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ソロゲームの類型とその分析(Solo gaming)

ベルギー在住のボードゲーマーであるAlexandre Santos氏のブログ(Ludi Tabularium)記事を翻訳した。ソロゲームについて細かく分類しており、ソロゲーマーやゲームのメカニクスについて考えている人たちにとって参考になると思われる。
ただ、私の力不足が大きな原因であるが、元の文章が硬派であり、誤訳やニュアンスの違いもあり得る。実際のところ、原文のほうが自然と理解しやすいので、必要があれば原文を参照していただきたい。
当然ながら、翻訳・掲載についてはAlexandre Santos氏の許諾を得ている(なお、元記事ではBGGにアップロードされた画像・写真を転載している。これらは引用の範囲にとどまると思われる。本記事においてもその範囲にとどまると考えて転載し、クレジット表記をしている。元の画像や写真については、手間ではあるが元記事に掲載されたものを参照されたい。)。
また、ヘッダー画像はピクト缶の画像を利用した。

元記事は以下のリンク先にある。

想像力の翼を広げて……

ボードゲームやロールプレイゲームといった卓上ゲーム(tabletop games)でも、ソロゲームをすることが増えてきています。このトレンドの底流には、感染症拡大下の長期にわたる隔離によって一層促進され、かつては特殊で二次的な遊び方だったものが多くの人にとって主流の遊び方となったことがあります。ソロゲームを遊ぶことの広まりが、卓上ゲームとは何かを再定義することにつながり、より一般的なゲームの形式に影響を与えたり、応用し始めたりするといった新しい展開を生み出しています。

そこで、ソロゲームが、様々な卓上ゲームの形式にどのような影響を与え、将来的に何が予想されるのかについて分析をすることは興味深いと考えました。

協力ゲーム(Cooperative games)
協力ゲームのよくみられる問題には、ソロゲームとの自然な類似性を見出すことができます。多くの協力ゲームでは、プレイヤーが他のプレイヤーの行動に影響を与えることがありますが、これにより事実上ソロプレイの形式であることが論理的に導かれることでしょう。このことは、多人数用のゲームではバグになりますが、ソロで遊ぶ時の特徴になり得るものです。

闇の勢力の誘い
クレジット: Ed Sherman

そうすると、協力ゲームは、大抵の場合、最小限の調整を加えることで、最も簡単にソロゲームにすることができます。一般的に、プレイヤーの中で大きな支障が生ずるのは、複数のキャラクター、複数の能力(faction、※以下では「派閥」や「種族」と訳すことがある。)、複数の陣営を続けてプレイする必要がある時です。というのも、この(複数のキャラクター、複数の能力、複数の陣営がある)ことは、通常の多人数ゲームよりも複雑さを与えるのかもしれませんが、プレイヤーは、1つのキャラクター、グループ(party)、能力(派閥)にうまく帰属することができず、没入感が大きく途切れるような感覚を味わうのです。

Shadowrun: Crossfireにおける一人四役プレイ
クレジット: Dimitri

この複雑さ/没入感の問題は、それぞれのプレイヤーに、複雑な内部的インタラクション(complex internal interactions, ※自分の持っている情報や自分の陣営の状況といった内部的な事情から、あれもこれもやりたいが全部できないといったジレンマが生ずるような場合と解してもらえばよい。)が伴うような個人ボードや手札があったり、プレイヤーが戦略を練るために複数の手札の同時処理をする必要があったりする場合に深刻になります。

この問題は、プレイヤー間に協力や調整を課すことで多人数用ゲームの創作に寄与していますが(create the game)、バランス調整の問題が生ずることはあれ、一方側(の視点)で遊ぶことを好むソロプレイヤーに大きな認知的負荷(cognitive load)を与えることになり得ます。

侵略者と戦う孤独な精霊
クレジット: Richard

このように考えると、協力ゲームでは、おそらく人工的なプレイヤーと競うことに関心があるように思われます。しかし、少なくとも私が気づいた限り、そのようなアプローチの例はありませんでした。間接費やデベロップコストが大きいからだと考えられます。

