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双極性障害と共に生きる



はじめまして

明るい双極性障害のセラピスト、みほです。
私は、12年前に双極性障害の診断を受け、これまでに2回の入院を含めて、長い間、治療してきました。
いわゆる、躁鬱病というやつです。

現在は寛解状態にあり、長い期間、安定していて、表面的には、仕事や生活には大きな支障はありません。
とはいえ、最小限の量ではありますが、今も服薬治療を継続し、依然として、強い症状が出ないように予防する毎日です。

その他にも、最近自覚したものとして、軽度の強迫性障害とADHDも抱えています。

私の場合は、主に双極性障害の症状が強く出ていたために、当初これらの症状を自覚したり着目したりすることはなく、双極性障害の治療にのみ専念してきました。
そのお陰で、どうにか双極性障害を寛解させる事が出来たのではないか、と感じています。

そして、双極性障害の症状が穏やかになってきた今、ずっと私の中にあった、強迫性障害やADHDの症状が際立ってしまった為に、ようやく症状を自覚したのです。とは言え、それらは軽度で、生きていく上では、双極性障害ほどには、私を苦しめてはいないと思います。



双極性障害とは

"双極症"とも呼ばれる双極性障害は、最近では、鬱病と並んでよく耳にする病名で、気分障害として一括りにされる現代病とも言われています。

ですが、他の同じ病を抱えた人達の為にも伝えたいのは、双極性障害は、決して単なる気分の浮き沈みが激しいだけの病気では無いということです。

双極性障害は、脳内ホルモンの分泌に異常をきたす病気です。そして、それにより、思考や行動が抑制できなくなるのです。

脳内分泌物のバランスを保つ、セロトニンの機能低下により、興奮物質であるドーパミンの抑制が効かなくなり(躁状態)、なおかつ、ストレスに対応するためのノルアドレナリンが正常に分泌されません(鬱状態)。
実際にその病相が出ている時は脳の一部が萎縮したりもします。

このせいで、激しい躁と鬱の病相(思考や行動)を繰り返す、という病です。

では、なぜ脳の一部が萎縮したり、ホルモンの分泌異常が起こるのか。

双極性障害の歴史は精神疾患のなかで最も古く、古代ローマ時代から存在を認識されていた病なのですが、日本で治療法が正式に一般に発表されたのは、それこそ私が診断を受けたつい12年程前のようです。

遺伝的な要素も含めて、未だはっきりとした原因がわからない病であり、現代の医学では完治はしないと言われていますので、余程の発見がない限りは、この先もずっとこのままでしょう。 

しかし数年前に、
『双極性障害は、ミトコンドリアの機能障害が原因で発症するのかもしれない』
との研究結果が出されました。

双極性障害2000年以上の歴史の中で、初めて着目された有力な原因が、この、ミトコンドリア機能障害説です。
ミトコンドリアは、筋肉や神経、肝臓の細胞の内部に存在し、エネルギー産生によって細胞の活発な活動を支えている、人間の活動の根幹を担う存在です。
今後の研究に期待したい思いです。



双極性障害を抱えるということ

これはまさに、毎日を生きることそのもの、と言えます。
病相が悪化すると、日々の瞬間瞬間の思考や意思決定に、そして、それに伴う行動に、躁鬱の思考が常に影響するからです。

数時間や1日、数日、数週間、数ヶ月、数年、といった、実にさまざまな単位の、短期、または長期的なサイクルで、鬱状態と躁状態を繰り返します。また、躁鬱混合の状態もあります。
鬱の症状が深ければ深いほど、次に来る躁の症状は高く激しくなり、逆もまた然りです。

鬱の時は、無気力と同時に常に強い自己否定と希死念慮に苛まれ、それを耐えて生きる事は、地獄があるならいっそ行きたいと思うほどの苦しみです。

躁の時には、飲食や排泄さえも忘れ、何時間も時には24時間1つの事に没頭します。かと思えば、脳内が常に騒がしく、アイデアが泉のように溢れ、少しとしてじっとしておく事ができなくなります。何日も眠らない事もあります。

