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無償の愛と、無償のAI|勝手にリレーエッセイ2023春 #2


皆様、お疲れ様です。BenBenです。
今日も「時間」の話をします。


■ はじめに


初めましての人は、初めまして。
私は30代のメーカー社畜、兼、AIを学ぶ大学院生です。
それよりも何よりも、「時間オタク」です。


本記事は、イトーダーキさんが主催する企画「勝手にリレーエッセイ2023春」に寄せた記事です。人間がリレー形式でエッセイを寄稿するのですが、同時に「AIの文豪チーム」も並行して走らせているという、斬新で面白い企画です。


私は第2走者で、以下三毛田さんのエッセイからバトンを預かりました。




テーマは「有意義で無意味」。正直、めちゃくちゃむずい
でも最後まで書き切り、最後は私が人生の発信テーマにしている「時間」に繋げてみせます。




■有意義で無意味 (序章)


この難解なテーマに臨むにあたり、まずは「意味の意味」を調べるということから始まりました。ゲジュタルト崩壊しそうになりました。

4つの情報源(Wiki、goo、Weblio、コトバンク)を調べた結果、私が解釈した「意味」とは、一言で言うと

ある言葉、行動、物
が持つ
概念、必要性、もしくはその理由
のこと。

あえて段落分けしました。ダイイングメッセージみたいになりました。


同様に、「意義」とは、

ある言葉、行動、物
における
価値や重要性


??????????????????



主催者さん、ごめんなさい。私はとても混乱しました。
なぜなら、私はこの定義を見て、「意義のあるものには必ず意味がある」、必要条件の関係にあると、初見ではそう解釈したから。

「意味はないけど意義があることなんて、無くない?」と。
「価値はあるのに、理由が無いなんて、矛盾してない?」と。

意義と意味のベン図:当初の解釈


「有意義で無意味」なことって何なん??
「意味はないけど、意義があること」って何なん??
そんなものがあるとしたら、以下図の下部の「僅かな青ゾーン」がそれに当たります。

意義と意味のベン図:「有意義で無意味」ゾーンの発掘


無理やりズラして創ったこの青の「有意義で無意味」ゾーンに、もしかすると、とんでもない発見があるのでは?

私は、「私の中の青ゾーン、有意義で無意味」を探す旅に出ました。 (2023/3/28 記)



■辿り着いたのは、「真実の愛」 (本編)



超どクサい
見出しで始まりましたが、これが私の結論。
誰かに注ぐ真実の愛が、唯一の「有意義で無意味」。


ところで、私は無意味なことが、大嫌いです。
全てのことに「意味」及び「目的」があると信じています。

アドラーも原因論を否定し、目的論を唱えています。人間の行動の全ては「目的」に基づく、としています。私はこれに大賛成です。


例えば、若手社員が会社で使うプリンタ用紙の発注数を間違えて、上司が怒鳴り散らしている場面を想像して下さい。

キレる上司と怯える若手社員

これは、上司は「部下がミスをしたから」怒っているのでしょうか?
いえ、私はそうは思いません。

なぜならば、同じ「若手がミスをした」と言う原因に対して、「怒鳴り散らすのか」「優しく寄り添い改善策を一緒に見つけ出すのか」は、人それぞれ対応が違うからです。繰り返しですが、原因は同じです。


上司は自分の「目的」に従って怒鳴っているのです。

例えば、自分の威厳を示すため、溜まったストレスをぶちまけるため、目的は色々あります。とにかく、全ては目的なんです。



そんなスーパー目的志向の私が、「無意味 or 有意義」で脳内の検索をかけると、

・何となく観るYoutubeの時間は、ただただ無駄やな…(無意味かつ無意義)
・こうやってnoteを書いている時間に「意義」があるのかは分からんけど、少なくとも「意味(理由・目的)」はあるしな… (意味はあるけど意義は無い)
・会社でやっている仕事は「お金をもらうため」と言う意味があるし、誰かの喜びに繋がるから一応意義はあるだろうしな…(意味も意義もある)



とまあ「有意義で無意味」を探すのに本当に本当に時間がかかりました。


そんな中で唯一見つかった「有意義で無意味」が、親子の愛でした。


ただただ子を愛し、慈しむことを起源に起こす行動は、目的のない、かつ、この上なく意義のある事象だったのでした。



「こいつを売りに出してお金儲けしよう」とか、
「将来的にはこいつに介護してもらおう」とか、

そんな打算的な考えは一切よぎらず、親から子に注ぐ誠実な気持ち。
まともな親なら、何の理由もなく、自分を犠牲してでも一心に捧げ続ける愛。

学生時代はチャラチャラ遊び歩いていた友人。子を持つことになり言っていた「生まれてから、子の姿を自分の目で見てから、本当に父性スイッチが入る。じんわりじんわり、拭っても拭っても絶対に取れない温かい感情が染みつく」という言葉。

父母が子に注ぐ無償の愛は、何の目的も意味も持たない、ただただ有意義な事柄なのだと、改めて認識しました。


社会に出るとどうしても「打算的」にならざるを得ません。会社は利益を生み出すのが存在意義だから。
一方、そんな「打算」の裏側が、「有意義で無意義」だったんだと、勝手ながら考える日々だったのでした。



私がこのエッセイを書くにあたり、気持ちの悪いベン図を用意したり、国語辞典を読み漁ったりして費やした2時間43分

果たして私にとって有意味だったのでしょうか、有意義だったのでしょうか。それとも、「有意義で無意味」だったのでしょうか。そして、これを読んでいる読者の皆さんにとっては?


読者の皆さんに委ねます。


最近流行りの「無償のAI」で機械とのチャットに勤しむのも良いですが、
親が子に注ぐ太古からの「無償のアイ」のことも考え、
久しぶりに親に顔を見せてはいかがでしょうか。


あなたが親と交わせる言葉の数や時間は、もう限られた量しかないのです。
それはこの上なく有意義で無意味な時間なはずだから。



お後がよろしいようで!


(本編:1,295文字 引用・図名を除く)




■あとがき

これだけは信じて下さい、「良い事」が言いたかった訳じゃないんです。
ベン図まで作って、捻り出せた答えが、このとてつもなくクサい結論だけだったのです。笑

そして、「AI」と「愛(アイ)」ってなんかかかってるやん。という短絡的な発想を経て、最後は私の人生のテーマである「時間」に繋げさせて頂きました。我ながら綺麗にまとまったような気がします。


私のnoteでは、今後も「時間」について書いていくつもりです。
今後も、ぜひ、読んでみてほしいです。意見交換しましょう。


▼私のお次の走者は潮永 三七萌さんです、お楽しみに!


BenBen

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