After the Virusにおける勝算なんて知りたくない
クレジット: Asier Villanueva

協力ゲームをソロで遊ぶ利点は、親しんだ(given)ゲームに深く入り込むことができ、より多くのゲームを遊びたがるゲームグループのほとんどを疲弊させるほど、繰り返し遊ぶことができることです。

これ(繰り返し遊ぶこと)により、多人数の状況では難しいメカニズムレベルでゲームを評価することができます。また、多人数で遊ぶ平均的なグループが、遊びたがらないような難度のゲームを楽しむことができるようになります。つまり、ソロプレイを搭載しようとすれば、協力ゲームにも、より幅広い難易度を搭載しなければならなくなります。 

8人の探索者を用いたアーカムホラーのソロプレイ
クレジット: Jimmie Andersson

ソロで遊ぶことにより、ゲームが想定していなかった逸脱部分(the game declinations)を広く調査すること(the extensive exploration)も可能となります。プレイ時間の長さ、ダウンタイム、複雑さといった問題が生ずることにより、グループで遊ぶ際には実現できず、容認され難いような極端な行動(extreme configurations)を試してみることもできます。

3キャラクターでのグルームヘイブンのソロプレイ
クレジット: Daniel Mizieliński

同様に、The 7th Continentやグルームヘイブンといった長いキャンペーンゲームを多人数で遊ぶことは本当に難しいことで、現実にはソロプレイにより達成することが多いでしょう。そのようなキャンペーンゲームが多くの人たちから面白いとの評判(interesting proposition)を得るには、ソロモードを搭載することが間違いなく重要となります。

ソロでは協力し難い
クレジット: Joakim Schön

そうは言っても、協力ゲームの中にはソロゲーム化(soloed)できないものもあります。そういったゲームは、隠匿情報やコミュニケーション制限を中心としたゲーム展開が多いです。HANABI 花火、ミステリウム、コードネームといった例があり、そういったゲームの多くは、ギークリストに個別に蓄積されています。それは、物語性のある体験や感情的な体験を超えた、多人数で遊ぶ際にしか生じない協力的な体験を与えるので、このような制約は特徴ともみなすことができるからでしょう。

対戦ゲーム(Competitive games)
対戦ゲームをソロゲームに適合させることは、はるかに複雑となることが多いです。それは、単に、プレイヤーが自分自身と対戦することができないからといえます……できませんよね。ただ、実際のところ、一人二役とか一人多役(multi-handed)といった自分自身と対戦するといった形式は、最も古くからあるソロゲームです。例えば、何世紀にもわたって1人でチェスをすることが親しまれてきました。

一人多役ゲーム(Multi-handed gaming)
ほとんどの対戦ゲームは、一人多役で遊ぶことができます。例えば、1人のプレイヤーが連続してそれぞれの手番を行うといったように。このソロモードの最大の利点は、新しくルールを覚えなくともいいことです。他のプレイヤーにインストをする前に、自分がゲームを覚えるのにとても有効となります。

回転台(lazy Susan)の上で504を一人三役で遊ぶ
クレジット: Gary, Alexandre

このような遊び方に適しているのは、戦略的(strategic, ※長期的な目標達成のために計画を考えていく)ゲームよりむしろ、戦術的(tactical, ※短期的で段階を踏んでいくように具体的な計画を考えていく)ゲームでしょう。したがって、プレイヤーは、手番ごとに改めて手番側の状況を考えることができるようになります。

一人多役で遊ぶことは、遠慮せず、かつ、迅速に様々な戦略を試すことができる最良の選択肢であることが多いです。プレイヤーは常に勝者でもあり敗者でもあるので、負けることを恐れることなく、思いついたことを何でも試すことができるので、とても自由に遊べます

また、この遊び方は、運命による予期せぬ逆転なのか、それとも通常プレイでは認識することが難しい有利な状況や戦略的な面によるものなのかを、プレイヤーがより適切に把握できるようになります。なぜなら、プレイヤーは、対戦ゲームでは不可欠な存在である相手方の立場に自分自身を置かざるを得なくなるからです。

