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短編小説「うそつき」


 お腹空いてるでしょう?
 返事を待たずに私はテーブルをお皿で埋め始めた。バターで炒めた三種のきのこに醤油と一味、旬の魚のカタクチイワシはからっと揚げて、それから季節を問わず食べたい数の子、じゃがバターに刻みにんにく、カプレーゼはミニトマトを大葉とスライスチーズで巻いてオリーブオイルを。たくさん食べてよね。
 お肉? あるよー。ちゃんと用意してるよ。肉、好きだもんね。あとでステーキ焼くから。なんて一方的にまくし立てながら、大渋滞になったテーブルに余白を作って、よく冷えた瓶ビールとコップをふたつ。最初はやっぱりビールよね。
 飲むときはいつもビールから飲み始めた。とりあえず、の前に、ビールよね、と隣同士で私たちは顔を合わせた。
 久しぶりの親友との二人飲み。
 ありったけの腕を奮うし、やっぱり、なるべくなら安く上がるように考えてるし、機会があったら「お料理上手で経済感覚もしっかりしてる、気立てのいい私の親友」なんて、条件のいい素敵な男の人に私のことを紹介してよ友達でしょう、なんて、好都合な策略とユーモアを頭の上に思い浮かべて、私は友人の訪問を歓迎していた。
 彼女はおしゃべりな私を、相変わらずだと言って笑って、それからふたりで「元気にしてた?」と、再会をよろこび合おうとグラスを掲げた。乾杯。麗しき我が友。君と出会えた人生に。
「お互いがいる幸福に」
 向かい合うと照れ臭い。隣同士に座って、今夜も私たちはお隣さん。ずっとそうだった。私たちは肩を並べて講義を受けて、二人並んで寄り道をして、夜になったらお酒だって飲んでいた。それはきっと黄金時代。私たちは誰より自分たちをよろこび合った。
 最近は以前のように会えなくなったけれど、それでも、私たちは大親友。
「乾杯」
 会いたかった。ずっと、会いたかったんだ。肩が触れるほど近くにいる親友。ひと息にビールを飲み干して、あんたも飲みなよ、ビールいっぱいあるからさ、二人で飲む甘い毒はやっぱり最高に幸せだった。
「これ、けっこうイケるよね」
 自宅で初めての唐揚げ。後片付けが大変だしさー、でも、あんたに食べて欲しいのはやっぱり揚げたてだしさ、上手く行けばいいなって思いながらの悪戦苦闘したんだよ。
 でもさ、カタクチイワシって早口言葉みたいよね、へえ、高知産なんだー、なんて、四国がどこにあるのかもかなり怪しい私たちは、いつだって、なんでもないこと、ありふれたことで、どんなときも、誰よりも笑っていられた。
 だよね? 私たちは変わらない。これから、ずっと。永遠に、親友。
「そうだよね?」
 コップのビールを飲み干して、そこにプリントされたカバのような妖精だか精霊だとか、なんだかそんなイラストを睨んで、これってムー民とか言うんだよね、このきざな鼻でか帽子はなんていうんだっけ。意地悪なこの子はミ村だっけ。そんな、本当は興味のないあれこれに笑って、グラスが空になる。もう一本持って来るよ。もっと飲めるでしょう。
 早く酔ってしまいたい。私は空になったコップにビールを注いで、注ぎすぎて、こぼれた泡が弾けて消えてゆくのに気づいて、何も残っていない口の中のなにかを飲み込もうとして、唾液がごくんと喉の奥が鳴る。慌ててテーブルをティッシュで拭う。拭くつもりが、テーブル上にビールの水たまりが広がってしまう。笑ってないでちょっと手伝ってよ。ほら、床に垂れ落ちてしまうでしよう。ねえ。
「なにか言ってよ」
 ぽつりが部屋着のふとももにこぼれ落ちる。続いて、頬をつたう、なんだか訳の分からない滴がいくつも落ちた。漏れたしゃくり声。聞いてよ。私、また、泣いちゃう。
 何度、こんな夜を繰り返しただろう。
 聞こえてないよね。
 聞こえるはずなんてない。
 聞こえてくれたらいいのに。
 ねえ!
 私は狭い部屋の低い天井に叫んでいた。賃貸マンションの、きっと安いであろう、天井の壁紙。その上にも、その上にも生きている人が食事をしたり、誰かと抱き合ったり、そして二人で眠ったり、くたくたになって帰ってきて、ごはんを食べて、いまの私たちのように友達とビールを飲んでいたりする。そこまで思い出して、それから、どうしようもなく、泣く。あふれる。さっき飲んでいたビールが流れちゃう。私一人でこんなに食べられないよ。手つかずのままのお皿が冷えてゆく。お皿に載せられたままの、君と食べたかったあれやらこれから。
