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#67 おんなのいっしょう

こんにちは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の67話目です。

今回は女性の友情というものについて書いてみたいと思う。

わたしは、女子の「親友」制度がとても苦手だ。
女の子の友達とふたりきりというのが苦手なのだと思う。

古くは小学校一年生にまで遡る。
わたしは当時団地の3階に住んでいた。
朝学校に誰と行くのか?が問題だった。

同じ棟の5階の女の子かおりちゃんに誘われて、最初のころはまぁ問題なく通っていた。
けれど毎日ふたりきりでわたしはすぐに飽きてしまった。
4階の女の子ゆかちゃんと仲良くしたくなってしまった。
ふたりとも1〜2歳年上だった。

4階の女の子ゆかちゃんはわたしにはものすごく魅力的なお姉さんに見えた。
彼女ゆかちゃんは外で遊んだりするタイプではなく、いつもうちで本を読んでいた。何度かお部屋に遊びに行ったのだけどいつも部屋はしっとりと薄暗くてお母さんやお父さんはいなくかった。
彼女ゆかちゃんと、そして猫だけがいた。

彼女ゆかちゃんはわたしを歓迎するでもなく拒否するわけでもなかった。
隣で本を読みながら時折ポツポツ会話を交わすだけ。
時間がゆったりとだらしなく流れる。
うちの母親は彼女ゆかちゃんのおうちに遊びに行くことに眉をひそめた。
そのちょっとしたアンダーグラウンド感がわたしは好きだったのだ。
彼女ゆかちゃんは、小学生ながら「背徳感」を背負っていた。

一度5階の女の子かおりちゃんとの登校を断って、彼女ゆかちゃんと登校した。
同じ棟なので当然のごとくすぐにバレて、5階の女の子かおりちゃんにものすごく怒られた。さながら浮気した彼氏である。
その後どうなったのか覚えていない。

この苦い体験がベースとなっているのかもしれない。
どうしても「親友」という言葉はこういう拘束感というか息の詰まる空気みたいなものを連想してしまう。
他の子と仲良くしてはいけない、一番すきじゃないといけない。

これが、わたしにはできないのだった。
こんなことを思い出したのはまたしても宇宙人長女がきっかけだった。

どこかで書いたのだが、宇宙人長女の性格はチャラ男そのものである。
なので、ひとりと特別仲がよいということがないのだった。
嫌いな子はほとんどおらず、誰とでも仲が良く、仲のいい子がどんどん移り変わっていく。
誰が一番仲よしなの?と聞けば、「ミンナスキ」と宇宙人長女は言う。

保育園の後半に、大体の女の子が二人組になり始めたときがあった。
なぜか女の子は「一番」の子を決める習性をもつらしいとその時に気づいて、上述した団地時代の黒歴史が急に思い出されたのだった。

それでわたしは何回も宇宙人長女に聞いてみた。
「一番仲のいい子とかいないの?」
宇宙人長女の答えは「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな好き」だった。

わたしは、少しだけ不安だったのだ。
学校のような集団生活では、大体二人組になる。
そういうときにひとり取り残されるのでは?と。


わたしはというと、「親友」ほどに仲がいいと思っている友人はいるけれど、互いにそう確認しあったりはしていないし、何かを強要されたくもしたくもない気持ちがあって「親友」とは未だ呼べないでいる。

友人と言われて思い出すのは、大学時代に出会った友人たちだ。
唯一、彼女たちとだけ交流が続いている。

続けられるのは、この人たちの特殊さゆえでしかない。

女性のみ、全部で(たぶん笑)9人いる。
何が特殊かというと、ゆるいのだ。
ここ5年くらいは顔を見せない友人が何人かいる。けれど、誰も彼女たちをタブーとしていないし、次回普通に顔を出してもみんな受け入れるだろう。
そういう不義理をさらりと流してくれるゆるさがある。

結婚も子どもも仕事もそれぞれちがう。
けれど、話の内容にあまりタブーがなく、それぞれがしたい話を勝手にしている。そこで言いにくい内容は個々でそれぞれやっている、たぶん。

この中で、特に仲がよいという人とそこまでは、というひとだっている。
それはその時々で入れ替わったりもする。
あるいは話の内容や目的(旅行とか)、条件(家が近い)で分けたりもしているかもしれない。

いつも全員が参加しなくてもいい。
ふらっと参加してもいい。
こんな感じで続いている、続けようとしてくれているひとがいる。

この歳になると、これがほんとうにありがたい。
何年かあけて会っても変わらない態度で接してくれる友人たち。

こういうゆるいグループの友人を何度かいろいろな場所で作ろうとしてみたけど、無理だった。
なぜか女子たちは平和を尊ばない。
ゆるい継続より、固い結束を選ぶのだった。
はみ出せば追い出そうとする働きが常に働き、拘束が強まるばかりなのだ。
苦しい。

わたしの友人たちは、理系女子だからなのか冷静で少し変わっているのかもしれなかった。
これだけの長い付き合いだから、個々での小さな諍いやトラブルはあった。
けれど、個々の問題として処理され、全体を壊すことはなかった。
それが唯一、全員の共通した意志だった。

女の一生を思う。
働き出すと、利害関係のない友人を作りにくくなる。
30代以降それは加速した上に、狭くなった。

結婚をしたら、夜の外出を控える。
子どもができれば、遠出ができなくなる。
出世を選べば、休日すら自由が拘束される。
ご主人の転勤で距離ができる。
金銭感覚。

人生の選択肢次第で、感覚のズレは生じ、女ともだちはいとも簡単に減っていく。

反対に「立場」で友人ができるということもある。
わたしの場合、主に「ママ友」である。
子どもを背負っているものの、わたしの場合はとても恵まれた。
気負わずに楽しい。

けれど、20代までとは違う、その事実は隠せない。
好き嫌いではなく、立場で友人を選んでいる。
知らぬ間に見えている世界は狭くなっている。
立場の違うひとは、見えるところからいなくなっていて、自分から見ようと歩いていかなければ見ることすら叶わないのだということ。

離婚して見える景色が変わったのは、半分そのせいだった。
誰かが、あるいはわたし自身がわたしに貼っているレッテルが変わると、取り巻くひとが変わるらしい。
世界が変わったわけじゃなく、見える範囲が変わっただけ。
パラレルワールドみたいなものかもしれない。

そのなかで変わらなかったもの、手の中に残ったものを思う。
何かを掴み、何かの手を離しながら生きていく。
時々ふと振り返って、今はないものに少しだけとらわれる。

未来のうてな、という漫画で誰かが言っていた。
未来は後ろからくる、だから怖い。
けれど、数ある未来からひとつを選んでいるのではない。
本当はすべての可能性の糸を全部撚り合わせて未来を創っている。
そんなようなこと。

本当だろうか。
だとしたら今手にしているものがすべて。
言われれば、そうかもしれないとも思う。

どちらにせよ、今に感謝して生きていこうと思います。
ここまで読んでくださったあなたにも多大なる感謝。


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