一人多役プレイにおいてプレイヤーは、常に勝ち負けを同時に体験することから、ウォーゲームや歴史ゲームでよくみられる競技性よりも史実に基づく忠実な再現を求めており、最終的な勝ち負けと同じくらいかむしろそれ以上に新しいストーリーが現れることに重きをおきます。ソロモードは、特にそのようなゲームに適応します。

繰り返しになりますが、一人多役プレイが困難なゲームは、ブラフや隠匿情報に基づいています。Rommel in the Desertを例として挙げると、不安定な兵站のため、実際の兵力の存在よりも配置の方が、多くの場合により重要となるのです。

このような利点があるにもかかわらず、一人多役プレイは、通常(の多人数)プレイと比較すれば複雑になるので、あまり人気ではありません。また、プレイヤーが各陣営の達成目標を勘違いすることが時々生じてしまいますが、これは没入感や集中力(engagement)が途切れてしまうことが主な原因となっています。(一人多役プレイの)プレイヤーは、一方の陣営やキャラクターを同一視したり、まとめたりすることができません。もし、プレイヤーが常に勝ち負けを同時に体験するのであれば、競走ゲームの通常の魅力が発揮されることなく、より探索的で物語性のあるゲームに成り果てることになるのです。

最小限のソロモード(Minimal solo modes)

瞑想的なゲーム
クレジット: Bill Kunes

ゲームの中には、プレイヤーが他のプレイヤーの邪魔をしたり、影響を与えたりすることができない事実上の多人数ソリティアといったものがあります。そのようなゲームは、大抵の場合、純粋に効率性を競うことになるので、単純かつ即座にソロゲームに変えることができ、自分自身のスコアを更新しようとしていく形式になります。

Limesというゲームでは、全てのプレイヤーが同じカードを引いて場に置き、その後、獲得する得点を最大化するために個人エリアにミープルを置いていきます。そして、最終得点を競うことになります。このソロモードは、連続してプレイした結果により得た最終得点を比べていくことになります。

このようなゲームは、プレイヤーに上達するための課題を作るのに長けており、プレイヤーはソロモードに熱を上げることになるかもしれません。

自分自身のスコアを更新することに加えて、自分のスコアと、別の機会に行われた他のプレイヤーのスコアを比較することができます。

グラスロードのプレイヤーボード
クレジット: Joel Oakley

簡単に終わるソロゲームは、最初のプレイ条件を決めておいて、各プレイヤーが自身の最高点を目指すといった毎月の課題を立てて達成するという遊び方が人気になることが多いです。このような遊び方においては、ゲームのメカニズムを深く堪能することができます。

このように言っても、純粋な多人数ソリティアを例外として除きますが、何らかの形でプレイヤー同士にインタラクションが生ずるものです。この場合、ソロゲーム化すると、インタラクションに関連した部分を取り除くことになり、時に追加要素によって補うことができるような固有のゲーム体験が損なわれているにもかかわらず、なお魅力的に映ると考えられているようです。

アグリコラのソロゲーム
クレジット: Morris

アグリコラでは、ソロモードにわずかな変更が加えられ、プレイヤーのインタラクションを取り除く代わりに、ゲームの苦しさが増したシンプルなキャンペーンモードが搭載されています。そのため、プレイヤーがソロモードや毎月の課題を独自に開発していることに驚きはないでしょう。このように、ソロゲームは、より効率性を重視した、多人数プレイとは異なったゲーム体験を得られるものとして受け入れられています。

ゲームの中には、ソロプレイにおいて、プレイヤーのインタラクションに代えて、全く別で固有のメカニズムを搭載しているものがあります。 

時計を使って遊ぶMage Knight
クレジット: Daniel G.

