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石つぶてを割って作った槌(つち)


 河原でちょうどいい大きさの石つぶてを握ると、どうしても石を割ってみたくなる。手になじむ感覚と、その強度、帰ってくる振動を肩に感じたくてぎゅっと握り、勢いよく振り下ろす。幼少の時分、叩きつけた石の破片が飛び散り、よくつるんでいた友達に鼻血を負わせてしまったこともあった。欠けた破片は鋭利で、勢いがつけば肉を切り裂いてしまうとその時に学んだ。

 人が残した最も古い痕跡のうち、そのバリエーションや量で突出しているのは石器だ。石器とは主として石で出来た刃物や斧(おの)、槌(つち)のことで、土器と違って器ではない。叩いたり、ぶっ刺したり、切り裂いたりして使うものだ。

 旧石器時代(ここでは主としておよそ3万8000年前から2万年寄りの1万数千年前頃の後期旧石器時代のこと指す。旧石器時代は数百万年に及ぶとても長いタイムスパンで、日本では中期以前の遺跡は60数箇所ほど。これに対し、後期旧石器の遺跡は一万を数える)の人類はさまざまな道具を作っていたはずだが、その多くは残っていない。分解されてしまうからだ。日本の土壌は酸性で、有機物の多くは分解されて土になる。すると石器ばかり残るのだった。また、この頃の住居は動物の皮や骨、樹木を使ったテントのようなものだったこともあり、その後の遺跡とは出土する品の規模が異なる。竪穴式住居が現れ、掘立物柱跡や、大量の土器が出土する縄文時代以降と比べると指標物に乏しい。ただ、どんなものが使われていたか同時代の他の地域との比較や、定住生活へ移行せず遊動的な暮らしを維持した狩猟採集民の道具から往時がどのようであったか想像することはできる。

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(写真上>「旧石器時代ガイドブック」堤隆より。
下>エスキモーの住まい「極北の大地に住む」関野吉晴より)

 多くの遺物が分解されて石と穴だけが残る。穴は大型獣を追い詰める落とし穴だと考えられており、往時の遊動的狩猟生活の様子が偲ばれる。穴と石が残す痕から何を見出せるか。先史考古学の扱う時代に、書かれたものはない。人の残した数少ない痕跡からsignを見出し、絵を描く。そしてその解像度をひたすら上げていく。

 ところで、+M(@freakscafe)さんのTwitterから上野学さんというデザイナーを知り、エクリのインタビューを読んだ。

 オブジェクト指向デザインとは、工場生産の要件や発注者の発想から生まれる「タスク指向」の対義的概念で、いわば勝手にものを手にとって何かしたい、そういう人の欲動に根ざしたものづくりのこと。人は、手でこじ開けることのできない二枚貝を見つけたら手近な礫をとって貝を割ろうとする。以下上野氏発言より。

 浜辺に貝が落ちていて、それを食べるためには割らないといけないですけど、手では割れないから石を使って割ったとします。そこにあった貝と石と食べるって行為はまったく別なものだけど、ある瞬間にひとつになるわけですよね。われわれが生きていくなかで、そういった瞬間は何度も発生してくる。つまり、道具の「道具性」は、意味があとからラベリングされる性質を持っていると思うんです。まずは何でもないオブジェクトそのものがあって、われわれはそこに意味を与えていくという能力がある。そう促すのが道具の「存在性」だと思います。だからこそオブジェクト指向なんだと。

 周囲の対象(オブジェクト)から使えそうなものを手にとって何かできるか試そうとする。貝が割れたらその瞬間、手にとった石が道具となっていた。そういう人と道具の間にある関わり方、混じり方が最初にあること。そう誘惑する道具の存在性が、何万年前と遡る石器の痕跡とその変遷から伝わってくる。

 より適した形や大きさを、と次第に洗練させていくのが石器の歴史といえるが、他方で特定の機能に特化させてくことはタスク指向への入り口ともなるのだった。


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