見出し画像

自己紹介(と2021年の記事のまとめ)

自己紹介と簡単なまえがき

普段から見ている海外のボードゲームに関する記事をnoteに掲載することを突然思い立った。幸いにも、翻訳した記事が多くの人の目に触れられることとなった。趣味で始めたとはいえ、訳者としては大変嬉しいと思っている。

今までしていなかった自己紹介を簡単にすると、ボードゲーム歴はそれほど長いわけではない。5年は経たないくらいかなと思う。仕事の性質上、常に繁忙であることに加え、子育てに追われている。ということで、ボードゲームで遊ぶことは、ほぼ諦めている状態である。ただ、ボードゲームに関する話に心躍らせてはいるので、この趣味を引退したわけではないように思う。いつしか、またボードゲームを心置きなく遊べる日が来ることを願っている。

ボードゲームの仕事に関わっているわけでもないし、業界のことを詳しく知っているわけではない。ボードゲームを作る才能もない。そんな一介のボードゲーマーである。

ボードゲームにまつわる話の中で、自分の仕事(専門)に関連する話が出ることもある。誤っていて的外れな話が多く、苦々しく思うことが多いのだが、基本的に面倒なので関わらないようにしている(そうは言っても、茶々を入れがちではある。)。友人から、専門に関連する話をいつか書いてほしいと言われているので、いつかまとめて書くこともあるかもしれない。

自分の時間がほとんどとれないので、翻訳する時間は平日の朝30分ほどしかない(仕事の繁忙期では、全く取り組むことができない。)。できる限りわかりやすく、時には大胆な意訳も厭わないように心掛けている。ただ、時間的な制約があることから、十分なクオリティを担保したとはいい難い部分はある。おそらく誤訳やニュアンスの違いも少なくないだろう。それでもなお、記事を読んだ多くの人から様々な意見をいただいている。その意見を読むのが楽しみとなっており、モチベーションにもつながっている。読者の皆様には感謝していることを改めて伝えたいと思う。

半年ほどしか経ってないが、翻訳した記事を見返すと、色々な記事を翻訳したと思う。自分なりのまとめとして、各記事を簡単に説明したいと思う。
大まかに次のように分類した。

①ボードゲームの社交的な面に関わる話
②ボードゲームのデザインに関わる話
③ボードゲームの社会的な話・ボードゲーム業界の話
④その他(と最初の記事)

このような分類にしたがって、各記事のリンクと簡単な解説を付けた(結局、簡単ではなかった。)。

なお、それなりの割合で勘違いされるので一応と確認しておくと、訳者個人の意見と翻訳記事の意見は必ずしも同じではない。同じこともあるし、違うこともある。結局、海外で読まれている記事で、紹介したほうがいいだろうと思った記事を翻訳している。そうはいっても、訳者の価値観が翻訳記事の選定に反映されているだろう。

①ボードゲームの社交的な面に関わる話

⑴ ボードゲームレビュアーが陥る3つの大きなバイアス

私がよく翻訳しているAnthony Faber氏の記事であり、最も多くの方に読まれた記事でもある。大雑把に要約すれば、「ボードゲームレビュアーの言っていることにはバイアスがある。それは当然だし、俺にもある。でも、そういうバイアスがあるってことを自覚しとくといいんじゃない。」ということになる。

ただ、内容が誤解されることが多かった。翻訳が悪かったかもしれないし、バイアスという言葉がよくなかったかもしれない。そこは訳者として反省すべき点である。

主たる誤解の1つは、ボードゲームレビュアーの範囲である。2個目の記事の冒頭で説明しているが、改めて確認しておく。この記事のいう「ボードゲームレビュアー」は、何らかの対価を得てYouTubeなどでレビューをしている、いわば商業レビュアーを指す。したがって、Anthony氏は、一個人のレビューについては何も言及していない。
もう1つの誤解は、バイアスのあるレビューの何が悪いんだ、みんなが思ったことを言えばいいんだというものであった。先ほどの要約にあるとおり、Anthony氏はバイアスを持つこと自体当然で、悪いとも言ってない。重ねていうことになるが、そもそも一個人のレビューについては射程外である。

