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「夜叉神峠の亡霊」〜準備〜1

1988年の夏、私と村田はある計画を実行した。
あの夏に体験した不思議な出来事は32年を経った今でも鮮明に記憶している。
私と村田は16歳だった。アルバイトで多忙だった私と、毎日の部活に勤しむ村田は、週に一度だけ町道場で汗を流した。当時は少林寺拳法を学び、二人とも初段の真新しい黒帯を腰に巻いたばかりだった。15歳の秋頃、近所の体育館に少林寺道場が新しくできると知った村田は、私を誘った。その気になった私の思惑は、ただ喧嘩が強くなりたいという安易なものだったが、修練を重ねるにつれ、次第に気持ちが変わっていった。街に蔓延るヤンキーに怯えることもなくなった。奴等よりも数段格上の猛者たちと、毎週のように乱取りや組み手をやっているのだ。おかげさまで身体はみるみると硬く鋭くなっていった。
強さを実感したい時には、わざわざ喧嘩を買ったりもしたが、私の性分は元来、ファイトには不向きな性分だと悟った。理不尽な行為や弱い誰かを守る為ならば力は出せるのだが、ただ相手を痛めつけるだけというのが、どうも気が引けるのだ。だから喧嘩が始まると数発、わざと相手に殴らせた。そして、あまりに痛くなってきたらようやくファイトスイッチが入った。スロースターターは、格闘の世界では致命的な弱点となる。そんな私だから、無傷の喧嘩などしたことがなくいつもどこかしら怪我を負っていた。
梅雨が本格的になってきた頃だった。
村田が家出をする計画を私に打ち明けた。両親と上手くいっていないようだった。
計画はこうだ。学校の夏休み期間に、二人で香川県は多度津町にある日本少林寺拳法の総本山に修行に行くというものだった。これを親に伝える。親はもちろん快諾するだろう。だが、私たちはそこへは行かない。目指すのは南アルプスだ。山梨県に入り、山に向かう。当時はまだ未開拓の地があると信じられていたから、二人でそこ(ユートピア)を目指すことにした。香川県の修行旅行は4泊5日を予定していたから、その期間を過ぎても息子が帰って来なければ親は捜索願を出すだろう。だが親が捜索願を申請したところで、警察は四国を重点的に捜索する。だがその頃、私たちは南アルプスにいる。時間は十分に稼ぐことができる。その間に、安住の地を見つけ人知れず生活をしてみよう、という提案だった。まるで雲を掴むような話だったが私の胸は高鳴った。
「おしゃ、今日から計画準備に入ろう」、私たちは修学旅行を控える学生のようにはしゃいでいた。決行日は、夏休みが始まった1週間後の8月1日にした。早過ぎても遅過ぎてもいけないと思った。私は偽の計画である香川県へ渡航費用や経路を示すパンフレットなどを揃え、より信憑性が増す工作を施した。アルバイト代も使わずに貯金した。ホームセンターに行き、使いやすいノコギリや、寝袋、ランタン、などあやさザッと目を通し、購入金額を割り出した。夏休みまでに貯金が間に合うか不安だった。村田は、南アルプスの地形や山間部の未踏の地を図書館などに足を運び調べていた。6月があっという間に過ぎた。7月に入った頃、親に香川県に修行へ行くことを、私の揃えた資料を交えて話した。どちらの親もまったく疑われる様子はなかった。
そして、学校は夏休みを迎えた。着々と準備が整ってきた。貯金は二人合わせて18万ほどしか貯まらず心細かったが、16歳にしてはよく貯めた方だった。金は互いに9万ずつを持つことにし、無駄な失費を防ぐため、互いに話し合ってから買い物をすると決めた。
自宅の部屋にあった南アルプス関連の証拠は、山へ持参して跡形もなく燃やした。
本当に我が家とはおさらばという気持ちになっていった。実感は薄かったが、あまり家族に対する思い入れは希薄な方だった。
村田も同様に証拠は燃やした。私と連絡に使っていたノートや詳細な地形データが書き記してあるノートだけは持ち運ぶことになった。

そして、ついに8月1日の朝を迎えた。





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