水澄まし

うらにほん、の平らなところ

水澄まし

うらにほん、の平らなところ

最近の記事

線を引っ掻くことと歴史

前回の記事よりだいぶ間が開いた。 文章を書いていなかったわけではないが、宛先のあるものばかりだったのでもっと自由に連想しながらnoteを残したい。 いまノートPCのキーボードを打ち込んで書いているが、自宅にいると大抵このnoteを書こうとする前に、他の誘惑に負けてしまう。個人的にはキーボードの打鍵感から来る気持ちよさは五感を刺激する素材の解像度に欠け、受動性の快楽に劣る。手っ取り早くメモを残すのに紙のノートと鉛筆を多用するが、これが気持ちいい。 ノートには罫線が何もないも

    • カタクチイワシの身投げ

      ほんの2週間前と打って変わり、とても蒸す。 湿度が上がると、気温がそれほど高くなくても汗をかきやすいし、暑い。車に長時間乗ったり便座に座った時、じんわり汗が滲むのが不快だ。 夕立というか、夜が老けてから降ってくる雨は気持ちがいい。そういう晩はよく眠れる。 旅先で眠れるのと似たように、ほどよく部屋の外へと気が向くような。 雨が水面を叩くと魚の活性もあがる。海水温もここ数日どんどん高くなり、浅瀬に押し寄せる小魚を追ってボラかサバかわからないが、テレビで見る髭鯨の食事のような

      • 死んだものを送る

        ついに梅雨入りだ。 6月に入ってもそれほど気温があがらない日が続いて、空気も乾いていた。日中は止めた車のドアノブで静電気を食らうこともあったくらいだが、朝方の曇天がやや多い気がする。 生きものを飼っていて外に出ることが多いので、虫が増えて来たなと感じるようになった。雨上がりで日差しが強くなる瞬間に虫たちは動き出す。日差しがなくても、気温があがる、蒸してくるときにどこからともなく湧いてくる。 蛍の羽化が典型だが、虫たちにとって湿度はとても重要だ。ダンゴムシをプラケに入れていると

        • 北西海岸インディアンの「ハマツァ」と折口信夫の花祭、そしてふゆめ。

          暦の上では立春もすぎ雨水も目前である。二月に入ってしばらく凪のような日々が続いていたが、落雷のあと雨風にやられ、その後霰や雪に突入、裏日本名物の荒天となった。 低気圧で鈍った頭でぼんやりしていると、すこし前のnoteで塞の神に触れつつ、「たまふゆ」についてちょっとだけ書いたことを思い出す。そうだ、これは折口信夫のタマ論から生まれた発想なのであった。 「カイエ・ソバージュ」中沢新一(講談社)によると、折口信夫は冬場、奥三河(または遠州、南信州かもしれないが)へ花祭をよく観に行っ

        線を引っ掻くことと歴史

          朝鮮のホランイ(虎)と戦争🐅

          朝鮮では虎のことを「ホランイ(호랑이)」という。ちょんぴょんしるさんという方の書いた「民話で知る韓国」(NHK生活人新書)によれば、昔話のなかで韓国人がもっとも親しみを覚えるのがこのホランイだという。「ホランイが煙管を吸っていた頃」といった語りだしではじまる民話はとても多く、聞き分けのない子供に「ホランイが来るよ」と言ったり、怖い先生に対して「ホランイソンセム二ン(虎先生)」と言ったりするそうだ。 日本ではきっと鬼とかおばけ、なまはげみたいな畏怖の対象が、実在する生き物でも

