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初手プレイヤーの優位性とゲームバランス(First player advantage and game balance)

(訳者まえがき)
意外にも"ボードゲームにおける非対称性とバランス調整“の記事に対する反響が大きかった。ボードゲーマーはもとより、ビデオゲーム(電源系)を背景に持つ人や、同人(インディー)ゲーム製作者から色々と感想を頂戴した。訳者としては望外の喜びである。そこで、関連するAnthony Faber氏の記事を翻訳した。

"ボードゲームにおける非対称性とバランス調整"よりも前に書かれた記事である。先にこちらを訳出したほうが良かったかもしれないが、このnoteでは、海外で話題になっている記事を出来る限りリアルタイムで共有することを一次的な目的としているのでご容赦いただきたい。

なお、本記事のタイトルはほぼ直訳であるが、結論を読むとタイトルとのギャップに驚くだろう。本記事の核心は、バランスをとるための各種方策を検討した後にある。ネタバレを避けるために、末尾に簡単な追記をした。興味があれば、最後までご覧いただければと思う。

本記事の翻訳・公開については、Anthony Faber氏の包括的な許諾を得ている。また、ヘッダーの画像は、宮島信太郎氏のものを使わせていただいている(みんなのフォトギャラリー機能を利用)。

原文は以下のリンク先を参照されたい。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」の最新回(※2021年7月時点)で聞くことができる。また、そこでは、Caféというカードを重ねていくゲームのレビューも含まれている。

ほとんどの現代の戦略ゲームには、解決すべき初手プレイヤーの難問が立ちはだかっている。一部のゲームでは、同時アクション選択形式(a form of simultaneous action selection)を採用してるが、大半のゲームでは、はっきりと区分された手番制(distinct player turns)を採用している。そして、そのような手番制は、初手プレイヤーが有利になるという形をとって、(ゲーム)バランスを必然的に崩してしまう。

現代の戦略ゲームでは、通常、価値や希少性が異なるアクションの選択肢が並べられ、初手プレイヤーは他の誰よりも先にカードを獲得したり、その場所を取ったりする。もし、ゲームがラウンド制を採用していれば、残りラウンドを通じて初手番の優位性を保つことになる。もし、ゲームがラウンド制でなければ、初手プレイヤーは、他の誰よりも多くの手番を行う可能性があるため、より一層大きな優位性を獲得するかもしれない。

クレジット: Jamey Stegmaier

ラウンド制を採用していない例を挙げると、「サイズ -大鎌戦役-」では、プレイヤーが特定の目標を達成した瞬間にゲームが終了する。つまり、そのプレイヤーとそれより前の手番プレイヤー全員が、それより後の手番プレイヤーよりも多くの手番を得ることになる。「サイズ -大鎌戦役-」の手番終盤で、どれだけ多くの得点が獲得できるかを考えると、かなり重大な話(a rather large deal)になる。

そのような優位性は、あらゆる種類の異なるゲームにも及んでいる(※原文はextend in toだが、extend intoの誤記)。ユーロゲームでは、その優位性により、他のプレイヤーよりも先に効率の良い(lucrative)アクションを取らせることになるだろう。戦争ゲーム(conflict games)では、初手プレイヤーが、他のどのプレイヤーよりも先に領土を占拠し、その他の目標を獲得してしまう。レースゲームでは、初手プレイヤーが……えぇ、(有利であることが)一層わかりやすいですね。そして、ラウンド制のゲームにおいて、同じプレイヤーが各ラウンドで初手番となるのであれば、その優位性が継続してしまう。

そこで、初手プレイヤーの優位性を調整する一般的な方策(common fixes)をいくつか概観し、その強みと弱みを考えた上で、初手プレイヤーの優位性との奮闘(fight for)をゲーム戦略の重要な一部に変えて独創的な解決策を実現したと、個人的に感じるゲームに触れようと思う。

ただ、始める前に少しだけ補足したい(A side note before I begin)。時折、先手番であることで、プレイヤーが明確に不利な立場に置かれるゲームがある。つまり、ゆったりくつろいで(sit back)他のプレイヤーが最初に何をするかを見ていることが、(ゲーム)システム上で有利になるということだ。しかし、この場合であっても、バランスが悪いことには変わりなく、いまだ対処される必要があるように思える。

