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鹿と鹿踊り🦌

 身近に見かけることのある大型哺乳類の代表格といえば、鹿だろう。自分からそう遠くない背丈と、一目で「あ」となる存在感。しかし当地では、カモシカや猿、下手をすると熊の方が傍にいる存在、という気もする。豪雪地帯の山間部と穀倉地帯の平野部を中心としたエリアのため、西日本のようにイノシシは多くないし、鹿も特定の場所にしかいない。いつも見かけるのは、公園のなかで餌付けされた鹿だ。

 以前群馬県は赤城山へ訪れた際、山道を悠然と歩く牡鹿に遭遇した。傾斜のきつい見通しの効かないカーブで急にあらわれて面食らったが、それ以上にその体格と物怖じしない視線にどきりとした。車を近づけると道をよけて斜面の方へ逃げたが、巨体に似合わない身のこなしで大きい岩をものともせず、こちらを振り返る余裕を見せる。高さの関係でこちらを見下ろす形だったこともあって、普段見かける飼われた鹿との雰囲気の違いに感慨が漏れた。崖を登る垂直な動作と、水平方向の首の動き。それからその黒目がちの大きな眼玉に見とれた。

 サバイバル登山家の服部文祥さんが言っていたが、山で銃を構えていると、鹿と目が合う。一対一で対峙していると、その鹿の剥き身の感情のようなものが自分にも入ってくることがあるという。驚きや怯え、事切れる前の絶望。その弱さを含めて、今回は自分の獲物になったと感じると同時に、いつかは自分も命を落とすかもしれない。そういう気持ちが振り子のように動くそうだ。生きものとしてフェアであること、と服部さんはいうが、相互の視点が往還する対称性のようなもの。多くのアニミスティックな禁忌や伝承、芸能は、そういった振り子に油を指すための仕掛けとなっていることがある。

 数年前友人を訪ねて宮古から遠野、花巻にかけて太平洋側の東北を旅した折、印象的だったのが鹿踊ししおどりの痕跡だ。

 水平方向に動く首の動作と肩から垂直に伸びる白い羽根のような装いのしなる動き。単調ながら次第にループするような陶酔を味わえる太鼓の調子。どれを取っても一般的に円を描く動きの多い獅子舞とは異なる。

 東北の鹿踊ししおどりは、シシ(肉になる山の獣一般を指す)の供養と盆の死者来訪と同化する踊りだそうだ。

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全国一般的な獅子舞(その獅子の造形はおそらく大陸由来)が東北にあるのかは知らないが、わたしの地元ではこれを「神楽かぐら」といい、県内の北方では神楽と鹿踊りがどちらもある地域が残っている。ただ、悲しいことに地元では神楽しか残っておらず、鹿踊りにはなじみがない。

シシたちは、獲物ではあるがときどき里へ訪れるカミでもある。また、そのシシたちの所作を模して、自ずから死者たちと踊り、親しむ。とても惹かれるものがある。


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(写真は旅先で見かけた鹿踊ガードレール)

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