ゲームに害はないか?(Game no harm)

昨今、ボードゲームのテーマに問題があるとの指摘を見かけるようになった。それは、過去の特定の地域をテーマにしたボードゲームに対して、特に植民地主義的・差別的であるという文脈でなされている(特に有名な論評として、No Pun Includedの「Colonialism - The Board Game Struggle」がある。)。このような海外でされた批判に対して、困惑したり、過剰反応したりする人が日本では少なくない。日本と海外の認識の差なのかもしれないし、日本のほうがいわゆる"表現者“に対して寛容(?)なのかもしれない。

本記事は、ベルギー在住のボードゲーマーAlexandre Santos氏のブログ(Ludi Tabularium)記事「Game no harm」の翻訳である。このような問題に対する一個人の見解にとどまるものの、参照する意義が少しはあると思われたので翻訳した。また、海外(特にBGG)の考えを知ることは、それに対する自分の立場はともかく、意味があると思われる。

なお、訳者の専門ではないが、興味関心のある分野ではある。こういった問題に興味がある方は、ジェンダーの分野やオリエンタリズムを嚆矢とするカルチュラルスタディーズといった社会学の分野に触れるのが望ましい。問題の伝わらなさ・話の噛み合わなさは、このような背景知識・よって立つ分野の違いに基づいているということが明らかになると思われる。

本記事の翻訳にはAlexandre Santos氏の許諾を得ている。ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させたいただいた。
原文は以下のリンク先を参照していただきたい。

これを乗り切るためにお互い助け合おう、それがなんであろうと
Matt Collamer撮影

免責事項: この記事はゲームに関する倫理的な問題を話題にしています。楽しさや冗談を100%抜いた(fun-free)内容です。

ボードゲームは、楽しみを与え、ストレスを除去し、没頭させ、社会化をもたらして促進させる(encouraging and facilitating socialization)、有益な活動と考えられています。そうはいっても、恩恵をもたらすものは何事も、逆の効果をもたらすように使われ、有害な体験を引き起こすことがあります。ボードゲームも例外ではありません。

ゲームには害がないか?
ボードゲームが、絆を形成したり、癒しを与えたりするように、排除したり、傷つけたりするためにも使われます。その実例(paradigmatic example)として、1930年代のドイツで出版された商業ゲームであるJuden Rausがあります。そのゲームでは、プレイヤーが順番にダイスを振り、マップ上の"ユダヤ人"駒(pawn)を、街の壁の外にある"収集場所"(collection points)に向けて動かし、委任統治領パレスチナに強制送還します。ゲームボードには、"6人のユダヤ人を追っ払えば(see off)、あなたは確実に勝利する"との言明があります〔1〕。

"娯楽と教育"のために作られたそのようなゲームは、悲劇的な時代の製品ですが、残念ながら、現代においても、奴隷制をテーマにしたビデオゲームで、奴隷を船に積み込むテトリスをする Playing History 2: Slave Tradeのような嫌な思いをする教育ゲームが簡単に見つかります(easily found)〔2〕。
もちろん、問題は、奴隷制に関する教育的なビデオゲームを作ることにはなく、勘違いさせて予期せぬ形で、おぞましい活動を実行に移すことが楽しいとプレイヤーに推奨した上、そのようにプレイすれば、ゲーム内で報酬を得られるという立場にプレイヤーを置くことにあります。

そういった動揺をもたらすゲームを見せられるだけでなく、そのゲームに参加してしまうことで、プレイヤーは(※共犯関係となるような行いに)加担したことになり、罪悪感や恥の感情に対処しなければなりません。つまり、最善の選択は遊ぶのを拒否することで、教育的なゲームであればほとんど良い成果を生みません。このような否定的な副産物を作り出すゲームは、痛みを生じさせたり、傷つけたりするので有害だと考えています。

