多のスキをいただいた記事です。


私は機械ではないので、
考え方や健康状態は日々変化します。
私の現在の幸せは、スキの数ではなく、
自分の能力が向上することです。

私の文章の練習である記事を、
本当に心から理解してくれる方だけ
伝われば良いと思っています。


2023.5.27時点:初めて「スキ」が1件もつかなかった投稿

漢詩は中国語が理解できる人でも、
意味を正確に読み取ることは難しいです。
それにも関わらず、
評価をしてくれる方が一定数存在します。

しかしこれから紹介する詩は、
漢詩を理解できる数少ない有識者を持ってしても
評価されませんでした。

この「スキ」が一件もつかなかった漢詩は
どのような内容なのか?
気になりますよね。


本題の「漢詩を読む理由」をお伝えする前に
言わなければならない事実があります。
「自分のために書き、自分のために生きる」ことは
メリットばかりではありません。
読者の期待をすべて裏切るのですから、
当然代償があります。

私はnoteをはじめたばかりの頃に、
先ほどシェアした記事で300近いスキを集めます。
そんな私にとって、スキが少ないことは重圧からの解放でした。
スキが少なくて喜ぶのは不思議かもしれませんが
これが本当の私の心情です。

かといって、現在も変わらず漢詩の記事を
評価してくださっている方を
疎ましく思ったりはしていません!
漢詩の記事を中途半端な興味だけで読むのは
根気が必要です。

そんな漢詩の投稿を心から理解し、
評価してくださる方には、常に感謝しております。

さて、これから紹介する漢詩は、
言ってしまえば(私が投稿した中で)
一番人気がなかった作品。

作者は春眠暁を覚えずでお馴染みの孟浩然です。




孟浩然:夏日南亭怀辛大Xià rì nán tíng huái xīn dà

夏日南亭怀辛大
孟浩然
山光忽西落,池月渐东上。
散发乘夕凉,开轩卧闲敞。
荷风送香气,竹露滴清响。
欲取鸣琴弹,恨无知音赏。
感此怀故人,中宵劳梦想。

【書き下し文】
夏日、南亭に辛大をおも

山光 たちまち西に落ち
池月ちげつようやく東に上る
髪を散じて夕涼せきりょうに乗じ
まどを開いて閑敞かんしょうに臥す
荷風かふう香気こうきを送り
竹露ちくろ清響せいきょうしたたらず
鳴琴めいきんを取りて弾ぜむと欲すると
知音ちいんの賞する無きを恨む
此れに感じて故人をおも
中宵ちゅうしょう夢想むそうろう


【日本語訳】

山の夕映え見る間に消えて
地上の月ようやくのぼり
髪を解いて夕べの涼風にふかれ
まどを開いてびやかに南亭に臥す
蓮の葉わたる風はよき香りを送り
竹を滴る露は清き響を伝う
琴とりて弾かむと思えども
知音のものの無きを恨む
さればこそ友をおもいて
夜半しきりに君を夢みる


【解説】
夏の夕べ、南亭に憩って、人恋しさに友の辛大をおもう詩。
前六句は写景、後四句は写情。
この清淡閑雅な趣は、「春暁」にもみられる孟浩然の詩の特徴です。

唐代の人は髪を結って冠をつけていました。
その髪をほどいて身軽になり、
蓮の葉の香り「荷风送香气」や竹の葉から滴り落ちる夜露「竹露滴清响」を眺めながら友人を想います。

「劳梦想」はしきりに夢の中で想い、
心をいためるという意味です。
孟浩然は隠居生活を送っており、
友人に会うことは少なかったと想像できます。
自然の美しさが、友人を想う気持ちを加速させてしまう、切ない詩です。


ひとつも「スキ」がつかなかった詩ですが、
その内容は
月がゆっくりとのぼり夜が近づく様子や
山の豊かな自然に、友人を想う気持ちを重ねた
美しい作品でした。

やはり、評価されない原因は「読み上げ音声」
つまり私の力不足にあるでしょう。
それでも私が漢詩を読み続ける理由を、
深く考えて以下に文章化してみました。




漢詩を読む理由⒈「どんな人にも刺さる」内容は、結局「誰にも刺さらない」


「沖縄」というジャンルは、
私にはターゲットが大き過ぎました。
沖縄に興味があるたくさんの人の欲求を
満たす記事が書けるでしょうか?
その能力が私にはあるでしょうか?

私は「沖縄」の「なに」を伝えたいのか。
そう考えたとき、
頭に浮かんだのは「歴史」でした。
沖縄の歴史は、中国と深い関わりがあります。

博物館にある琉球王国時代の資料には必ず
中国から送られた文書や工芸品があり、
これらを読み解くには中国の歴史を理解することが必要です。

漢詩は、当時の中国を生きた人々の心情、
戦争などの時代背景を知ることができます。
沖縄と漢詩は関係のないものと思われがちですが、
「興味」を突き詰めて、
絞りに絞ったジャンルが「漢詩」なのです。


漢詩を読む理由⒉どんなに「体調が悪くても」続けられる


「沖縄」を調べる上で、フィールドワークは必須です。
観光地化されていない城(グスク)は
足場が整っておらず、傾斜が急だったりと、
気力と体力を必要とします。
美しい写真を撮ろうと思えばなおさらです。


私は仕事により身体を壊し、
めまいが頻発するようになっていました。
車の運転中や出先で発症することを恐れて、
外出を控えるようになります。

勉強をする姿勢ではないと
怒られるかもしれませんが、
漢詩は横になった状態でも読めます。
意味を調べたり、読み上げ音声を録音することだってできます。

「漢詩」を読み上げて投稿することは、
私がその日、その時間にしっかり生きていたという証なのです。


漢詩を読む理由⒊ 「お金」をかけずに「教養」を得られる


「沖縄」の記事を書くためには、
「お金」がかかりました。
史跡や博物館への入場料は微々たるものですが、
そこで目にしたことを一つの記事にできるまで
理解する必要があります。

そのために参考書籍を購入したり、
関連する別の施設へ行ってみたり、
さらにその付近で「グルメ」を探すとなると
際限がありません。


身体を壊して仕事をやめた私は収入がありません。
病院での診察料や投薬料で支出は増える一方です。

そんなとき私が出逢ったのは、
Kindle版1,094円で、284首の「漢詩」
が紹介されている書籍。

いつも私が読み上げに使用している書籍です。


もちろん、
実際に足を運んで目で見る事実には敵いません。
ですが現在、私の身体の状態を考慮した上で、
「漢詩」は間違いなく私の世界を広げてくれました。


【おわりに】「漢詩」を本当に理解してくれる人だけが反応してくれる世界


これまで私は、漢詩の読み上げ音声の投稿を含め、50以上の記事を投稿してきました。
今は「漢詩」や「中国語」を本当に理解してくれる人だけが反応してくれる世界がとても心地良いです。

話し言葉ではなく、
しっかりと腰を据えた言葉で、
自分の意見を伝えたい。
そのために言葉や表現を「漢詩」から学び、
noteに投稿する。
終わりが無いかもしれない「漢詩」の旅。

漢詩を三百首読み上げた時の私が
どうなっているのか、
また新たな目標を見つけているのか、
現在も未来も、楽しみが尽きません。

漢詩はマイナーなジャンルなので
閲覧数も少ないですが、
私はnoteで漢詩を読んだり解説したりする生活に
とても幸せを感じています。


あなたがnoteを書いていて、
幸せだと感じる瞬間はどんな時でしょうか?


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