勢いだけで不動産を購入したり、突発的に選挙に立候補したり、そのような突拍子もない大きな行動に出る方もいます。
他にも人によって様々な症状があります。 

しかし、別の視点からポジティブに双極性障害を語ると、この病は私達、双極性障害罹患者にとって、神様から与えられた "ギフト" でもあるのかもしれません。

躁状態の際に幸福感と共に溢れ出てくるアイデアや情熱、爆発的なエネルギー、研ぎ澄まされる感性は、私達双極性障害を持つ者にとっての、才能の源と言えるでしょう。
また、鬱状態は苦しいのですが、単極性の鬱病と違い、私達には必ず鬱の次に躁が来るのだという、ある種の希望を持てるのです。
そして、鬱状態はまた、躁状態の時の行動に対するリスクマネジメントを担う側面であるとも言えるのです。

今では私は、双極性障害は、私のエネルギーや才能の源であり、私の個性と捉えて生きています。


仕事の日の躁スイッチ, オフの日の鬱スイッチ

私は、双極性障害の診断を受ける前からその症状はあり、長い間、それとわからずに苦しんできました。
かたや、ANAの客室乗務員として、表面的には問題なく職務を全うしてきました。

しかし、楽に仕事をしてきたかと言われれば、そんなことはなく、それはそれは大変なエネルギーを注いで来ました。
私がフライトで100%の結果を出すためには、120%、150%の力を注ぐ必要がありました。


ですので、オフの日にはヘトヘトで、次の仕事まで、ベッドから起き上がれない、という状態でした。

今思えば、仕事の日は躁状態、オフの日は鬱状態で、それを繰り返していたのです。

双極性障害の診断を受けてからは、治療に専念する為、休職しました。そしてその3年半後、まだ寛解はしていないながらも、職場への完全復帰を果たすことも叶いました。
そして私はまたもや、表面的には何の問題もなく働いていました。

しかし、やはり、時差やG(重力)のある環境や、大きな責任が伴う業務、また、人間関係でのストレスが大きいフライトアテンダントという仕事は、この病の症状を悪化させるリスクが高いので、辞める決断をしました。

現在の私は、寛解はしているのですが、症状は依然として出てきます
一般の人よりも波の大きい、元気な時・何も出来ない時が、交互にやってきます。

とは言え、仕事は、寛解している私に限って言えば、どのような仕事でも問題なくできますし、成果もあげられます。

もちろん、働く上で、自分で気を付け、予防すべきことは多くあります
が、ANAを退職してから、いくつかの仕事をしてきましたが、どれも、この精神疾患があるからと言って、私の仕事の能力が下がったかと言えば、そうは思っていません。

それと同時に、仕事の能力が下がったわけではないけれど、仕事をする上で困難が付きまとうことは、寛解していても、変わりない、それが私の実感です。


これを読んでいる方に伝えたいこと

これは、単極性の鬱を抱えた人達も含めて言える事ですが、これらの精神的な病を抱えた人達は、
けっして、「ストレスに弱い傷つきやすい人達」という訳では無い、という事です。

こういった病を抱えてもなお、1日1日を生き続けるためには、とてつもない強さとエネルギーが要るのですよ。 

人は、強い、弱いでカテゴライズされるべきではないと思っていますが、それでも、精神疾患を抱えた人達は、とかく「弱いから」と形容されがちですよね。

あえてその表現に倣うならば、

弱く無いんです。

むしろ、生きている人は強いんです。
ファイターであり、サバイバーなんです。
残念ながら亡くなってしまった方も、決して弱かったのではなく、それほどに苦しみの大きな病だと捉えていただきたいのです。

そういったとても大切な根本的なことを、一部の社会は思い違いをしているんですよね。
例えば、癌の人には理解を示すけれど、鬱の人にはわがままで心が弱いから、などと。

脳の機能が正常に働かなくてなっているから、双極性障害や鬱になるんです。もちろんパニック障害や不安障害など、その他の疾患もそのように理解をしていただきたいです。
心なんていう"概念"ではなく、フィジカル的な脳の機能障害なんです。

そして、例外なく誰もが精神疾患に罹患する可能性はある、という事です。
実際に私は、長い間、ANAの客室乗務員として、表面的には問題なく、その職務を全うしてきました。

