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小さな物語。

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掌編・短編集。
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#短編小説

【短編小説】待っている人

【短編小説】待っている人

 十歳も年下の男の子と遊んでいる、と母が聞いたら、はしたない、と言うだろうか。遊んでいるとはいえ、世の人が想像するような、淫らな関係ではない。彼の最寄り駅で待ち合わせて、一緒にハンバーガーやパスタを食べて、公園で最近読んだ本の話をして――、それで終了。はじめは金銭のやりとりがあったが、いずれ陽はそれを拒むようになった。「なんか、これ負担」わたしが差し出した一万円札を返し、ジーンズのポケットに手を入

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【短編小説】夜を越える

【短編小説】夜を越える

 その日の夜の歩道橋は、夏の雨に濡れてちらちらと光っていて、手をかけた手すりは生温かく湿って嫌な感じがした。下に流れる車を見るのも臆病風に吹かれそうで、僕は代わりに空を見上げた。しろっぽい夜のなかから、流星のような雨が僕の顔を打った。息苦しさで、僕は喉が渇いたような痛みを感じ、雨を呑み込むように口をあーっと大きく開けた。
 夜なんか越えられねぇよ。
 ひとり呟く僕の傍を、誰も通る人はいない。途中ま

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【短編小説】泣かない樹

【短編小説】泣かない樹

 いつも大樹くんは、わたしを観察している。たとえば、前髪を切ったことや、柔軟剤の香りを変えたことも、不安になると爪を噛む癖、気詰まりなときには窓の外や背景に目を逸らすことなど、すべて観察している。
「今日はマニキュア塗ってきたんだね。全部の爪を青く……」
 感想を言おうとして、大樹くんは言葉に詰まる。わたしは「気分を変えたかったから」と言って、大樹くんの手を取った。いつもわたしのほうから、手を繋い

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【短編小説】「美しくあること」

【短編小説】「美しくあること」

 彼女との待ち合わせ場所に向かう途中、後藤雪人はつい癖で、道の脇に止められた車に歩み寄った。車の窓に映る自分の顔や髪型をチェックし、マスクを外してサイドミラーに自分の顔をすべて映す。先週、不評だったパーマをとり、ストレートに戻して髪色を明るく茶色に染めたが、雪人は自分で見ても、悪くない、と思った。悪くないどころか、真奈なら感動してくれる。まだ高校生と言ってもまかりとおる、あどけない真奈の顔が、自分

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【短編小説】すれ違い

To Y
From ********
件名 最後の手紙

 もうこれで最後にしますね。ほんとうに、最後に。

 だって、何度メールしたってあなたは返してくれないんだもの。いいえ、わたしは返信が欲しいわけじゃない。ただ、あなたに訴えたいだけ。どれだけ、わたしが傷ついたかわかりますか? あなたにとっては、自転車で軽く事故を起こしたくらいにしか感じないのでしょうね。でもわたしにとっては、目を隠されて、

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【短編小説】彼の身の上話【後編】

【短編小説】彼の身の上話【後編】

「ある日、僕が彼女の家に……、勝手に押しかけたときがあったんです。とくに豪華なところでもなく、彼女の家は普通の4階建てマンションの2階でした。何度か彼女のあとをつけたことがあって……、まあこれは置いときましょう。彼女がドアを開けて、僕の顔を認めたとき、一瞬で彼女の顔が凍ったのを覚えています。あのとき、僕はすごく傷つきました。あんなに冗談を言い合って、お互いさらけだしあって、愛し合っていたのに。どう

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【短編小説】彼の身の上話【前編】

【短編小説】彼の身の上話【前編】

 霧のような小雨で街が白くけぶるなか、時計台の前に傘を差さずにたたずむ彼の姿は、さながら映画の主役みたいにさまになっていた。遠目からでもわかる、質のよいグレーのチェスターコートに黒いタートルネック、下は濃紺のパンツを合わせて黒いスニーカーを履いていた。センター分けにした長い前髪から、わたしの姿を認めたとき、彼はどう感じただろう。女として、ではなく、身の上話をする相手として。
「――すぐわかりました

