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ボードゲームレビュアーが陥る3つの大きなバイアス(2)・終

前回記事の続きから最後まで訳出した。
予想以上の反響があり,長くなってもいいから一つの記事にまとめちゃえばよかったと後悔しております。

せっかくなので補足しておくと,投稿者であるAnthony Faber氏は、こちらの2つのバイアスのほうが深刻であるという認識のようです。
また,考察の対象となっている「レビュアー」は,主としてYouTubeチャンネル,ポッドキャストでレビューを行っている人(特にキックスターターのレビューや新作の先行レビューをしているような人。前回の記事の最初の方でステマが云々と言っていることからもわかるかと思います。)が想定されています。いわば商業レビュアー。したがって,私を含めて趣味の一環でボードゲームの感想をつぶやく人にとっては別に気にしなくてもいいことです。もっとも,そんな私たちも,プロレビュアーやそうじゃない人のレビュー,ボードゲームに関する感想・つぶやきは読んで参考にしています。そういう時にこんなバイアスがあるよって知っておけば、私たちが情報を吟味するにあたってクオリティが上がるんじゃないかなって思ったのと、感想を書くにあたって、こういうことを知ってると知ってないとでなんとなく書き振りも変わってくることもあるんじゃないかなって思ったわけです。そういう意味で有益で面白いと感じ、翻訳しました。
心よく(というか二つ返事…笑)翻訳の許諾をしてくれたAnthony Faber氏に心から感謝します(日本で反響があったって教えたら驚きつつも喜んでおりましたよ。)。

※追記・誤字・誤訳の修正があれば適宜アナウンスします。

2.短期バイアス(Short term bias)
魅力バイアスがそんなに大したもんじゃない(not overwhelming)なら,次の2つのバイアスはレビュアーがゲームを見る際に劇的なインパクトを与えているということを議論しよう。この“輝かしい”バイアスは,最初の数回のプレイが最も楽しくなるゲームを好む。反対に,何回もプレイしないとコツがわからないゲームには否定的な立場となる。

これもまた理解できることだ。世の中にはたくさんの選択肢があって,ゲーマーは,傑出していないものにこだわる道理はない。より重要なのは,レビュアーがたいていレビュー前に数回しかプレイすることができないことだろう。僕は,別にこれを批判しているわけじゃないんだ。フォーラムで,"レビュアーはレビュー前に何十回もプレイする必要がある"なんて叫んでいる連中は,レビュアーに金を払うか,黙ってろ(STFU)って言いたくもなるさ。大量のレビューを求める連中の権利意識は強いものよね。加えて,このような批判のほとんどは,ネガティブなレビューがされた後にゲームファンから述べられており「お前さん、よーこんなネガティブな評価を付けられたもんやな,十分にプレイしたんか!」という感じに言われている。

嫌いなゲームが数回ほど遊んだ後に好きになることなんて稀で,評価がネガティブになるには数回のプレイで足りることが多いと思う。しかし,この逆は結構あることで,ちょっと遊んで好きになったけど,その後,単調に感じたりする。あるいは,数回遊んで良いゲームかなぁくらいに思ったけど,理解し始めるとだんだんと素晴らしさに気づいていく。

どんなゲームが長期的に残り続けるかを判断することは,ほとんどのゲームを長い目で遊び続ける時間のないレビュアーにとっては最も苦手なこととなる。そして,レビュアーには長期間のリプレイ性を判断する時間がないので,レビュアーの焦点は,ゲームの見た目やゲームの進行により生じる正のフィードバックループからどれだけドーパミンが放出されるかといった目先の事柄に当てられてしまう。繊細さやバランスといった観点が見過ごされるのは必至だ。

レビュアーの中には,この点に関する自分のバイアスに気づいてすらいない人もいる。ガイアプロジェクトをこき下ろした(condemn)最近のレビューには,特定のセットアップ下においてある種族が他の種族よりはるかに有利になる,新規プレイヤーにとってすぐにわかるものじゃないなんて言われてた。彼の言葉からすれば,種族を選び,そのセットアップ下において不利な種族であると発見するという流れは,"ゲームの構造的な大問題"なんだってさ。まぁね,数回しかプレイしないのであれば,問題よね。でも,ゲームを何度も繰り返してプレイするのであれば,色んな種族が異なるセットアップ(situations)で違った動きをすることを発見するのって,めっちゃおもしろいじゃない。さっきのレビュアーは,"ガイアプロジェクトが何度も遊ぶことでおもしろさ(強み,strength)がわかるゲームで,たまにしか遊ばないプレイヤーにとっては最適な作品ではない"なんて言ってはなかったけどね。ここで,示唆されるのは,長期的に遊んでくれるプレイヤーに合わせてゲームデザインするのは,悪手じゃないかってことになる。

