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ボードゲームレビュアーが陥る3つの大きなバイアス(1)

Board Game Geekにあった以下の投稿が個人的に面白かったので翻訳した。ボードゲームのレビューに関して,なんとなく思ったり感じたりしている事柄について丁寧に論じられており,有益だと思われる。記事が長くなってしまったので,不本意ながら分割して記事を投稿する。なお,元の投稿者であるAnthony Faber氏から翻訳の許諾を得ている。

※翻訳に当たり直訳的な表現をとっていない箇所がある。読んでいて違和感を覚えたら原文を参照されたい。必要と感じた箇所があれば,括弧を用いて言語を引用したり,訳注を付している。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」の最新回(Summoner Warsの新版レビュー)で同じような議論をしているので聞いてほしい。

この投稿は,レビュアーが姑息なステマをしているだとか,くそみたいな(crappy)ゲームを宣伝して金をせしめてるだとか,そんな話ではないんだ。もし,そういう話題を求めているならば,Redditに行けば,そんな君に対してうんうんと頷いてくれる人に出会えると思うよ。

多くのボードゲームレビュアーは,評価が偏っていると指摘されることにびくびくしており,そのような指摘を個人的な悪口(affront)だとみなすことさえある。結果として,レビュアーは,反省するよりも自分がいかに公正で誠実な人柄かを説くようになりがちになる。でも,バイアス(偏り)にどういう意味合いがあるかを考えてみれば,このようなレビュアーの防衛反応なんて用なしになる。この投稿は,(レビュアーの)腐敗についての話じゃない。

メリアム・ウェブスター(アメリカの出版社,特にその辞書・辞典で有名)を引用すると,バイアスとは,気質(temperament)や物の見方(outlook)の傾向,特に個人的で,時には不合理な判断とある。

ほら,僕らみんなバイアスを持っている。つまり,僕らはみんな違った物の見方,嗜好,分別を持っていて,そういったバイアスの中には不合理で恣意的なものがある。

バイアスを除去するという不可能な目標を掲げるより,バイアスについてよく知ったほうがいいと提案したい。バイアスについてよく知れば,レビュアーも読者や視聴者に良いサービスを提供できるはず。

わかりやすい例を挙げると,Rhado(Richard Ham,Rahdo Talks ThroughというボードゲームYouTubeチャンネルのホスト)は,自身をケアベア(carebear,ゲーム中の欠陥やトラブルを好まなかったり避けようとしたりする人≒griefer)と称し,プレイヤー間の衝突を生じさせるゲームは好みではないと話していることが多い。彼は自身のバイアスを明らかにして,視聴者に参考にするか否かを選択できるようにしている。

全てとは言わないまでも多くのレビュアーは,リチャードのようにゲームの個人的な嗜好やバイアスの共有にはとても好意的だ。どのようなバイアスに基づいているかを知ることができる。そして,これらの好みはレビュアー間でも大きな幅がある。私がまさに話題にしようとしている3つのバイアス,特に,2つ目のバイアスと3つ目のバイアスについては,ほとんどのレビュアーが普遍的に持っているんじゃないかと考えている。少なくとも,レビュアーがこれらのバイアスにほとんど気づいていないとか,認識していないとかと思っている。盲点があると人に説明できないならば,それは盲点とはいえないのかもしれない。そこで,これから3つのバイアスについて説明をしたい。

3.魅力バイアス(Attractive bias)
全てのボードゲームレビュアーがこのバイアスを持っているわけではないが,僕を含めて多くのレビュアーがこのバイアスの影響下にある。多くのレビュアーが,これは正当な批判や称賛であると異議を唱えてくる。見た目やコンポーネントは重要な要素で,ゲーム体験に影響を及ぼす,まずもって,わくわくするゲームシステムに関して偏った見方(biased)しかできない場合とどう違うっていうのかという具合だ。

これに応えるために,見た目のバイアス(Appearance bias)には大きく2つの観点から違いがあることを言いたいと思う。①ゲームの見た目は,プレイヤー体験にどれだけ影響を与えるかという観点から必要とされている量を超えて議論されることが多いこと,②見た目のバイアスは,どのゲームがレビューに取り上げられ,話題になるのかの点で大きな影響を与えているということである。

この2つはよく理解できることかと思う。ゲームメカニズムについて話題にしたり,特に何度も遊んだ後,ゲームメカニズムに対してどのような感想を抱いたりしたかを話すことはとても能力が試される。しかし,ゲームの見た目が気に入ったとか,気に入らなかったとかを言うことは極めて簡単な作業になる。レビュアーは,ゲームの見た目については確たる自信を抱いて話せるんだ(stand on very solid footing)。レビュアーは,プレイヤーの様々な力学のバランスを的確に分析できないかもしれない。けど,カードアートやボックスカバーが美しいか美しくないかは自信を持っていうことができる。私は嫌み(snide)を言っているわけじゃない。見た目は重要だし,レビュアーは,見た目について明確に意見を言うべきだとは思う。ただ,時々,レビューや第一印象を見てると,コンポーネントについて半分以上の時間を費やしていることがあるんだ。特に,レビュアーがゲームを知り尽くしていない場合,より確信を持っているだろうコンポーネントやアートに関する意見に偏ってしまいがちなんだよね。

そして,見た目バイアスより大きな問題は,2つの観点のうちの後者(②)にある。つまり,レビュアーは,醜い(ugly)ゲームについてあんまり話さない。これもまた頷けると思う。毎年,個人が遊べる10倍の数のボードゲームが出版されてる。そんな多くのゲームに囲まれて,レビュアーは,ルールを読むまでどうやってゲームをプレイするのかほとんどわかっていない状況にある。だから,一目見れば少なくとも美しいかどうか判断できるのだから,より美しいゲームに目を向けるのは当然のこと。特に,この現象は,期待するゲームのリストにも表れている。僕は,今,エッセンのためのリストをつくっているところだけど,単に見た目が素晴らしいという理由だけで一,二個リストに入れてしまうもの。

さて,何が問題なんだろう。まさに,醜いゲームが見過ごされたり,低い評価を付けられたりすることだろう。もし,隠れた名作(gems)を探しているのであれば,見た目がパッとしない(unspectacular)ゲームをまず見るといいね。最初からそこまで注目は集めていないだろうし。レビュアーだって,大ブレイクするヒット作がこんなにダサい(blend)見た目だったら見向きもしないはずさ。BGGのトップ20のゲームには,美しいデザインのゲームがあれば,醜いアヒルのようなゲームだってある。テラフォーミング・マーズ,ブルゴーニュの城,コンコルディア。これらは美しさのコンテストでは優勝できない。それらのほとんどは,批評家によって直ちにスターダムにのし上がったわけではない。むしろ,ゆっくりと燃え上がっていった作品なんだ。

続きは以下の記事で。

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