段階的にコインを増やす
ありふれたユーロゲームにおける初手プレイヤー問題の解決策は、初手プレイヤーより後の手番を行う各プレイヤーに対して、先手番プレイヤー数よりも1枚多くのコイン(もしくは、その他の資源)を渡すことである(※1番手が1金であれば、2番手は2金、3番手は3金……)。このシステムは、単純で円滑に行われるもので、プレイヤーの数に応じてきちんと調整される(staggered)という利点がある。このような直接的で有形の利益を与える(システムの)欠点は、(※初手プレイヤー以外のプレイヤーが)初手プレイヤーの優位性の価値に見合った利益を実際に得ているとはいい難いという点だろう。また、モジュールによるセットアップが一般的となった時代においては、そのゲームの特定のセットアップ下により、初手プレイヤーが多かれ少なかれ不利になることがあるので、その問題はより深刻になってしまう。

クレジット: W. Eric Martin

初手プレイヤーのローテーション
ラウンド制のゲームにおいて、一部のプレイヤーは、次のラウンドで初手プレイヤーを時計回りに交替していくなどの方法で、この問題に対処している。そうすると、(初手プレイヤーの)優位性は、ゲームを通じて(理論上は)平等に巡ってくることになる。

ただ、ラウンド数がプレイヤー数で割り切れない場合に問題が生じ得る。例えば、「ブラッド・レイジ」を4人で遊ぶと、3ラウンドしかないので、全ラウンドを通じてあるプレイヤーは3番手/2番手/1番手となり、別のプレイヤーは2番手/1番手/4番手となり、また別のプレイヤーは1番手/4番手/3番手となり、更に別のプレイヤーは最悪なことに4番手/3番手/2番手となる。この場合、手番順が極めて重要なゲームにおいて、3番手/2番手/1番手となるプレイヤーと比較して、最後のプレイヤー(※4番手/3番手/2番手となるプレイヤー)は全ラウンドにおいて手番順が後になることを確認してほしい。このシステムは、初手プレイヤーの優位性が、概して各ラウンドで同じにはなるが、一部のケースでは明らかにそうではなくなってしまう。

平等な手番数
ラウンド制を採用していないゲームでは、ゲーム終了条件が満たされた場合、最後のプレイヤーの手番が終わるまでゲームを続けることがよくある。したがって、全員がゲームで平等な手番数を持つことになるし、時には、更にプレイヤー全員が追加の手番を得ることもある。これは、(「サイズ -大鎌戦役-」のような)平等な手番数を与えないゲームよりも公平であることに疑いようがない。しかし、必ずしも初手プレイヤーの優位性を軽減させるわけではなく、より一層強くならないようにしているにすぎない。例えば、「Beyond the Sun」は、追加手番を設けて、このシステムを実装しているが、依然として、技術獲得やコロニー選択の競争において初手プレイヤーの優位性を残している。

逆順での能力のドラフト
さて、初手プレイヤーの優位性に対してバランスをとるためのメカニズムが、実際のゲーム内において、プレイヤーがコントロールできる戦略となっているゲームに話を移してみよう。このシステムは、「マルコポーロの旅路」や「マルコポーロ2」の上級バリアントルールに見られ、プレイヤーは手番順とは逆順で非対称の固有プレイヤー能力をドラフトする。つまり、最初のラウンドで最終手番となるプレイヤーが固有能力等を最初に獲得し、初手プレイヤーが最後に選択をするまで続けることになる。このシステムは楽しく、革新的ではあるが、いまだ問題を完全に解決するには至っていない。例えば、マルコポーロの一部のセットアップ下では、全ての固有能力が比較的バランスの取れた状態になるものの、(やはり)初手プレイヤーが非常に重要となる。そのほかのセットアップ下では、手番順がさしたる問題にはならないが(trivial)、一部の固有能力がほかの能力よりもはるかに有利となることがある。このことは、完全に公平でバランスの取れたシステムを開発する難しさを示している。

プレイヤーが将来のラウンドの初手プレイヤーを決める
同じプレイヤーが毎回利益を取り続けないよう、将来のラウンドにおいて初手番となるプレイヤーが(プレイヤー間で)混ざるように、実装されているメカニズムがたくさんある。厳密にいうと、初手プレイヤーのローテーションはこの(メカニズムの)1つだが、プレイヤーが介在する余地がない(no player control)、単に自動で決まるシステムといえる。多くのゲームでは、次のラウンドの初手プレイヤーになる権利を得るために選択できるアクションシステムがある。

クレジット: Shanda Hoover

このようなシステムが最も一般的に見られるのは、ワーカープレイスメントゲームやアクション選択ゲームにおいてである。そのようなゲームシステムでは、実際に、初手プレイヤーとなる権利が与えられる(award)アクションスペース(action spot)がある。時々、そのような(初手プレイヤーになれる)アクションスペースから別の利益が生ずることがあるが、初手プレイヤーになる強さとのバランスを取るために、(普通の)アクション(を行うこと)から生ずる平均的な報酬ほどのうまみはない。例えば、Champions of Midgardでは、プレイヤーは初手プレイヤーとなれるアクションを取ることができるが、それに加えて、最も弱い種類のワーカーダイスを得ることになる。それ自体は、とても平凡なアクションだろう。このシステムは、初手プレイヤーが、次のラウンドで再度初手プレイヤーになるという利益を避けることで、よりバランスの取れたものとなっている。

