- 運営しているクリエイター
#短編小説
【短編小説】「美しくあること」
彼女との待ち合わせ場所に向かう途中、後藤雪人はつい癖で、道の脇に止められた車に歩み寄った。車の窓に映る自分の顔や髪型をチェックし、マスクを外してサイドミラーに自分の顔をすべて映す。先週、不評だったパーマをとり、ストレートに戻して髪色を明るく茶色に染めたが、雪人は自分で見ても、悪くない、と思った。悪くないどころか、真奈なら感動してくれる。まだ高校生と言ってもまかりとおる、あどけない真奈の顔が、自分
もっとみる【短編小説】すれ違い
To Y
From ********
件名 最後の手紙
もうこれで最後にしますね。ほんとうに、最後に。
だって、何度メールしたってあなたは返してくれないんだもの。いいえ、わたしは返信が欲しいわけじゃない。ただ、あなたに訴えたいだけ。どれだけ、わたしが傷ついたかわかりますか? あなたにとっては、自転車で軽く事故を起こしたくらいにしか感じないのでしょうね。でもわたしにとっては、目を隠されて、
【短編小説】彼の身の上話【後編】
「ある日、僕が彼女の家に……、勝手に押しかけたときがあったんです。とくに豪華なところでもなく、彼女の家は普通の4階建てマンションの2階でした。何度か彼女のあとをつけたことがあって……、まあこれは置いときましょう。彼女がドアを開けて、僕の顔を認めたとき、一瞬で彼女の顔が凍ったのを覚えています。あのとき、僕はすごく傷つきました。あんなに冗談を言い合って、お互いさらけだしあって、愛し合っていたのに。どう
もっとみる【短編小説】彼の身の上話【前編】
霧のような小雨で街が白くけぶるなか、時計台の前に傘を差さずにたたずむ彼の姿は、さながら映画の主役みたいにさまになっていた。遠目からでもわかる、質のよいグレーのチェスターコートに黒いタートルネック、下は濃紺のパンツを合わせて黒いスニーカーを履いていた。センター分けにした長い前髪から、わたしの姿を認めたとき、彼はどう感じただろう。女として、ではなく、身の上話をする相手として。
「――すぐわかりました
【短編小説】ダイヤの原石
クリスマスが来る前に、一度俺の部屋に遊びに来ないか? と大原くんから誘われた。去年授業で編んだ、ボコボコした黒いマフラーでその口を隠しながら、大原くんはわたしの顔をまともに見れず、反応を怖れながらおずおずと提案した。意地悪なわたしは、なんで? と聞き返す。大原くんは、それは、と言い、視線を泳がせためらいながらも、またマフラーを押し上げて口を隠し、堂々とキスがしたいから、と恥ずかしそうに自白した。
もっとみる【短編小説】憧れの人
恋人がいないくらいどうってことはないのにな。優斗はそう思いながら、傍らで寝ている亜紀の髪の毛を指先で梳いた。嫌というよりもめんどくさい、という理由で一度も染めたことのない亜紀の髪は細く柔らかで、指と指の間を滑るように抜けていく。何度も飽きずそうしていると、亜紀が目覚めて、猫のように目を細めた。起こしてごめん。手を離すと、亜紀が甘えるように優斗の胸に顔を埋める。優くん、いい匂いがする。胸のなかで亜
もっとみるその手を離さないで【後編】
雨は明け方まで続いていた。
その間、下着姿のわたしの背中に、裕樹くんの裸の身体が寄り添っている状態で寝ていた。裕樹くんは、ときどき無意識にわたしの身体にさわるので、そのせいで何度か起こされた。でも、隣で寝ている裕樹くんの顔を見ると、まだあどけないのでいらいらすることさえできない。
5つ年下、と聞いたときは驚いた。裕樹くんに貫禄がある、ということじゃなく、別れたときのあの子と同い年なのか、とい
その手を離さないで【前編】
夜が始まってくると、蝉の声が止み、代わりに雨が窓を叩きつける音で部屋が満たされる。することもなくて、本棚から読みかけの海外小説を抜き、開いて数ページだけ文字を追い、また閉じてベッドに身体を横たわらせる。雨音が頭の芯を震わすのを感じて、それからまた本を開く。そんなことを繰り返して、いつも通り夜を過ごそうと思っていた。
一瞬、カーテンの裏で光が走り、雷がごおんと音を立てた後、部屋のインターフォンが