Mage Knightにおいて、単なるタイマーをダミープレイヤーとして使うようなソロモードが実装がされており、緊張感を生み出し、ラウンドが終了する前に、プレイヤーに最大限アクションをさせるようにしています。

LisboaでLacerdaと踊る
クレジット: Kevin Shillinglaw

Lisboaでは、単純なルールに従って、ダミープレイヤーが、妨害してきたりプレイヤーから資源を奪ったりします。これにより、他のプレイヤーがいる場合とは異なる、戦略的・戦術的な課題となるような対戦相手になるのです。

自分自身が敵となる漁
クレジット: Richard

ヌスフィヨルドでは、プレイヤーは他のプレイヤーのワーカーに妨害されることはありませんが、前の出番で置いた自身のワーカーに妨害されることになります。これにより、プレイヤーは、先を見越した計画を立てることとなり、複雑性や没入感が途切れるといったよくある問題が生じることなく、プレイヤー自身により作り上げる戦略的な課題を見事に作り出しています。

ロングズデイルでの反乱のキャンペーンをソロで
クレジット: Cally

このような多くのゲームでは、ソロプレイの強みを活かして、多くのキャンペーンモードを作り上げています。ヌスフィヨルドにも搭載されていますし、オー・マイ・グーッズ!:ロングスデイルでの反乱のキャンペーンでは、プレイヤーにゲームを何度も反復させるような限られた物語要素が用意されています。

大抵の場合、最小限のソロモードを使って遊ぶことにより、プレイヤーはゲームを楽しむことができますが、多人数ゲームとソロモードでは戦略が大きく異なり、技術的な違いもあることから、得られた固有の経験(the expertise gained)は、デックに関する知識以上に多人数ゲームに反映されません。

オートマプレイヤー(Automated players)
ほかのゲームでは、対戦相手となるようなオートマプレイヤーを用いて、可能な限り多人数ゲームと同じような体験を維持しようとするソロモードがあります。

多人数での対戦プレイの状況を再現することに注力していることもあり、完全な人工プレイヤーを作るのではなく、プレイヤーが直面するメカニズム的な側面だけを再現するという考えに基づいています。例えば、プレイヤーのゲーム体験に関係する結論だけを取り込むようにするので、オートマプレイヤーは自分のボードを持ちません。これにより、情報量を削減し(reduce upkeep)、プレイヤーが対戦プレイに集中することを可能とします。このようなオートマプレイヤーの最初期の例として、レース・フォー・ザ・ギャラクシー拡張セット1:嵐の予兆にみられるような"ロボットプレイヤー"があります。

冷酷なRFTGのロボット
クレジット: Lauzon

(レースフォーザギャラクシーの)ロボットは、開始時のワールドに従い、内部ロジックを変更できるボール紙のチットを使ってプログラムがされています。その上、ダイスを使って変化と予測不可能な行動が生まれます。ロボットは、処理の手間(book keeping)を省くためにタブローの管理(要素)を取り除いていますが(※ロボットのカード置き場を取り除いている。)、例えば、特定のアクションを選択することがロボットが自身の発展を進めるチャンスとなるかどうかといった、プレイヤーが他のプレイヤーと対戦してる時に考慮するような種類の判断を真似しています。

多人数で遊ぶ際の欠点の1つには、他のプレイヤーの手番を待つダウンタイムがありますが、ソロゲームではこのダウンタイムが人工プレイヤーの手番を進める処理フェイズにとってかわります。このフェイズを最小限に抑えて、プレイヤーが自分の手番を行う時間を最大限するのが理想です。ロボットのタブロー管理をなくすことで、ロボットの手番は極めて短くなり、プレイヤーは、自分の手番の管理に多くの時間を費やすことができます。この手法は、Morten Pedersenにより、更に進化し、一定の形が与えられたことで、多くのゲームのソロモードに使用されることになりました。パッチワークのような軽いゲームからガイアプロジェクトのような重いゲームに搭載されています。

強欲なパッチワークのオートマ
クレジット: Qualith

パッチワークでは、オートマはプレイヤーに最良のタイルを取るように圧力をかけてきます。オートマのアクションは、単純で即座に終わるようになっています。そして、オートマのアクションには、プレイヤーの決定事項はなく、オートマに指示を加えるだけで済みます。それだけで、人工の対戦相手の"オートマアクション部分"(automated)を実現させているのです。このような方法で、プレイヤーは自分自身と対戦する必要が一切なくなるので、プレイヤーに認知的不協和(cognitive dissonance, ※人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す。)が生ずるのを避けられるとともに、プレイヤーを完全な対戦モードにする(embrace a fully competitive stance)ことができるのです。

