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7.身体感覚と快・不快

次のワークに進む前に、ちょっとだけ別の角度からのお話です。

私は精神科で長く働いていたので、私のトリセツ帖もどちらかというと
メンタルヘルス寄りの内容になっています。
そもそもベースになっている手法はWRAPといって、精神疾患のある当事者が開発されたものなのです。
多くの患者さんたちとWRAPを使って
気分の変調や回復手段などについて一緒に学んできました。

その経験から私がいま注目しているのが身体感覚です。

ひとによって身体感覚は違う

当たり前じゃん!って思われるかもしれませんが
感覚はひとによって違います。
でも、私たちはとりあえずそのことを不問にして共同生活をしています。

分かりやすい例で言うと、エアコンの設定温度。
28℃の冷房を快適と感じる人もいるけれど
暑いと感じる人もいれば、逆に寒いと感じる人もいます。
この場合、大多数が「こんなもんだろう」と思う設定になっていたり
声の大きい人(主張の強い人)の意見に周囲が従っている場合もあります。

暑いと感じている人も、寒いと感じている人も
その環境は身体的なストレスになっており
二次的に心理的なストレスになっている場合もあります
(寒いって言いたいけど言えないっ!みたいな感じで)。

身体感覚のストレスはじわりと響く

このストレスを「ああ!ストレスだわ!」って自覚すると
社会生活がなかなかうまくいかなかったり、つらくなったりするので
私たちはけっこうな確率で「なかったこと」にして生活しています。
それは一種の“合理的な対処”なのです。

ただセンサーを鈍らせるのは意識(自覚)のほうだけで
身体は寒さをキャッチして、なんとか身体を温めようと奮闘します。
この奮闘する時に何らかのエネルギーを消費するわけです。
すると我知らず疲れるという現象が生じます。

ひとの持っているエネルギーは有限なので
何かに消費されると、どこかにしわ寄せが来ます。
季節の変わり目などに不調を感じるのはそのためです。

けれど、社会生活を営む上では
「季節の変わり目なんで有休を取ります」なんてことは難しい
のが現状です。

この身体感覚のストレスは、日々の生活を送る上で
私たちの持っているパフォーマンを維持し、発揮することに
じんわり影響を与えます。
まるで、ボクシングのジャブのように。

自分の身体感覚の特徴を知る

例に挙げたように
私たちは日々「我知らず疲れる」ということを繰り返しています。
それなりにどこかで休養を取ったり、発散したりして
相殺しながら、小波の範囲で収めています。

それでも蓄積していく疲労があります。

私は花粉症だったのですが
花粉はある一定の時期に、かなりの量が飛散します。
そうなると相殺が間に合わなくなってきて、ダウンしてしまう
そんなことを毎春、経験していました。

さて、話をもとに戻します。
そんなわけで、私はこの身体感覚によるストレスは
案外、軽視できないのではないかと考えるようになりました。

自分はどんな身体感覚の持ち主なのか

これを知ることは“私のトリセツ帖”にとっても
ベーシックな部分で大切なことかもしれないと感じています。

これはストレス(不快)に限った話ではなく
快刺激にもいえることだと思います。

自分の話ばかりで恐縮ですが
私は毛布の感触やタオルの感触が好きです。

好きというか、好きな感触の毛布やタオルがあると書くほうが
正確かもしれません。

その“気持ちのいい毛布(タオルケット)”を頬にあてて眠る
というのが、私にとっては快です。
しあわせを感じます。

自分にとっての快の感覚。
これは不快の感覚と直接的に真反対のもの(暑い⇔寒い)でなくても
自分の“癒し”につながって
ベーシックな部分で不快を相殺してくれます。

なので
さまざまな身体感覚のうち
どういうものが自分には不快要素になりやすく
どういうものが快要素なのか
という自分の身体感覚の特徴を整理するワーク

を次のSTEPでやってみたいなと考えています。

これについてはWRAPにはないオリジナルな内容になる予定です。



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