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【短編小説】ダイヤの原石

【短編小説】ダイヤの原石

 クリスマスが来る前に、一度俺の部屋に遊びに来ないか? と大原くんから誘われた。去年授業で編んだ、ボコボコした黒いマフラーでその口を隠しながら、大原くんはわたしの顔をまともに見れず、反応を怖れながらおずおずと提案した。意地悪なわたしは、なんで? と聞き返す。大原くんは、それは、と言い、視線を泳がせためらいながらも、またマフラーを押し上げて口を隠し、堂々とキスがしたいから、と恥ずかしそうに自白した。

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【短編小説】憧れの人

【短編小説】憧れの人

 恋人がいないくらいどうってことはないのにな。優斗はそう思いながら、傍らで寝ている亜紀の髪の毛を指先で梳いた。嫌というよりもめんどくさい、という理由で一度も染めたことのない亜紀の髪は細く柔らかで、指と指の間を滑るように抜けていく。何度も飽きずそうしていると、亜紀が目覚めて、猫のように目を細めた。起こしてごめん。手を離すと、亜紀が甘えるように優斗の胸に顔を埋める。優くん、いい匂いがする。胸のなかで亜

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恋愛という文化

恋愛という文化

 俺、束縛とか嫌なんだよね。

 画面の向こうでゴトウは缶ビールを飲みながら言った。束縛とか嫌なんだよね。俺、まじめじゃないからさ。基本、自由にしたいのよ。アミならわかるだろ? 俺の性格――ゴトウは顔をしかめながら、黒縁の眼鏡を外し、目頭を指でぎゅっと押さえつけた。泣いているのか? と画面のほうに近寄ったが、ゴトウは目やにを取ったようだった。

 気がつくと深夜の2時。夜にいきなりゴトウから「死ん

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その手を離さないで【後編】

その手を離さないで【後編】

 雨は明け方まで続いていた。
 その間、下着姿のわたしの背中に、裕樹くんの裸の身体が寄り添っている状態で寝ていた。裕樹くんは、ときどき無意識にわたしの身体にさわるので、そのせいで何度か起こされた。でも、隣で寝ている裕樹くんの顔を見ると、まだあどけないのでいらいらすることさえできない。
 5つ年下、と聞いたときは驚いた。裕樹くんに貫禄がある、ということじゃなく、別れたときのあの子と同い年なのか、とい

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その手を離さないで【前編】

 夜が始まってくると、蝉の声が止み、代わりに雨が窓を叩きつける音で部屋が満たされる。することもなくて、本棚から読みかけの海外小説を抜き、開いて数ページだけ文字を追い、また閉じてベッドに身体を横たわらせる。雨音が頭の芯を震わすのを感じて、それからまた本を開く。そんなことを繰り返して、いつも通り夜を過ごそうと思っていた。
 一瞬、カーテンの裏で光が走り、雷がごおんと音を立てた後、部屋のインターフォンが

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頑張れ、新人くん。

頑張れ、新人くん。

 つまらない男よ、と高橋先輩は言っていた。女なら誰にでも優しくて、学歴でひとをはかるような、そんなつまらない男。でも高橋先輩はそんなつまらない男の子どもを妊娠してしまい、うちの会社を辞めてしまった。あんまりだ、と思ったが私はその言葉を口にしまいこんだ。
「鈴木先輩って陸上やっていたんですか?」
 パイプ式ファイルを抱えて野沢君は私の顔を覗きこむように見た。小学生が見知らぬ動物にさわる時のような、好

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そこにみえるもの

そこにみえるもの

 ときおり鏡に映る十五歳の俺が、大人になった俺をののしる。
「無精ひげなんか似合わないよ。かっこわる」
 休憩時間に、店内の個室トイレに入ったら、洗面台の鏡にいた十五歳の俺が、そう今の俺を侮辱した。十五歳の俺は、胸元まである髪を片手で梳きながら、俺を見てうすく笑った。無精ひげをつくったのは、ただ単に毎日シェイバーで剃るのが面倒であっただけで、決してかっこよくみせようなどという意図はない。だから俺は

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