バイアスを自覚することで、ミスマッチをなくすことができる。Anthony氏の懸念は、商業レビュアーが同じようなバイアスを持っていて、彼ら自身がバイアスに無自覚な点にある。詳しくは記事を読んでいただければと思うが、そのようなバイアスをもつレビューばかりだと、あんまり意味がなかったり、埋もれるゲームが増えたり、不当な評価がつけられたりしてしまう。海外では、Kickstarterのページからわかるとおり、ボードゲームYouTuberの影響力が大きいようである。そのため、一層深刻な事態となると言いたいのであろう。

これに対して、①当たり前のことを言ってるにすぎない、②意味がないかどうか、埋もれるゲームが良いか悪いか、不当な評価かどうか、それ自体がバイアスのかかったものだという指摘があり得る。その指摘は、そのとおりとしか言うほかない。記事を読めば、Anthony氏はそれも折り込み済みということがわかる。いずれにせよ、この記事を紹介したことでたくさんの反応をいただいたので、とても嬉しく思い、その後のモチベーションの維持につながった。

⑵ 9タイプの困ったボードゲーマー

同様にAnthony氏の記事である。ゲームの外の事柄(社交的な部分)については反響が大きく、多くの人がこういった面に関心があることがわかった(裏返せば、悩みの種となっていることでもあろう。)。

内容としては、特段、付け加えるようなことはないと思う。大事なのは、こういう人たちを避けようということではない。記事にもあるとおり、「この評価基準で人を判断することを推奨しているわけじゃない。こういった人々がどれほど悩みの種かということは、どれだけ戦略的なゲームプレイに重きを置いているか次第になる」とある。自分がイラつく他者のプレイとはどんなものか、それを踏まえて、「"なぜ私はゲームを遊んでいるのか"」を分析することが大事だと思われる。ミスマッチがなくなって、みんな幸せになればいいのになと思っている。

②ボードゲームのデザインに関わる話

⑴ ソロゲームの類型とその分析

Alexandre Santos氏の記事であり、ソロゲーム・ソロモードについて包括的・網羅的に分析したものである。RPGなどにも射程が及んでおり、広範である。現時点でここまでまとめあげた記事は見当たらない。結構イケてる記事だなと個人的には思っていたが、全く読まれなかった(苦笑
ソロゲーム、ソロモード需要がそこまで大きくないのと、記事のタイトルが良くなかったかなと思っている。あと、文章が硬すぎたかもしれない。原文が硬いので仕方ない面もあるのだが、これでも頑張って柔らかくしている。訳者の力量の限界である。

⑵ ゲームバランスの話

2つの記事ともAnthony Faber氏の記事で、ゲームバランスについての話である。友人と会話をして、ゲームバランスについては、この記事と同じ意見を持っている(このことは、2個目の記事のあとがきでも言及している。)。

ものすごく大雑把に要約すれば、1個目の記事は、"固有能力はズルくて誰かがかなり有利になるかもしれないけど、みんなでそういうズルをして遊ぶのが楽しんじゃないの"という話で、2個目の記事は、"ゲームバランスについてうるさく言うやつは、本当にゲームの面白さを理解してるのか疑問だよね"という話である。

これも大いに反響があった。非対称な固有能力が大好きな人からは肯定的な話をもらった。また、テレビゲーム(電源系)界隈の人からも反響があったのが嬉しかった。テレビゲーム界隈の人からみると、格闘ゲームがあるので、固有能力が不均衡だと批判されるのが不思議というスタンスだった。訳者としては、隣接分野における知見が役に立つことがあると実感できた。

ゲームのデベロップと呼ばれる作業は、ゲームバランスを取るだけではないと思う(こんなツイートを先日見かけた。)。デベロップ作業がどのように行われているかはわからないけれども、プレイヤーはどの点に面白さや興奮を感じるのかについて再確認する機会になればいいなと思っている。今のところ、ゲームバランスの良し悪しは、数回のプレイでわかるわけではない上、ゲームの面白さを分析する尺度にはならないのではないかと感じている。程度問題であるけれども。