しかし私は、そういえば、仕事をする上で、自分の病について周りに伝えたことは一度もありませんでした。

社会において、未だ精神疾患について正しく理解されにくいのは、ある意味、仕方のないことかもしれません。
なぜなら、病名は知られていても、自分がその病ですと名乗り、事細かに実体験を語る人は少ないから。

そして、人は、経験してみないと、やっぱり理解する事は難しい生き物なんですよね。


私が双極性障害について発信する理由

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

正直に言って、世の中を広く知っていればいるほど、自分が精神疾患に罹っていると言う事を公にするには、日本は、まだまだリスクを伴う社会だと、私は思っています。

社会の制度はもちろんですが、特に、個人レベルの理解において、バラツキがあり、細かい部分で、精神疾患者に対しての偏見や誤解に満ちていると言えます。 

私が、何をもってこの文章を書いたかといいますと、こういったメンタル疾患を抱えた人達に対する理解が薄い社会に広がっている、勘違いの思い込みフィルターを少しでも取り去りたいことが1点目です。

また、双極性障害や他のメンタル疾患を抱えた方に、「私のケース」として、経験をシェアする事で、まさに今、闘っている人達に何か少しでも有用な事があれば活用していただきたいと思ったことが2点目です。

そして、どんなに苦しくても、正しく根気強く治療すれば、寛解して、再び幸せを実感できるまでに回復するんだ、という希望を持っていただきたいと強く思ったから、というのが3点目です。

私は、生きるのが苦し過ぎて、もう嫌だと何度も投げ出し掛けました。
自死未遂もしたけれど、生き残ってしまいました。
死ななかったのが不思議な程の状態から、生還したようなのです。

「そうか、私は生かされたのか。」

ようやくそういう境地に至り、真剣に悩み続け、ならばと思って、それこそクソ真面目に治療をしてきました。

そうして、どうにか寛解したのです。

だから、私の書く記事はおそらく、とても前向きだし、現実的かもしれません。
自分の意志で治療する気のない人には、あまりお役に立てないかもしれません。

私は、どうにかしたくて悩んでいる人、意志を持って治療して寛解したい人と、その周りの方に、伝わればいいなと思っています。
また、精神疾患とは無縁の暮らしを送っている方々にも。


私の想い

私は、自分が双極性障害である事を、長い間、公にはしていませんでした。
プライベートでも、ごく一部の友人にしか伝えていませんでした。

自分や家族の友人・仕事関係者に、余計なご心配をお掛けするかもしれない、という思いと同時に、個人的には、色々な意味で恥ずかしい気持ちや、周りからの偏見や差別、"軽んじられること" を恐れる気持ちが抜けず、今まできちんと公表する気にはなれませんでした。

実際に社会ではまだまだ、制約が多いのも事実です。
服薬義務や既往症があることを雇用契約の際に報告しなければならなかったりして、就職先によっては、不採用になったりもするからです。

しかし、私がセラピスト活動をしていくにあたり、自分の既往症について触れずに今後もいくのは、私自身が真にやりたいことが出来なくなる事に葛藤があり、悩みました。

私の周りで起こってきたこと。
同じ病で自死してしまった人、それを止められなかったと悔やむ家族、生きにくさを抱えながら自死したり、ストレスで亡くなってしまった友人 。

このような人達を見てきて、もうこれ以上、傍観していられなくなったというのが正直な気持ちです。

一方で、そのように、亡くなったり治療放棄をしたりする人も多い中、重い双極性障害を患ったけれども、寛解し、それをどうにか維持しつつ、幸せに前向きに生きている私と言う人がここにいる、と言う事を、双極性障害の人達に知って欲しい、そして希望を与えたい、というのも、ありました。 

そこで、家族にも相談し、本当の自分の姿を見せていくという判断をしました。

今後、私はこの事について積極的に自身の経験を発信していきます。
必要としている人のところに届きますように、間に合いますようにと願いながら。

1人でも多くの方の目に留まり、必要とする方の元へ役立つ情報が届きますように、そして、双極性障害や精神疾患についての正しい認識が広がりますようにと願って、noteをスタートします。

ありがとうございました。


美穂より

インスタグラム
@m.n_honesty


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