電車というゲーム
クレジット: Stephen Totilo

このような問題を意図的に扱った(explored)ゲームとして、Brenda RomeroによるTrainがあります。プレイヤーは指示を受け、電車に乗せて駒を往復させますが、プレイ中にその終着点がアウシュビッツであることに気づきます。プレイヤーが能力を最大限発揮して指示に従う傾向につけ込むことにより、このゲームは、プレイヤーに対し、最終的解決(final solution)を実行に移したことで共犯関係を感じさせ〔3〕、ショック、恐怖、嫌悪といった感情を引き起こします。ゲームではありますが、Trainはより新しい手法をとっており、ゲームとは何かといった問題や物議を醸す歴史的問題について議論や非難を呼び起こしました。他方で、多くの傷や痛みを生じさせてしまいかねない、有害なゲームであることは明らかです。

Trainは商業的なゲームでは一切なく、成人の有志だけで遊ばれていましたが、不本意にも引き起こしかねない精神的な苦痛について警告があります。個人的に最適と思う例の1つは、プエルトリコです。プエルトリコは、私にボードゲーム・ルネサンスを教えてくれ、この趣味に引き戻してくれたゲームです。私の好きなゲームである、レース・フォー・ザ・ギャラクシーは、プエルトリコのアクション選択メカニズムを大いに参照しています。

プエルトリコの問題はその設定と、設定に対するプレイヤーの関わり方にあります。マニュアルでは、"新天地でどの役割を担いますか。最も繁栄するプランテーションを所有しますか。最も価値のある建物を建てますか。あなたの目標はたった1つだけ。最大の繁栄と最高の尊敬を手に入れることです!このゴール(※最大の繁栄と最高の尊敬)は、最も勝利点を得たプレイヤーが手に入れます。"との記載があります。

プエルトリコのプランテーション
クレジット: Michel Sorbet

勝つために、プレイヤーは、"入植者"が働くプランテーションを開発し、旧世界に輸出することで勝利点を生む商品を生産します。

私が最初にプエルトリコを遊んだ時には、特に問題とは思っていませんでした。しかし、年月が経つにつれて、歴史的にそのようなプランテーションが実質的に強制労働収容所となっていたこと、奴隷が連行されて、プランテーションでの寿命が約7年から9年となるほど非人道的な方法で不当に利用されたということ、絶え間なく新しい奴隷にとって代わったこと、一連の過程が何世紀にもわたって続いて何百万人もの被害者が巻き込まれたことを、より知ることになりました〔4〕(※原文では注番号が2となっているが、4の誤り。なお、リンク切れであった。)。

プエルトリコでは、またしてもプレイヤーは、予期しない形で、個人的な利得のために、奴隷に対して恐怖を与えることに加担させられるような立場に置かれます。これを避ける唯一の選択肢は遊ばないことです。実質的に、プエルトリコは、形を変えたTrainです。出版社の意図したことではないと分かっていますが、嫌悪感なくして、私はこのゲームを遊べませんし、有害なゲームであると考えています。

プエルトリコには、奴隷制について意図的なメッセージがありません。Shelf StoriesのJason Perez(※ボードゲームYouTuber)は、思い描いたPuerto Rico 1898として一連の修正を提案しています。その提案は、ゲームプレイと設定を維持しつつ、問題を避けた上で、プエルトリコの人々により配慮したものとなっています。私は、出版者がこうした提案を考慮に入れてくれるのを願うばかりです。

奴隷と托鉢僧、なんでジャイプルみたいにラクダじゃないのか
クレジット: Annette Villa, Allen Cordell

慎重に扱うべき(sensitive)奴隷問題に不注意にも踏み込んでしまった(blundering)ゲームの例として、ファイブ・トライブスがよく知られています。ヘンテコな(goofy)アラビアのファンタジーという設定のゲームで、奴隷カードを消費してアクションを得ることができます。このゲームを遊んだ時、のんきな(lighthearted)雰囲気と"奴隷を消費する"義務との間の食い違い(dissonance)に不快感を覚えてしまい、ボードゲーマー間の論争に無関心な私の妻が驚いて"正気か?"(Are you serious?)と言ってしまうほどでした。