          有料
          500

          朝鮮のホランイ(虎)と戦争🐅

          向こう岸の虎🐅

          浜を歩いているとよく、海の向こうから渡ってきた漂流物を拾う。漢字だけで書かれたスポーツ飲料のペットボトル、ハングルで説明書きのある洗剤の容器や瓶詰め、そしてキリル文字で書かれたウォッカ瓶や缶。この海の向こうに北朝鮮を含めて四カ国もの外国が広がっているのだとその度に思い出す。写真の缶は、おそらくはウラジオストクやナホトカ、沿海州の街から流れ着いてきたのだろう。 年が明けてどんよりとした雪の日々が断続しているが、時折雲の切れ間から顔を出すお天道様に唆されて波を見にいけば、日本海の

          有料
          500

          向こう岸の虎🐅

          イヨボヤとは「魚のなかの魚」の意

          鮭の遡上を見に北越へ。 この辺りでは鮭を「イヨボヤ」という。イヨは魚(ウオ)の古い発音で、ホヤもまた広く魚介をあらわす。ホヤの語源については今ひとつ分からないのだが、寄生木(やどりぎ)の古名だった「ホヤ」が寄生する原索動物としてのホヤを指すようになったといわれている。して、なぜ魚介全般に? またアブラハヤやタカハヤなどの「ハヤ」と語源は異なるのだろうか。 私の勝手な解釈では、ボヤは「坊や」みたいな呼び名で「イヨボヤ」で「さかなっこ」みたいな愛称なのかな、と思っていたのだけど

          イヨボヤとは「魚のなかの魚」の意

          白鳥の飯集い

          すでに先月の夏みたいな暑さの日から、コーンコーンと鳴く空をよく眺めてみると白鳥をはじめとする冬鳥がシベリアやカムチャツカから渡って来ていた。 鳥は日照時間を図る体内時計で季節を感じとっているらしい。日の出とともに動き出し、日が暮れると寝床へ帰る1日の生活環から渡りの機会を伺っているのだろう。 毎年同じ頃遡上するはずの鮭は、今年はどうも遅れているそう。三面川は種川にほとんど遡上が見られない。海中では日照より水温の方が影響するんだろうか。 先週の間日には期日前投票を済ませていた

          白鳥の飯集い

          少しずつ冬支度

          先々週辺りから急に気温が下がり、朝布団から這い出るのが辛い冬の入り口が見えてきた。エアコンのない部屋の暖房のため、ファンヒーターとハロゲンヒーターの試運転を開始。久しぶりに嗅いだ灯油の匂いが記憶を刺激する。 高校の頃通った駅の待合や、商店の土間に置いてあったダルマストーブ。雪を溶かして水滴が丸こい玉になって直に蒸発するまで、弾けるように動く様をよくながめた。錆びた重たい鉄板の上で踊る水玉の軽やかさ。ブルブルしている運動体が消え、湯気が立ち上る。 仰々しい装備の頼れる暖房は準

          少しずつ冬支度

          実りと収穫、または収奪

          週末、快晴でかなり暑かった。秋晴れというには気温の上がり方と陽射しがきつい。帽子を被っていても日に焼けたのか、首筋から扁桃腺にかけて痺れるような感じがあった。この季節に冷たいシャワーが気持ちいい。 朝晩は涼しいんだけど、とみな枕のように口にする。 金魚といえば夏の風物詩だが、じつは冬越しのために池上げするこれからの季節が本番だ。飼い込まれた魚が市場に出回りはじめる。親しんでいる者には常識だが、一般にはあまり知られていない。米や無花果、葡萄、梨らと同じく、錦鯉と金魚は実りの秋

          実りと収穫、または収奪

          野生と家畜、飼い慣らされる兆しについて

          思い立って山際の道を延々車を走らせる。道端には稲穂よりも蕎麦の白い可憐な花が点々咲いている。 牧草地に放し飼いにされている牛が草陰に埋もれながら、ブヨや蝿を尻尾ではたきつつ日向ぼっこしていた。距離を詰めていくと、こちらに注意を向けるもの、視線を合わせず耳だけで様子を伺ってくるもの、無関心に背を向けるもの、さまざまだ。息を潜めるようにすると、むしろ緊張感を帯びてしまう。適当さを装うには、こちらから寄せてもらうよう声を掛けるような気持ちの方がいい。 距離の詰め方は人より動物に

