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現代人は情報に溺れている?

突然ですが、現代の新聞1週間分の情報は、18世紀の人たちが一生で出会う情報量と同じらしい、という話を見たことがあります。
また、現代の日本人が1日に触れる情報量は、平安時代の日本人の一生分と同じで、それは、江戸時代の日本人の1年分に換算されるんだとか。
……どれくらい正確な話かはさておいて、少なくとも昔の人と現代人で、
浴びている情報量が違うのは、感覚的に理解できますよね。

現代人は情報に溺れている、みたいな言い方をすることもありますが、
現代人の浴びている情報量は、もしかしたら、多すぎるのかもしれません。
昨今ミニマリストが話題にあがりますが、身の回りのモノだけでなく、現代人は飽和した何かから、全体的に逃避したくなる感覚に陥っているのかもしれません。

一方で心理学的な認知バイアスにおいては、
人は無意識のうちに自分の考えを肯定するような情報ばかり目を留め、逆に、否定するような情報は軽視する傾向があるという確証バイアスが知られています。
浴びる情報量が多すぎると、より認知バイアスが強まり、なかなかフラットに物事を見れなくなることはあるのかもしれません。

はたまた、近年はソーシャルメディアの発達等によって、フィルターバブルの影響も耳にします。
フィルターバブルとは簡単に言うと、昨今のレコメンド機能等のアルゴリズムによって、自分がよく見る情報とは反対の/異なる/遠い情報に触れる機会が自動的に減っていくこと。
これによって更に確証バイアスが増強されやすくなっていくそうですが、なるほど、情報はいっぱい浴びているが、それに溺れて、バイアスたっぷりで、全然シナジーは生まれていない…とするならば、なかなか怖い話にも聞こえます。

ちなみに上記フィルターバブルによって、セレンディピティ的な「偶然の出会い」が減るのがイヤで、僕は未だに家ではテレビをつけっぱなしにしたり、最寄り駅に向かうルートを色々変えてみたりしています。
みなさんも、少し意識的に自分とは遠い情報に触れてみると、面白い気付きがあるかもしれません。

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