ガイアのオートマの星間遊行
クレジット: Alexandre Santos

ガイアプロジェクトでは、オートマは、ソロの対戦相手として各種族を利用できるようにしています。レースフォーザギャラクシーのロボットでみられるように、このようなソロモードは初期能力に応じたプレイごとのオートマの振る舞いに、大きな多様性を生みます。

もう1つのデザインの方法として、通常のフルゲームと同じように遊べる人工の対戦相手を作ることがあります。しかし、オートマの手番を処理するのに必要な内容物とロジックが要求されることになります。

Blitzkrieg botの出番はもう終わり?
クレジット: Alexandre Santos

Blitzkrieg!: World War Two in 20 Minutesのオートマプレイヤー("bot"と呼ばれます。)には、一連の指示と共に、戦略チットと1つのサイコロが与えられます。Blitzkriegは単純なゲームであることから、botの指示は比較的簡単に処理でき、プレイヤーはbotの手番であまり時間が取られないようになっています。

規則正しい対戦相手
クレジット: Marcus Lind

Conflict of Heroes: Eastern Front – Solo Expansionでは、人工プレイヤーの動き(logic)のほとんどがカード1組によりプログラミングされています。これにより、情報が小分けにされ、ほとんどそのままのゲームルールに従うオートマプレイヤーの動きにバリエーションが生まれるのです。

オートマプレイヤーの操作を全て行うことによる認知的負荷(cognitive load)は、簡略化されたオートマプレイヤーの手番を処理する場合よりも大きくなります。簡略化された手番を行うオートマプレイヤーの場合、プレイヤーは、遊んでいる中で対戦相手(オートマプレイヤー)にどうやったら勝てるかについて洞察を得ることがなく、単なる対戦相手でしかありません。他方で、人工プレイヤーがゲーム全てに関わることになり、オートマプレイヤーに全てを委ねてしまうと、ゲームの戦略が"台無し"になるんじゃないかと心配する人もいるかもしれません。ただ、実際には、(このことが)プレイヤーにとって現実的な問題になったという声が上がったことはありません。

そうであるとはいえ、オートマプレイヤーを作成することは、単に対戦相手のあるソロモードを選択するというものではありません。ゲーム中に自然とインタラクションや緊張感を生む独立した主体(agent)を作ることも可能になるです。

Volkareの右に出る者はいない
クレジット: Alexandros Boucharelis

独立した主体の一例として、Mage Knight Board Game: The Lost Legion ExpansionにおけるVolkare将軍がいます。彼は、特定の目標を達成するためにゲーム内で行動し、1人又は複数のプレイヤーに応じるように迫るのです。この場合、プレイヤーの行動を模倣する必要はなく、同じ報酬を得るための新しい方向にゲームを修正することになります。

ソロゲームへの応用(Applications)
ゲームをソロゲームができるように修正することで、プレイヤーは、より広くゲームを楽しむことができるようになります。 

Contrariusがあなたを倒そうとしてくる
クレジット: Walther Gerdts

Concordia Solitariaは、他のプレイヤーを必要としないでコンコルディアを遊べるようにしました。そして、全てのコンコルディアのマップと拡張を味わい尽くすこと(explore)を可能にしたのです(コンコルディア・ヴィーナスのチームプレイモードを除きます。)。

しかし、Solitariaは、ゲームを引き締め、より多くのプレイヤーが存在することによるダイナミクス(higher player count dynamics)を模倣するための3人目のオートマプレイヤーを搭載することによって、2人用モードも向上させています。これは、オートマプレイヤーのデベロップにおいて、もっと採用されるべき方法であると思われます。

リッチキングと相対して
クレジット: Val

ペーパーテイルズ:禁域への門では、リッチキングというソロモードが搭載されています。しかし、それ(リッチキング)が2人プレイで用いることができないので、好機を逃しているといえます。

一般的に、2人プレイモードは、ソロゲームと似た制約があります。人工の対戦相手を開発は、2人プレイの文脈においても活用されることが期待されます。プレイヤーは、2人で遊ぶ際に"ダミー"プレイヤーを嫌うとしばしば考えられていますが、ソロゲームが台頭したことから、2人プレイモードにおけるプレイヤーは、独立した主体を用いる心づもりがあると受け入れる時でしょう。そうすれば、独立した主体の動作を学ぶことがより価値のある今後の糧(investment)になるでしょう。