⑶ デザイナーインタビュー、デザイナーズダイアリー

ボードゲームデザイナーのインタビューや製作に関する翻訳記事である。デザイナーの記事は、あまり読まれない。あんまり関心がないのかなと推測している。コストパフォーマンスが悪い典型的なジャンルである。

デザイナー個人について知ったとしても、そのデザイナーのゲームの面白さが増すわけではない。ただ、そのゲームの要素1つ1つに対して、デザイナーが意図したことを知るのは意味があると思っている。特に、プレイヤーにとっては、知見が広がるだけでなく、ゲーム要素について異なった見方ができることがあると思う。

1つ目の記事は、ソロモードを多数作っているAutoma Factoryの創設者であるMonrad Pedersen氏のインタビュー記事である。感染症の拡大後、海外ではソロモードプレイヤーが増え、需要が高まっている。結構な数の人が元記事を読んでいた。ただ、日本ではソロモードで遊ぶプレイヤーはまだ少なく、ソロモードのゲームデザイン、ゲームデザイナーに興味がある人は更に少ないのであろう。
日本国内発祥のゲームで、ソロモードが搭載されたものはいまだ少ない。今後、多少なりとも参考にしていただける部分があるのではないかなと淡い期待を抱いている。

2つ目の記事は、Dinosaur Worldのデザイナーの1人であるDavid McGregor氏のデザイナーズダイアリーである。Dinosaur Worldがバッカーに配送される頃に公開したが、そこまで読まれることはなかった。
この記事は、デベロップ作業の一端が垣間見られることから翻訳している。拡張の開発の失敗、新たなゲームを作る過程、テストプレイを経て加えた変更、それぞれの部分についてデザイナーの意図を知ることができる。特徴的なのは、感染症拡大によりデジタル空間でテストプレイをしていたという部分である。デジタル空間でのテストプレイの良い部分・悪い部分について言及されており、プレイヤーとしてもBGA等で遊ぶ際の参考になると思う。
なお、私はDinosaur Worldのバッカーではない。

まだ公開していないが3つ目の記事がある。先日、「サポテカ」が発売されたFabio Lopiano氏のインタビュー記事を公開する予定である。この記事は、かなり前に訳したものであるが没にした記事である。かなり繁忙度が高く、新しい翻訳もすぐにはできそうにはない。そこで、没にした記事を手直しして、箸休め的に公開しようと決めた。

③ボードゲームの社会的な話・ボードゲーム業界の話


⑴ ボードゲームの原価、製造、輸送費等について

元NSKN Games、現Board&Diceの中の人であるAndrei Novac氏の一連の記事である。
初めてこの記事をBGGで見た時は目ん玉が飛び出るほど驚いた。ここまで明け透けにボードゲームの製造原価、ロイヤリティ等について書かれた記事はない。ボードゲーム業界に恨みを持った人の暴露記事なんじゃないかと勘繰ってしまう内容だと思う。だから非常に貴重で、海外の人だけが読むのは惜しいと思い、一連の記事を翻訳することとした。

ただ、この数値はあくまで想定のもので現実とは違うということは忘れてはいけないと思う。あまりにリアルな数字を使ってしまうと公開はしないだろう。これらの数字をそのまま実態として捉えるべきではないとは思う。

なお、個人的には、品がないような気がしている。BGGでは透明性があるとの理由で賞賛されているが、透明化する対象が少し違う気がしている。私たちボードゲーマーが業界の人たちの苦労を知ることができるが、業界の人たちはプロとしてそのような苦労を見せずに、楽しんでもらうためにボードゲームを製造・販売しているはずである。個人的には、そういう悩みを持っている。

⑵ 持続可能なゲーム社会

Alexandre Santos氏の2つ目の記事となる。環境問題とボードゲームについての記事であり、そういう観点の記事は見かけなかったことから訳出した。
当初の想定どおり、全く読まれなかった記事でもある。ほとんどのボードゲーマーが興味を持たないような内容の記事も気が向いたら訳そうとは思うが、なかなか手数が必要となるので、どうしても後回しになりがちである。そんな記事なので、供養のために1回くらいは目を通していただけると嬉しい。

なお、この記事に対する反応があった。レガシー系ゲームは環境負荷が高いのではないかという指摘である。この記事にはなく、そのとおりかと思われる。こういう反応があると訳者としても勉強になる(とともに、不勉強だったなと反省するばかりである。)。

⑶ ゲームに害はないか?