          野生と家畜、飼い慣らされる兆しについて

          鹿と鹿踊り🦌

           身近に見かけることのある大型哺乳類の代表格といえば、鹿だろう。自分からそう遠くない背丈と、一目で「あ」となる存在感。しかし当地では、カモシカや猿、下手をすると熊の方が傍にいる存在、という気もする。豪雪地帯の山間部と穀倉地帯の平野部を中心としたエリアのため、西日本のようにイノシシは多くないし、鹿も特定の場所にしかいない。いつも見かけるのは、公園のなかで餌付けされた鹿だ。  以前群馬県は赤城山へ訪れた際、山道を悠然と歩く牡鹿に遭遇した。傾斜のきつい見通しの効かないカーブで急に

          鹿と鹿踊り🦌

          マムシへの備えとかわいい青大将、あと縄文

          湿った用水路でマムシを見かけた。 壁の高さで這い上がれないのか、小さくうずくまったまま身じろぎしない。最初、小柄なシマヘビかと思ったので網ですくったが、近づけば模様に特徴のある列記とした日本の毒ヘビ代表格。マムシの毒は出血毒といわれ、放っておけば血管をめぐってタンパク質が壊れ、臓器をやられてしまう。血清があるのですぐに病院に駆け込めば亡くなることは少ないらしいが、噛まれてしばらくたってからの激痛と後遺症に苦しむことが多いという。 (下のツイートは、マムシの潜んでる様子がよ

          マムシへの備えとかわいい青大将、あと縄文

          縄文人は、今よりも暑い夏をどう過ごしていたんだろう

          梅雨明けしてから連日の快晴でとても暑い。 フェーン現象のため日本海側は気温の上がり方も例年に比してなお暑い日が続き、庭木の葉が日焼けで枯れてしまいそうなほどだ。 昨夜の台風のおかげでようやく涼しさを取り戻した。 少し遡るが、はじめて上川にある郷土資料館を訪れた。ヘッダーの岩偶と、下記の土偶たち目当てだったのだが、土器や複式炉の再現模型も素晴らしく、質問への答えをポップ に現した展示の見せ方もよく、とても充実していた。 さて、夏の中山間地域に行くとアブやハチ、ブヨ、湿

          縄文人は、今よりも暑い夏をどう過ごしていたんだろう

          石つぶてを割って作った槌(つち)

           河原でちょうどいい大きさの石つぶてを握ると、どうしても石を割ってみたくなる。手になじむ感覚と、その強度、帰ってくる振動を肩に感じたくてぎゅっと握り、勢いよく振り下ろす。幼少の時分、叩きつけた石の破片が飛び散り、よくつるんでいた友達に鼻血を負わせてしまったこともあった。欠けた破片は鋭利で、勢いがつけば肉を切り裂いてしまうとその時に学んだ。  人が残した最も古い痕跡のうち、そのバリエーションや量で突出しているのは石器だ。石器とは主として石で出来た刃物や斧(おの)、槌(つち)の

          石つぶてを割って作った槌(つち)

          欠けらと澱み、あるいは斑らな時間

           断片が断片のまま繋がらない。思い出した欠けらが新たな欠けらを呼ぶものの、それをまとめる時間軸が見つからず、視座が低空飛行のまんま。広い風景を見渡すことができない。そういう焦点距離のあまりに近接した状態だと、自分のいるところもよく分からなくなる。というか、どこかにぶつかることでしか身幅が分からなくなり、衝突も増えてくる。衝突した時、跳ね返ってくる振動は私へ届く。ときどき、衝突によっても断片がうまれるが。  最近よく縄文時代の遺跡と考古/博物館をたずね、土器を見る。たくさんの

          欠けらと澱み、あるいは斑らな時間