Pax Renaissanceにおける異様な対戦相手
クレジット: Alexandre Santos

このような利点があるにもかかわらず、特定のソロモードでは、ルールや計算において加わる認知的負荷を弁明しなければならないはずのものがあります。Pax Renaissanceのオートマは、完全に自動化されておらず、プレイヤー自身が人工のプレイヤーのための選択をしなければならないので、不安定な状態のままです。そのため、多人数プレイの欠点にオートマプレイヤーのルール処理に必要なコストが積み重なってしまい、そのようなソロモードを遊ぶ機会を疑問視してしまいます。

元々ソロゲームであるもの(Native solo game)
多人数ゲームを1人プレイに適合させることには妥協がつきものですので、最初から1人で遊ぶためにデザインされたゲームが、最もソロプレイの強みを活かすことができるといえるでしょう。

ロビンソン漂流記における海賊との最終決戦
クレジット: Mark Palframan

先ほど述べたとおり、ソロゲームの利点の1つは、ゲームメカニクスに焦点を当てることができることです。興味あるプレイヤーグループを何度も集めるという物理的な(logistic)問題に直面することなく、徹底的に探求し尽くし、ゲームメカニクスに深く掘り下げることができます。

ロビンソン漂流記は、デッキビルディング形式のゲームで、初めて私を"うならせた"(click)ゲームになります。複数回のプレイをしても負担感はなく(breeze)、手っ取り早く多様な戦略を試し、何がうまくいき何がうまくいかないのかを理解することができます。

ソロゲームのもう1つの利点は、こういった深い掘り下げを行なったとしても、普段から相手となってくれる人たち(rugular gaming partners)をすぐさま打ち負かしてしまうような不幸な結果は起こらないということです。他方、そのことにより、あなたがソロゲームにのめり込んでしまったゲームを多人数で遊ぶ機会を制限することにもなりかねません。

Lux Aeternaでの深い奈落からの脱出
クレジット: Allen O'Connor

単純なメカニズムを基軸とした短いソロゲームのもう1つの例は、Lux Aeternaになるでしょう。このゲームは、どこにでも持ち運びできる小さい箱のリアルタイムゲームとなっています。

(みてきたように)ソロゲームには、最初からソロプレイを前提にデザインされたものがあります。その結果、ソロプレイをする以外では無駄になってしまうコンポーネントを省くことができます。したがって、異なった立場から同時に考えなければならない(readable)という問題をとやかくあげつらう(contend)必要はありません。

夢のようなOnirim
クレジット: Laszlo Stadler

ソロ向けのゲームは、小さい箱で、セットアップやプレイ時間が短いといったソロゲームのニーズにうまく応えることができますし、多忙だったり、多人数でゲームをすることなんて不可能な短い時間の合間に遊ぶことを可能にします。

また別の利点を挙げると、自分のリズムでプレイを中断したり開始したりでき、他のプレイヤーのダウンタイムを作ってしまうんじゃないかと心配することなく、ソロプレイヤーとして、アート部分やゲームが作り出す空気感(mood)に没頭することをより楽しむことができるようになります。

クレジット: Tomas Uhlir

ソロゲームは、バリアントルール、モジュール、課題達成、キャンペーンモードを探求するのに理想的であり、アンダー・フォーリング・スカイのようなゲームで上手く活用されています。短いソロゲームでさえ、段階的にプレイが上手くなるように(along the skill ladder)ソロプレイヤーを指導したり、楽しめたりするキャンペーンモードを搭載することが求められるようになっています。ここでいうキャンペーンモードは、チュートリアルの面も持ち、話の語り手という面も持ち、ゲームの可能性(potential)を発見するコーチの面も持ちます。

