見出し画像

縄文人は、今よりも暑い夏をどう過ごしていたんだろう

温暖な縄文中期まで

縄文人の生業暦

梅雨明けしてから連日の快晴でとても暑い。
フェーン現象のため日本海側は気温の上がり方も例年に比してなお暑い日が続き、庭木の葉が日焼けで枯れてしまいそうなほどだ。
昨夜の台風のおかげでようやく涼しさを取り戻した。

少し遡るが、はじめて上川にある郷土資料館を訪れた。ヘッダーの岩偶と、下記の土偶たち目当てだったのだが、土器や複式炉の再現模型も素晴らしく、質問への答えをポップ

に現した展示の見せ方もよく、とても充実していた。

さて、夏の中山間地域に行くとアブやハチ、ブヨ、湿った山道ではヒルと、有害生物の襲撃を受ける。夏の低山は危険なのだが、遡ること数千年前、平均気温が今よりも高かった時代に生きた縄文人はどうやってこの暑くて不快な夏を乗り切っていたのだろう。

冒頭に載せたグラフを見ると、阿賀周辺の縄文人の夏の主な生業は川の魚たちを獲る、漁労だったことが分かる。
漁のために編んだ網を留めるための石器も多く見つかっており、その技は現在にも通じるところを感じる。
川に浸かっていれば、日中の炎天下でも熱中症になることもなかっただろう。

川魚以外に春夏共通の獲物としてキジがあがっている。平野部で暮らす自分でも、最近身の回りでよく見かける。感覚としては、サギよりも少し頻度が低いかな、というくらいで決して珍しいという印象もない。

むかし「かぐや姫の物語」(高畑勲監督)を見た時、サンカの集落では抱きつき猟で鳥を捕まえていたが、あれはヤマドリだったかキジだったか。
鍋にするのを楽しみにした描写があったが。
縄文人が鍋にするなら、あの造形の土器を用いてさぞ豪華な食事だったことだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?