牛の角をつかむ……
クレジット: W. Eric Martin

こうした出版社の誤りは、ゲームやプレイヤーが置かれる文化的・歴史的な文脈を考慮に入れる必要があることを示しています。例えば、Jason Perezのように、予期しない問題に気づき、ゲームとプレイヤーにとって本当に有益な解決策を提供する手助けとなる、文化的な配慮に関するコンサルタント(cultural sensitivity consultants)を雇って、より専門的な方法でこのような問題に取り組む必要があるという認識が高まってきています。このような取り組みを行なっている出版社の例として、James Mendez HodesをFrosthavenに携わってもらうことにしたCephalofair Gamesがあります。Isaac Childres説明によれば、"極めて簡単に言うと(In a nutshell)、彼(James Mendez Hodes)はFrosthavenの物語全てに目を通し、その中で描かれている全ての異なる文化を見た上、物語全体の整合性がとれているか(internally consistent)、プレイヤーや現実世界のいかなる文化にとって有害となるかもしれない現実世界の用語や考えが含まれていないか(co-opting)を確認している。これは、単に問題を指摘することにとどまらず、物語を広げて強めていく解決策を協力して見つけ出すことでもある。この作業は、物語をより倫理的でより広いプレイヤー(audience)に受け入れられるようにするだけでなく、単純にゲームをより良くするためでもあるので、楽しいプロセスとなっている。"とのことです。

出版者が問題のある有害な誤りを避けようとし始めたことは素晴らしいことですが、奴隷制や強い偏見といった難しい問題を避けることに疑問を持つ人もいるでしょう。"ただのゲームでしょ?"というふうに。私はそうは思いません。ボードゲームは、このような問題を扱うのに(explore)素晴らしい場だと思います。しかし、ボードゲームでそうするには、意図されていてよく練られた方法を取る必要があります。

奴隷制の問題は、Endeavor: Age of Sailで扱われています。そこでは、奴隷制の問題が分け隔てられていて、扱いたくないプレイヤーを引き入れる代わりに、プレイヤーが自分で選んで(※奴隷制の問題を)扱うことができます(giving agency)。Freedom: The Underground Railroadでは、プレイヤーは奴隷制廃止論者であり、多くの難しい選択に直面しつつ、(※奴隷制に)加担する危険を冒すことはありません。他方、This Guilty Landでは、奴隷制に加担するというコンセプト(notion)を扱いますが、率直で意図的な方法で(※表現)されているので、遊ぶ前にインフォームドコンセントを得ることができます。

人命の価値を遊ぶ
クレジット: Yuho Lee

ボードゲームでは、他にも難しい問題が扱われてきました。The Costでは、プレイヤーはアスベスト業界の会社の代表となり、自らの利益のために労働者の安全を犠牲にしますが(compromise)、このような行為への加担は、自由意思でなされ、かつ、(最初から明確に)示されています。

芸術家と作品を分離できるのか、できないのか
ここまでのところ、私は、不注意な誤りと考えられる事柄を中心にして議論してきました。しかし、もし、これらがミスではなく、作者や出版社の隠された真意(agenda)に関係した意図的な見方を反映したもの(intentional aspects)だったらどうなるでしょうか。

もちろん、私が話そうとしているのは、作者個人ではなく、作者の世界観や隠された真意がどのようにゲームに影響を与えるかということです。Chicago Expressは、私の好きなゲームの1つですが、作者であるJohn Bohrerは、非難されるべき行いをした過去があり、BGGから永久追放されることとなりました。しかし、このような問題は、ゲームデザインとは別のことであり(orthogonal)、ゲーム体験に影響を与えるようなものではありません。