逆の見方をすれば、ソロゲームは、テーマや設定を深く掘り下げていくような壮大なゲームを目指すこともできるでしょう。

クレジット: Rich James

Navajo Warsは、西欧の侵略に対するナバホ族の生き残りをかけた決死の戦いを描いています。盤面のグラフィックデザインは、ソロプレイヤーに向けられており、プレイヤーは壮大な物語を語るコンポーネントのインターフェイス(chrome)や詳細を味わう時間をとることができます。

クレジット: Alexandre Santos

Pavlov's Houseは、リソース管理と分配のシンプルな繰り返しを軸としたゲームで、具体的な個性を与えて部隊と地形に意味を与えることにより進んでいく物語と対になるような構成となっています。1個1個のチットが名前と顔のある兵隊を表し、地形(の名称)を確認することができ、歴史的にもゲームプレイ的にも重要な用語となっています。そうすることで、プレイヤーは自分のペースで難なくゲームプレイと物語の融合を楽しむことができるようになっています。

クレジット: Mark Chaplin

ソロゲームは箱庭系のプレイを体験する最も良い方法でもあります。ネモの戦いでは、1人プレイヤーのやりくりして成し遂げる体験に焦点を当てているので、多人数箱庭系ゲームでは避けることができないダウンタイムやゲームバランスの調整といったよくある問題を抱えることなく、縦横無尽に(wildly)異なるアプローチを追求し、実験的なプレイをすることができます。

クレジット: Janine Viglietti

ソロゲームの人気が高まったことにより、ゲームメカニズム(medium)の可能性をより探究するようになり、新しいゲームデザインの方法論が生まれることになりました。この好例がBlack Sonataになります。このゲームでは、シェイクスピアが注目している謎の女性を特定しようとする中で、ソロゲームで扱うことが最も難しいゲームメカニズムである隠匿情報と推理(deduction)を扱っています。

反対に、ソロゲームの危険性の1つは、潜在的な市場に対してアピールをするためにプレイモードを増やす誘惑に駆られてしまい、ソロゲームデザインの利点を薄めてしまうことでしょう。

ソロのロールプレイ(Solo roleplaying)

クレジット: Eric M. Aldrich I

ダンジョンズ&ドラゴンズは、ソロプレイで探索することができるダンジョンを作成する手続が紹介されていたことから、ソロでロールプレイをすることは、ロールプレイングゲームそのものと同じくらいの歴史があるといえるでしょう。この遊び方は、Four Against DarknessやD100 Dungeonといったそれ自体はロールプレイングゲームでありませんが、探索、チーム、リソース管理といったテーマを文書形式で再現したダンジョン探索ゲームのインスピレーションの源となっています。

ダイスを振り、ダンジョンを描いていく
クレジット: credit: Rob Standifer

クレジット: Ivo Pintéus

ロールプレイングゲームの非常に早い時期の成功により、君ならどうする?(Choose Your Own Adventures)というゲームブックの開発につながりました。そのゲームでは、ソロプレイヤーは、選択肢に従い、敵と戦ったり、謎を解いたりしながら物語を探索していき、話す形式で進んでいくゲーム(a oral form of gaming)を本という形式(the written medium)に置き換えていました。

このような君ならどうする?のゲームは、潜在的なロールプレイングゲームを楽しむ人を増やしていき、戦術的なものだったり物語性のあるものだったりするビデオゲームのRPGの開発につながったのです。

クレジット: Clark Timmins

ロールプレイングゲーム自体が、そもそものゲーム形式(medium)に関してあらゆる可能性を探求しました。例を挙げると、AMBER Diceless Role-Playingではダイスを放棄する方法がとられましたし、ゲームマスター(GM)やプレイヤーが演じるキャラクターの存在の必要性にすら疑問を呈したりしていました。

しかし、並行して開発されていたのは、Mythic Game Master EmulatorのようなGMエミュレータを使ったソロゲームの可能性を探ることです。このエミュレータは、通常、GMが与えるような情報(input)を再現するための機能(tools)レイヤーを作成します。このような機能には、プレイヤーの質問に回答するオラクルや新しい物語の要素を作り出すことを手助けするテーブルやせりふ付け(prompts)が含まれています。