 どうして私の声は君に届かなくなってしまったんだらう。
 そして。いつからだろう。
 私は一人の夜に限って、死んでしまった親友をお隣に迎えて、お酒を飲むようになった。たった一人の、私の友達。一生、一緒にいようと笑ってくれた、私のお隣さん。
 うそつき。
「どこにいたって、私たちは友達だよ」
 あの日、そう言ってくれた。目を閉じて思い出す。そのたび、私のなかに風が吹く。一緒に行った、太平洋の大きな海。車で行った長い航路。休憩のたびに笑い合った思い出を見つけて、運転席をリレーした。吸い込んだのは、あの水平線から走ってくる潮風。
 その波打ち際で拾った貝をペンダントに加工して、私たちは「一生のお守りに」と交換したんだ。あんなに元気で、笑って、手を繋いで、同じ道を二人で歩いたのに。
 うそつき。
 震えていた。自分を止めることができない。またたく間にボックスティッシュがなくなって、私はかばんのなかのポケットティッシュとか、テーブルを拭くためのウェットティッシュとか、周囲にあるあらゆるもので、目や鼻を擦る。唇の端が切れて血が出る。こんなに悲しいのに私はまだ生きている。そして疲れ果てる。言いたいことはひとつしかない。
「あいたい」
 そうこぼした声はカーペットに吸い込まれた。誰もそれを受け取ってはくれない。嗚咽がひとりきりの部屋に鳴る。
 もう会えないことは私が一番よく知っている。知ってはいるけど、その現実は、私の思いを掬ってはくれない。願いは願いとして生き続けているのに。
 うそつき。
 テーブルに頬を溶けさせて私はあぶくを吐き出した。一生、友達だって約束したじゃんか。まぶたにあの子が蘇る。懐かしい海。太平洋。私は首に下げているペンダントを握る。やっぱり、あの日のように、あの子は笑っていた。
 思い出す。思い出してしまえうくらいに、私たちの間には時間が流れてしまったんだ。
「いまだって友達だよ。あんたは私のことを思ってくれる。私もあんたのことを思ってる。会えなくても友達。当たり前でしょう?」
 聞き慣れた、あの声。思わず目を開ける。やっぱりそこには誰もいない。私のお隣にいてくれた、大好きな人はこの世にはいない。
「私はいまもあんたのそばにいる。約束したでしょう? すぐそばにいる」
 塞ぎ込んで私に、かつての親友の姿が見えた気がした。私は手を伸ばす。君に届け、と。
「行かないで」
 行くなら、私も連れてって。必死に叫んでも、君は背を向けて、徐々に私から遠ざかってしまった。
 ぐちゃぐちゃになっても、私はあの子の手を取りたい。こんなにぐちゃぐちゃなんだよ。私を連れて行ってよ。
「だめ。あんたは生きてるんだから」
 いつか、あんたにそのときが来たら、私もみんなと迎えに来るよ。ね? それまでは頑張りなって。せっかく生きているんだから。
 そして、君の幻影は消えた。目覚めて眺める相変わらずの部屋。相変わらずの現実が続く、私の部屋がいつものように、ある。泣き止めない。そうしようとも思わなかった。
 生きてくよ、君がいない世界を。そう伝えたいのに、あんたはもう、いなくなっていた。彼女は天上にて、相変わらずの私に微笑んでいるのだろうか。
  泣き腫らして、明日がまた来る。すぐそこに迫っていた。
 君のいない世界を生きている私を、いつか、うそつきと言って欲しい。


artwork and words by billy.
#ほろ酔い文学

この物語は、昨年、好評いただきました、
#ほろ酔い文学  のテーマに合わせて書いた連作短編集、「おとなりさん」

の第四話、「うそつき」

の、原型になったものです。
そもそもは3,000字ほどのショートショートだったのですが、「おとなりさん」の他の話に合わせて2000字ほどに短縮して、投稿しています。
 原型といっても、内容そのものはほとんど変わりませんけれど。
 お時間ありましたら、あわせてどうぞ。
 それでは、また。ビリーでした。

#創作大賞2023

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