クレジット: W. Eric Martin

「テラミスティカ」、「ガイア・プロジェクト」その他のゲームの一部では、ラウンドで最初にパスをしたプレイヤーが次のラウンドの初手プレイヤーになる。このことにより、プレイヤーは、次のラウンドで初手番を確実にとるために、ラウンドで通常行うであろうアクションを差し控えるようになるので、ゲームにより奥深さが加わることになる。また、パスをした最初のプレイヤーに対し、ラウンドごとにドラフトするボーナスタイルを最初に選ぶ権利も与えていることが、このシステムに更に深みを与えている。ただし、プレイヤーがパスするまで、前のラウンドからプレイヤーが保持していた選択(※タイルのこと)をドラフトすることはできず、自分がパスしてしまうと自身のタイルを返却して(他のプレイヤーに)選ばれてしまう可能性があるので、最初に選ぶことが最良とはいえないかもしれない。

「マルコポーロの旅路」では、旅行アクションを選択した最後のプレイヤーが、次のラウンドで初手プレイヤーとなる。ラウンドの初手番となることで大きな差をつけることができるので、初手番となるために旅行アクションを最後に行うことは強く、難しい決断を迫られることになる。しかし、他方で、そのラウンドの序盤で旅行アクションを行うことは、大抵安いコストで済む。プレイヤーは他のプレイヤーに先立って重要なボーナスも得るために、そうしたくなるかもしれない。

「ヘブン&エール」では、修正されたタイムトラックの最後まで動かし切ることによって、最初に自分の手番を終えたプレイヤーが、いくつかの報酬を選択する権利を得る。その報酬の1つには、次のラウンドで初手プレイヤーになるものもある。そして、手番を終えたプレイヤーごとに、まだ選ばれてないものの中から報酬を選ぶことになる。

初手プレイヤー優位に対する奮闘の中で導入された戦略は、どのゲームにおいても興味深いが、それらに共通する主な問題は、初手プレイヤーから時計回りでローテーションする手番順そのものにある(※player order than rotates clockwise……とあるが、player order that rotates clockwiseの誤記と考えた。)。これは、4人用ゲームにおいて、初手プレイヤーになることについて常に最大限の努力をしている人の左隣にあなたが座っていれば、あなたは努力せずとも各ラウンドで2番目に行動することができ、他方、残念ながらそのプレイヤーの右隣に座ってしまったら、逆に、毎回、最後/4番目の手番となるということである。

「テラミスティカ」は、少なくとも、(プレイヤー)全体のパスの順序が次のラウンドでの手番順となる上級のバリアントルールを設けており、このことは戦略的にはるかに望ましい。ルールブックにある唯一のルールでないのは(※バリアントルールなのは)、手番順を追っていくのが少し面倒(nuisance)だからというだけである可能性が高い。「テラミスティカ」から強く影響を受けた「クランズ・オブ・カレドニア」は、最初にパスをすれば、次に初手番となるシステム(pass first for turn order system)も採用しており、パスを早くすれば追加のコインの報酬ももらえる。その上、パスした順でプレイするというシステムだけを採用しており、最初にパスした人から時計回りに手番が回ってくるわけではない。

じゃあ、何が公平なの?
結局のところ、どのシステムにも強みと弱みがあり、比較的バランスが取れて、ゲームに面白さが加わるようなシステムを作るには、"正解の"システムを選ぶのではなく、むしろ決断のためのデータを用いることが最良の方法とかる。あなたが、デザイナーやデベロッパーに対し、ゲームにどれくらい初手プレイヤーの優位性があるのか尋ねたとして、その答えが、"広範なテストプレイデータによれば、他のプレイヤーが◯%の確率で勝利し、平均スコアが◯点であるのと比較すると、初手プレイヤーは◯%の確率で勝利して平均スコアは◯点となる"という場合じゃなければ、彼らはその場しのぎの準備不足であるとわかる(they are just winging it)。最善の対処法は、パーセンテージを算出し、優位性の大きさに基づいた対価(compensation)を設けた上、再度テストを行って、(プレイヤー間の)勝利数と点数が比較的同じになるかどうかを確認することだ。もしそうならなかったら、バランス調整してもう一度テストを行うことになる。