ボードゲームのオートマプレイヤーとは対照的に、このようなシステムは、プレイヤーから創造的な情報が生まれることが期待されますが、その情報に一定の枠を与えたり制限したりすることで、より簡単に虚構の世界とわかっていながら本物の世界だと一時的にでも信じ込めるようになったり(suspension of disbelief)、伝統的なプレイヤーの態度を身につけることができるようになります。

初期のオラクルの形であるMythic Fate Chart
クレジット: lpaj

クレジット: Skwaare Dawaay

GMエミュレータの実践により、オラクルとテーブルを1つにした創造的で完全な1人用モードを開発・搭載したScarlet Heroesのようなロールプレイングゲームの出版につながりました。

Scarlet Heroesのセリフ付けのオラクルとテーブル
クレジット: lpaj

クレジット: Shawn Tomkin

ボードゲームでみられたように、このようなソロゲームで用いられるツールは、多人数のロールプレイでも応用できます。また、ソロのロールプレイが成熟したことにより、Ironswornのような新しいロールプレイングゲームが、GMエミュレータの機能や内容を提供することでGM不要のソロプレイや多人数プレイに対応するようになりました。

クレジット: lpaj

GMエミュレータのレイヤーの発展により、ソロプレイに特化した筆記形式のロールプレイングゲーム(written RPGs)が誕生し、話す形式のロールプレイングゲーム(the oral RPGs)と古典的な君ならどうする?形式のロールプレイングゲーム(classic choose your own adventures of old)の中間に位置するジャーナリングRPG(Journaling RPGs, ※キャラクターになりきって日記や手紙を書いて遊ぶゲームのようである。なお、"ジャーナリングロールプレイングゲーム"では、ややくどいことからジャーナリングRPGと訳す。)として成熟してきています。

ジャーナリングRPGの最近の人気作は、Thousand Year Old Vampireです。セリフ付けの本と単純なリソース分配のメカニクスにより、プレイヤーは時代を越えて1人の吸血鬼の人生を記述していきます。

Thousand Year Old Vampireのセリフ付け
クレジット: Alexandre Santos

ソロでロールプレイングゲームを遊ぶことの最大の利点の1つは、必ずしも他のプレイヤーが興味を持つことがなかったかもしれないとしてプレイヤーが積み重ねてきた眠ってしまっている素材を利用できることです。ソロでロールプレイイングゲームをすることにより、プレイヤーが望むだけの密度と没入度で、一層、個人的で人を選ぶような(daring)テーマを探究することができるようになります。

ジャーナリングRPGにおいて、事前準備(initial investment)が少ないまま、プレイヤーはより深く私的な形で作者の設定を掘り下げることができます。プレイヤーは、ゲームブックの全ての設定を完全に読みこなす代わりに、ロールプレイングゲームの自由度と主体性を持ったまま、小説を読み始めるのと同じようにすぐに遊ぶことができます。ソロでロールプレイングゲームを遊ぶに当たり、様々なプレイヤーに配慮する時間を調整しなければないないといった問題はありません。プレイヤーは、多かれ少なかれ話の中のキャラクターたちと距離を置く余裕ができ、専ら1人のキャラクターだけを支持する必要もありません。

最終的な考え
ボードゲームやロールプレイングゲームの最大の利点の1つは、社交的な交流を円滑に進めることができる点にありましたが、より個人的なゲームの形式を作り出したり、ゲームの価値を広げてその価値を付加したりすることで、ソロゲームはゲームに貢献したことがわかります。

逆説的ではありますが、ソロゲームがかなり社交的な活動であることもわかりました。BGGでの1 Player guildは、最もダイナミックなコミュニティの1つとなっており、課題や新しいコンテンツが絶え間なく生み出され、ソロで遊んだゲームのトップ100を選出することが著名な毎年の恒例行事になりました。また、Solo Roleplayingのギルドも同じようにソロロールプレイヤーのコミュニティを形成しています。今では、多くのデザイナーが、試遊する人を簡単に募集することができる、ソロデザインコンテストに参加し始めています。

ソロゲームの発展はゲーム全体に良い有用性をもたらしており、この種のゲームがゲーム開発においてますます重要な考慮事項になるでしょう。

追記: コメントで指摘されたことから、Solo Roleplayingギルドについて加筆しました。

以上

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