Alexandre Santos氏の3つ目の記事で、反響の大きかった記事ではある。当然、この記事に対する異論が出るだろうなということは予想していた。けれども、やはり話が噛み合わないというのが本音である。訳者の個人的なスタンスはひとまず置いておくが、この記事の射程を確認したい。

まず、この内容は、1人のボードゲーマーの主張にすぎない。学問的な研究でもないエッセイである。前書きにおいて、「参照する意義が少しはある」と書いたのはこの趣旨である。この記事は、何らかの主張に関する根拠にはなり得ない。したがって、一個人の意見にすぎないという反応は正しい。

次に、Alexandre Santos氏は、「みんなこうすべきだ」とは言ってない。「私はこう思う。ボードゲーム業界にもこういう動きがある。個人的には、出版社も色々と配慮してほしいところがあると思うけど、私の思いと同じ方向性なのはも嬉しい。今後も見守っていきたい。おそらくみんなの利益になると思うから。」という話にとどまる。

最後に、これを翻訳した大きな理由は、後半部分のAlexandre氏のPhil Eklundとの付き合い方にある。
Eklundは問題発言ばかりのいわば困ったちゃんだ。Alexandre氏は、Eklund個人の価値観には賛同できない。その価値観はEklundのゲームに反映されており、ゲームに問題があるとも思っている。でも、Alexandre氏は、Eklundのゲームを愛してやまない。このアンビバレントな気持ちどう対処したらよいか、という話である。

これに対するAlexandre氏の対処法が記事の最後の方に記載されている。平凡だし、明確な線引きとなっているのかというと疑問だとは思う。ただ、こういう苦しさを持つ人がいるということは知っておいたほうが良いし、なぜ苦しいのか、苦しさの果てにどう対処したのかという心の動きを内在的に理解をすることは必要かと思う(個人的には、まずは寄り添うことが大事と思っている。)。結局、分かり合えない部分がある。けれども、そういった理解をしようとせずに、外在的な理由から一刀両断するスタンスはあまり好ましいとは思わない。

こういう認識の差があった。これも、訳者の力不足だろうと思う。今後、精進していきたい。

なお、更に余計なことを付け加えておきたい。
・この話をすると、「表現の自由」という言葉が出てくることがあるが、憲法上の権利としての「表現の自由」はあまり関係がない(私人間効力はさておき)。当然、「公共の福祉」も関係がない(そもそも、公共の福祉という言葉にどれほどの法的意味があるのかよくわからない。)。
・カルチュラルスタディーズでは、特定の行動様式、表現形式等について、見かけ上では差別してないように見えるが、差別的な文脈・価値観に基づいてされていると指摘することがある。このような行動様式、表現形式が維持されると、差別の構造が維持・強化・再生産される。もちろん、議論があり、こじつけと言われることもある。ボードゲームのテーマに対する批判は、こういった考え方が前提となっている(ので、話が噛み合ってない。)。ただ、オリエンタリズムは本当にわかりやすい話なのでGoogleなどで検索していただけると幸いである(リンク先の例として挙がっている絵画に、差別的な文脈・価値観が背景にあると知らないとわからない。)。

④その他(と最初の記事)

⑴ その他

ブリュッセル1893の新版が出版されるということでその経緯についての記事である。Pearl Gamesとのいざこざがあったとうかがわれる。
当初はこういった記事を簡単に翻訳していく予定ではあった。知られていないことを知ってほしいという理由である。
とはいえ、Alexandre Rocheがイラストレータを引退したという話のほうが反響が大きかったのは予想外であった。

実はこれと似た没記事がある。ルール石炭輸送にはじまる石炭三部作の話だが、ルール石炭輸送のルールブックの和訳の許可が取れなかったことにより没となった。内容を手直しして、公開するかもしれない。

⑵ 最初の記事 

2020年に投稿した記事である。残しておくことすら嫌であるが、ウイングスパンという名前に、いまだ見る人が少なくないようである。特に付記するところはない。

以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?