もちろん、小規模出版社の限られたテストプレイ要員よりも、現実のプレイヤーたち(player pool)のほうが多くのことがができるので、(初手プレイヤーの優位性だけでなく、全てにおける)真のゲームバランスは、後で発見される傾向にある。激怒したプレイヤーは、"なんで、あいつらはちゃんとテストしないんだ"と聞いてくるが、バランス調整というそれなりにまともな作業(a half decent job)を行うためのデータ算出に実際どれほどの労力がかかるのか、まるでわかってない。ただ、難しいとかデベロッパーが正しくバランス調整を行えないとかといった理由だけでは、やらない理由にはならない。(その理由を)以下で説明しよう。

公正さって重要なの?
ここまできたら、初手プレイヤーが有利だとかその他のこととかにおいてゲームがバランスを取れているかという点が本当に重要なのかどうか逡巡(wondering)してるかもしれない。近頃、デザイナー間では、ゲームバランスが過大視されているという考えが強くなっていて(In vogue)、中には、バランスの悪さこそがプレイヤーに気付き(discover)を与えるという考えを表明する人もいる。Cole Wehrle(※「ルート」、「パックス・パミール」の作者)のようなデザイナーは、公正さはうさんくさい(dubious)目標で、物語性を持つ面白さを生むシステム作りの前では太刀打ちできない(pales before)という意見を表明している。少なくとも、ゲームバランスの良さはゲームの面白くしないので、バランスの良さは過大評価されてるというのはよく言われる話になっている。

一方、これは完全に正しいというほかない。バランスの良さはゲームを面白くしないし、(プレイヤーを)没頭させるようなシステム作りとは無関係であることは間違いない。バランス取りに重点を置きすぎると、本質的な決定のない、不毛なゲームを作ることになり得る。つまり、バランスの追求は、単にすべてのアクションが等価値なゲームを作ることになるのであれば、果たしてどんな楽しみがバランスにあるのだろうか。

他方、バランスと公正さだけでは面白いゲームの創作には至らないが、公正さとバランスを欠いてしまうと、プレイヤーの楽しみを奪い去るのは間違いない。プレイヤーがゲームスキルを競うゲームと思っているのであれば、デザイナーやデベロッパーが、そのスキルが発揮できるような公正なテストを行うことに最大限の努力を注ぎ込んだと感じられるようにすることは必要不可欠だ。それは、プレイヤーとデザイナーとの間の暗黙の了解の一部といえるだろう。

このことは、ゲームのアートワークや製造と似た部分(somewhat analogous)がある。物理的な存在感が大きいことは(Having a great physical presence, ※豪華で大きいコンポーネントがあること)は、ゲームを面白くしないが、貧相だと(lousy)プレイヤー体験を確実に損なうことになる。バランスを良くしたり、公正さを増そうとする行為は、無味乾燥でつまらないもの(dry and anodyne)である必要はない。今まで見てきたいくつかの例からわかるとおり、公正さの探求は、プレイヤーの手番における初手プレイヤーの優位性のような、最初から備わっているバランスの悪さに対処することによって、実際に創作の良い機会になり得る。つまり、プレイヤーは、敵対プレイヤーと競い合って獲得しなければならない資源としてこの優位性に対処できるようになる。

今宵の話はもう終わりにしよう。どのゲームが、初手プレイヤーの優位性に対して創造的で見事な方法で対処していると思うか、下のコメント欄で教えてほしい。

※以下の記事は、本記事と強く関連しているので興味があれば参照されたい。

(追記)
noteでは個人的見解を記すことはできる限り避けているが、訳者がAnthony Faber氏と同じ意見を持っていることは否定できない。ありがたいことに、非対称性の記事に関して、ビデオゲーム界隈の方から、関連するツイートがあったので、ここで共有させていただく(ツイート①ツイート②)。

訳者はボードゲームデザイナーではない。自分の手で創作していない訳者には、ゲームデザインの良し悪しについて"自信を持って"語る資格を持ち合わせてはいないと考えている(とても"良くない"と感じたゲームを友人と共有する程度である。)。
ゲームバランスの観点から、"欠点だ"、"つまらない"、"きちんとデベロップしているのか"という批判を見聞きすることがある。そのような批判は、安易にされていて、的外れなことが少なくないと感じている。ゲームが崩壊するようなバランスの悪さ、痛烈な批判対象となるほどバランスを欠くといったゲームは世の中にそこまで多くあるのだろうか。本記事でも言及されているとおり、ゲームの本質的な面白さとはかなり薄い関係ではないかと個人的には思う。
訳者は、上記のようなレビュー態度をとる人の評価をほとんど信用していない。もっとも、これはバイアスの1つであろう。

この記事が、何かしらボードゲームのレビュー、批評において意味を持つのであれば、喜ばしいと思っている。

以上

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