私の言いたいことの典型例は、文学、映画、ゲームに多大な影響を与えたH.P. Lovecraftです。Lovecraftが極めて人種差別的な世界観を持っていて、彼の創作の発展の鍵となっていたことが、彼の著作から明らかに見て取れます。人種差別は他者への恐怖です。そのことが、Lovecraftの創作では、怪物を作り出し、人間と怪物の異種交配を恐れ、ホラージャンルに大きな着想を与えたボディホラー(※生物学的ホラー)につながりました(H.R. Gigerのエイリアンを参照)。Lovecraftの科学への興味は、宇宙規模からすれば、人間の存在が無意味となる実存的不安(existential dread)から生まれた、コズミックホラーのジャンル全体を作り出しました。

これらの動機(motives)全ては、非常に力強く、今の時代でも響き渡っているので(resonate)、Lovecraftの神話(Lovecraftian Mythos)が現代のゲームで広く用いられています。私は、Lovecraftの著作が彼の問題のある世界観と切り離せるとは思いません。他方、彼の著作は他者を恐怖して生きることがどういうことなのかを理解するための優れた窓(window)であり、その意味で有益であると思います。

しかし、ここでの問題は、Lovecraftの神話に慣れ親しむことが(adapting)有害であるかどうかとなります。私は、もし、問題点を理解してそれに対処するのであれば、必ずしもそうではないと思います。最近の多くのゲームでは探索者役のジャンルや民族性が多様化しており、このことが反映されています。ただ、例えば、メンタルヘルスの描写には問題があり、まだ課題は残っています。

神話に取り組むに当たって、より多様性のあるアプローチ
クレジット: B P

Lovecraftは、倒錯した世界観(twisted way)により、大成功を収めました(struck gold)。そうすると、有害な姿(aspects)から価値のあるものを取り出して(refine)、分離できるかは、私たち次第であると思います。

しかし、もし、亡くなって久しい作者の話ではなく、現代の作者の話だったらどうでしょうか。多くのハリーポッターファンは、(作者の)JK Rowlingsのトランスジェンダー嫌悪(transphobic)の振る舞いが無視できないレベルになっており、ハリーポッター関連商品を買うことによって、自分の信条に反する事柄(an agenda they disagree with)に加担したり、支援したり(enablers)することになってしまうので、どういったスタンスを取るべきか苦悩し続けています。

ボードゲーム界隈でも、デザイナーのPhil Eklundが同じような状況にいます。彼は、植民地主義、西洋例外主義(Western exceptionalism)、気候変動、Covid-19による公衆衛生政策に関する物議を醸す発言で批判を受けました。

植民地主義に関して物議を醸した発言は、パックス・パミールの初版に掲載されたエッセイ"イギリスの植民地政策に対する擁護"(On defense of British colonialism)が初出でした。その冒頭で、Eklundは、"多くの悪評があるが、イギリスの植民地政策は、その植民地に多大な利益を与えた。その証左に、一部の植民地がどれほど発展したかをみるといい(as evidenced by how well some of them turned out)。アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、それにシンガポール、最も文明が発展して、今日では居住するのに最高の場所となっている。"と述べています。Lovecraftも誇らしげになる(ような発言)でしょう。

白人の義務
クレジット: Phil Eklund

西洋例外主義は、パックス・パミール、Pax RenaissancePax Emancipationの脚注やゲームメカニズムに浸透しています。このことは、大西洋の奴隷貿易を専門とする歴史学者Patrick Raelによって広範に論じられています。刺激的で一読をお勧めします。

気候変動については、Bios: Megafauna (Second Edition)のルールブックに掲載されたエッセイ"炭素サイクル"(The carbon cycle)が論争の1つとなっています。そこでは、Eklundは、気候変動否定派が引き合いに出した論争である、2009年の気候研究ユニット・メール流出事件(climategate, ※これ)を参照して、政治的圧力が原因となって、気候に関連する科学分野の客観性が損なわれているのではないかという疑問を投げかけています。このような不適切な参照情報の摘示(off-hand references)は、物理科学分野におけるEklundの信用をひどく損なうものでした。

Covid-19の問題に関しては、何が起こったのかとき解こうとしたのですが、わかりませんでした。ただ、どうやら、そのことがEklundのBGGアカウントの停止につながったようです。私は、このことについてコメントをせず、漏れがないように言及するにとどめます。

