北西海岸インディアンの「ハマツァ」と折口信夫の花祭、そしてふゆめ。
暦の上では立春もすぎ雨水も目前である。二月に入ってしばらく凪のような日々が続いていたが、落雷のあと雨風にやられ、その後霰や雪に突入、裏日本名物の荒天となった。
低気圧で鈍った頭でぼんやりしていると、すこし前のnoteで塞の神に触れつつ、「たまふゆ」についてちょっとだけ書いたことを思い出す。そうだ、これは折口信夫のタマ論から生まれた発想なのであった。
「カイエ・ソバージュ」中沢新一(講談社)によると、折口信夫は冬場、奥三河(または遠州、南信州かもしれないが)へ花祭をよく観に行っていたのだという。花祭とはこういうものだ。
土間というか三和土のようなところで、湯を張った釜をぐつぐつと煮立たせ、その周りをさまざまな意匠の踊り手が舞を踊る。素面で踊る地固めから始まって、おつるひゃらやら榊鬼やら様々な面を被った神があらわれ、最後には釜のお湯をまるでサウナのヴィヒタで叩くようにぶっかけ合う。力が漲ってくるような大団円が見ているだけで伝わってくる。折口はこういった祭りからタマ論の着想を得たそうだ。
冬をタマ(霊力)が増えていく「たまふゆ」だと折口が考えたのには、もうひとつ文脈がある。アメリカの人類学者フランツ・ボアズや、「贈与論」で知られるフランスの社会学者マルセル・モースらの本で知ったという、アメリカ先住民社会における儀礼や祭りだった。当時アメリカでは風前の灯火となっていた習慣や風俗が、皮肉なことに欧米圏のインテリの関心を集めていた。折口はこれをフランス語に明るい田辺寿利などの手を借りて読んでいたらしい。
では彼の地では、どんな感じなのだろう。北西海岸ネイティブ・アメリカンのクワキウトル族は、冬に「ハマツァ」と呼ばれる祭りをする。
ハマツァとは「人喰い」という意味で、神や獣に成り代わった者が、「ハップハップ」と叫びながら暴れ回るのだ。家族を単位として狩猟採集に明け暮れた夏が終わると、クワキウトル族の世界ではアザラシやワタリガラスなど、動物の名前が冠された結社が組まれる。厳しい通過儀礼を済ませてその一員となった彼らが、冬のあいだ行うのがこの結社もとづく祭礼だ。
狩りの季節にあっては人間に食べられる動物たちが、冬を迎えると人を喰いに来る存在となる。彼らはその化身として人喰いの獣神へ成り代わるのだった。ヘッダーの写真は、獣神の口に見立てた壁の穴から身を乗り出し、「ハップハップ」と血に飢えた渦中の一幕だ。人間が獣を食うのと同じように、獣もまた人間を食おうと思っているはずだ。そういう吊り合いを保たなくては、という衝動がある種のトランスを伴って現れている。
カンニバルの祭りであることがやたらと強調されるハマツァだが、そのロジックは案外身近なところにもある。獅子舞の神楽に頭を齧ってもらうと無病息災だ、とかいうのも同じようなことだろう。よくよく紐解けば、その背後には狩猟者としての「やましさ」とか「うしろめたさ」みたいな感情が居着いてしまう前に、きちんと向こうからの眼差しで筋を通そうとしているように見える。獣と人、そして神の間を三つ巴のじゃんけんに馴らすような、そういう対称を指向しているのではなかろうか。
対称性社会において冬は、一度停滞したタマが転調したり、爆発的に増えたりするやばい季節ともいえる。
中沢新一によれば、結社のシャーマニスティックな力が強くなり、平時の首長の凡庸な権威を覆い尽くしてしまう危険もある。
(この平時の権威とシャーマニスティックな権威は本来厳しく峻別されるのが掟なのだが、これが破られる時はじめて国や王が誕生する、と中沢は論じている)
そこで、適度な手順に沿った流れを与え、儀礼のなかで起承転結を終わらせる。そうすることで、増えていく力が暴発しないよう秩序を与えるわけだ。
だから、花祭にも最後には「神送り」、「鎮め」があるのだろう。
ところでもう少しすると山菜の季節を迎えるが、タラの芽やコゴミなど、その多くは植物の芽だ。冬のあいだにタマを蓄えた芽を摘んでいただく。これが命の弾けだす春の恵みとなる。
でも動きだす前の姿は「冬芽」といって、写真の本のような、顔を持っている連中だ。ひょうきんな顔をしているけど、その実植物にとってもっとも大事な蓄えの時期。よく見るとクワキトウル族のトーテムポールみたいな奴らもいるじゃないか。こいつらが人を喰いにやって来ると思うと、山菜摘みもなかなかのやばさを孕んでくる。
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