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死んだものを送る

ついに梅雨入りだ。
6月に入ってもそれほど気温があがらない日が続いて、空気も乾いていた。日中は止めた車のドアノブで静電気を食らうこともあったくらいだが、朝方の曇天がやや多い気がする。
生きものを飼っていて外に出ることが多いので、虫が増えて来たなと感じるようになった。雨上がりで日差しが強くなる瞬間に虫たちは動き出す。日差しがなくても、気温があがる、蒸してくるときにどこからともなく湧いてくる。
蛍の羽化が典型だが、虫たちにとって湿度はとても重要だ。ダンゴムシをプラケに入れていると、どれほど土を用意しても屋内では乾燥でころっと死んでしまうことがある。腐葉土には霧吹きが欠かせない。

庭。名前の知らぬ見た顔の野良猫。気配にきづくと逃げ出すが、何をやっていたのか。カナヘビの尾っぽだけが生きのいい、事切れる前の神経が反射している。
残骸を埋めてやる。死んだ小さいものを埋める。


最近、考古学の先生達の話を聞く機会が多い。実際に遺跡を発掘している人たちの見て来た過去の暮らしはとても具体的で面白い。

数千年前、縄文時代には集落同士の諍いは少なかったとよく言われるが、人の暮らしは容易ではなかった。乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもがとても多く、平均すると寿命はいまの働き盛りだ。
西日本では人に殺された痕跡の確かな人骨も見つかっているし、おそらく山合いでは乳飲み子の口減らしも行われていただろう。
竪穴住居の出入り口すぐのところに、小さいうちに亡くなった子どもたちの骨が甕に納まってよく出てくる。玄関や、環状集落の広場など再生を願って意識されやすい場所に埋葬されたのだというが、これは亡くなった子ども達の一部でしかなかったりする。子ども達を含め、甕に埋葬されていない者達の方が多い。

話を聞いて思い出したのは南米アマゾンの先住民ヤノマミだ。ヤノマミの習慣では、へその緒がついたままの赤子は精霊で、子供として育てるか、精霊として返すかを産んだ母親が決める。精霊として返すときは、バナナの葉でくるんだ上で、蟻塚へ放る。白アリに食べ尽くされるころ、蟻塚が焼き払われ、確かに帰ったと神へ伝える儀礼が行われる。

列島では弥生時代へと移り変わる頃、「再葬墓さいそうぼ」と呼ばれるお墓が流行った。
これは一度埋めた遺体が骨になった頃を見計らってもう一度掘り、ときに火葬したりした上で骨壷となる土器に納めて埋め直すという葬式のことだ。おそらく最初に別々に埋葬した亡骸を、先祖や親族をまとめて一緒に埋葬し直しているのだという。

現代では遺体が腐ったり、朽ちて白骨になった様を目の当たりにするのは稀だろう。
亡骸は親族以外によって速やかに管理され、お寺や業者によって法事が行われすぐさま火葬場へと促される。

生きものとしてのわれわれが、朽ちても確かに大事に扱われ葬られることを通じて、残されたもの同士の結びつきをもう一度確かめる。

もしかすると弥生時代へ移る頃、死者が我々とは別のもの(精霊)となる世界との結びつきよりも、遺族を含めた生前の故人の関係性が大事にされる葬式へと変わったのかもしれない。
およそ2,000年よりちょっと前くらいの出来事だ。



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