私は、Phil Eklundのゲームの大ファンですし、全てのBIOSシリーズHigh Frontier 4 AllPax Renaissanceの両方の版を所有しています。これらは、好きなゲームの1つになります。だからこそ、Eklundと彼のゲームにある物議を醸す問題を評価することは、私にとって特に重要なことなのてす。

繰り返しになりますが、作品とアーティストを分離できるとは思いません。ただ、自分の立ち位置を定めるには、こういった(※Eklundの)問題の危害の内容を考慮しなければなりません(※おそらく、one must consider the harm (of) these issues involv(ing) in order to position oneselfとなる。)。

最初に挙がる懸念事項は、科学的誠実さ(scientific integrity)についてです。私にとってEklundのゲームの主な魅力は、ハードサイエンスの表現形式を題材として採用しているところにあります。私は、Eklundが細部までこだわって、定量的な要素のファクトチェックを純粋に行おうとしていると確信を持って言えます。他方、彼のゲームは意欲的ですので、誤りが見つかったとしても、驚いたり問題だと思ったりするのとはありません。

私が思う最大の問題は、彼が、自身の信奉するアーチ状の理論的な物語(arching theoretic narratives)に生じた問題に取り組むことがあまりに苦手であるところにあります。正反対の証拠を簡単に排斥してしまうので、非常に問題があり、非科学的な態度だと思います。陰謀論だとして研究データを不適格と雑にみなしてしまえば、科学的な議論に参加することが難しくなってしまうでしょう。仮に、EklundがPax Pandemica(※パンデミック下の平穏)というゲームを作っても、私は興味を持つことになるでしょうが、現状ではサイエンス・ファンタジーというジャンルに興味がないので、ルールブックの公開(manual publication)を待ってから遊ぶ(committing)でしょう。

二つ目の問題は、西洋例外主義の観点に関連します。私にとってそのような観点が受け入れ難いものです。Pax Renaissanceでは我慢しましたが、テーマに興味があることが明らかであるにもかかわらず、Pax Emancipationは見送らざるを得ませんでした。私が問題であると思う限り、その状態を維持するつもりです。

Pax Renaissanceや既に手に入れたゲームに関しては、批判的な観点を持ちつつ、問題があるとわかれば、文脈に沿って検討しながら(contextualizing)、喜んで遊び続けるでしょう。

将来の展望
Ion Game Design(※Eklundのゲームを出版するSierra Madre Gamesを所有する会社)は、今回の論争について、次のような声明を公開しました

"年齢、文化、性自認、ジェンダー表現、社会的地位、性的指向、宗教、人種、教育レベル、障碍、メンタルヘルス、民族、身体的外見に基づくあらゆる差別を非難します。
これまでに、当社は、その開発プロセスと対立するかもしれない文章や脚注が記載されたゲームを再販したり出版したりしています。2021年の始まりに、以下のようなルールを申し入れました。
事実の注釈は、センシティビティ・リーダー(※ 出版前の原稿を読んで、社会から批判される言葉遣いや表現がないかどうかを検閲する人)を含む関連する分野の専門家によるピアレビューがされた後に限り記載されます。出版後、ルールはゲームデザイナーにより管理されるリビングルール(※変更されていくルール)となります。誤りや虚偽の記載があれば、リビングルールにコメントをすることができ、ゲームデザイナーは検討した上でリビングルールに加えていきます。"

私は、この取組みを称賛しますし、この取組みがどのように実践されていくか興味を持っています。この取組みが、ゲームの質を向上させるプロセスを確立するために、Ion Designや一般の出版社の利益になると思います。ボードゲームに対してますます学術的な関心が高まっており、より緊密な共同作業を行うことが、難しく洗練された題材に取り組む野心的なゲームを求める人々の利益にかなうだろうと思います。

以上

※同著者の記事の翻訳として以下のものがある。

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