レビュアーのこのようなバイアスは,実のところ,ゲームの出版数が増加するにつれて,年々ひどいものになっていっている。20年前をみると、初回プレイで気に入らなかったゲームでも,そんなにほかの選択肢があったわけでもないのでもう一回やってみようって気になってた。今では,すぐに他のゲームをやろうかって話になる。これが悪いなんて言ってるわけじゃない。お金を払ったから,気に入らないゲームでも遊び続けなきゃいけないって考えるのは,典型的な埋没費用の誤謬だ(sunk cost fallacy,事業や行為を中止しても戻ってくるものではない費用を考慮した結果,合理的でない誤った判断を下すこと,コンコルド効果とも知られている。)。

でも,学習曲線(mastery curves)が長くなるゲームは世間の注目を集めるのが非常に難しくなってることを意味している。一つ例を出すと,競りゲームは非常に珍しいものとなったことは間違いない。20年前には,競りゲームは腐るほどあり,クニツィアは競りゲームでヒット続きだった。今では,競り要素のあるゲームはあんまり見ることはないし,純粋な競りゲームはもっと少ない。最初の二,三回のプレイでは,プレイヤーは価値の相場を判断することにてんやわんやとなる。せっかちな現代のゲーマーたちは,そのようなゲームのすばらしさ(brilliance)がわかるまでそういったゲームに執着することはないだろう。

補足だけど,レビュアーがリプレイ性に言及するときって,大抵は箱の中にどれだけ多くの物が入っているかという点に着目しているのは明らかよね。どれだけのシナリオが入っているか,どれだけのカードが入っているか,どれだけのプレイヤー固有能力があるかとかね。こういったことは数えれば簡単にわかることで,真の多様性とかリプレイ性とごっちゃにしてしまいがちだと思う。

少ない回数しかプレイしないことによるバイアス(low play bias)は避けられないし,すぐに拭い去れるものでもない。でも,レビュアーの話を聞いてみて,彼らがゲームメカニズムに触れて生じた即時の快感(immediate rush)に対して自然と湧き出た楽しみ(spontaneous joy)を表現しているのか,それともゲームの繊細な部分をより深く掘り下げる必要に駆られているのか(are called to dig deeper)を確かめることはできる。ゲームを三,四回くらい遊んで,次の注目作に気が移るのであれば,こんなことを気にする必要なんてないから,このままの調子で頑張ってほしい(more power to you)。少ないものごとを完璧にするよりも,いろんなものをつまみ食いするようなグルメさん(epicurean)には何ら支障がないよね。もし,長い間にわたってゲームを堪能することに期待しているのであれば,実際に何回もプレイしたことのあるゲーマーが投稿したBGGのレビューを読んだほうがいいと思う。

1.独自性バイアス(Originality bias)
僕の最初か2番目の投稿のタイトルが「オリジナリティの過大評価」(Originality is Overrated)だったので,僕がこの問題に対してバイアスを持っているんだろうと察してほしい。ほとんどのボードゲームレビュアーは,私に反対している。まず,ゲームデザインのオリジナリティは一見してよくわかるもので,みんながよく注目している事柄だ。次に,そしてより重要なのは,ボードゲームレビュアーは何百ものゲームを遊んでいるので,そんな人たちを喜ばせるためには,彼らが遊んだことのある78つのワーカープレイスメントゲームとは違うデザインなんだって思わせる必要がある。

これがもっともであるだけでなく,ジャンル(mediums,直訳はメディアになるが後の文章との整合性からジャンルと訳した。)を超えて批評家一般に当てはまることでもある。いったい,なんで映画評論家が新しい実験的なフランス映画を好んで,新しいアベンジャーズの映画を小バカ(scoff)にするんだろうかね。単に嫌味なやつってだけじゃなく(まあ,ちょっとはそうだろうけど),独自性バイアスが原因なんだよね。音楽評論家がビートルズみたいな音のバンドと全く新しくてユニークな音のバンドのどちらをべた褒めするだろうか。これも独自性バイアスが原因なんだ。

自分が新規性を楽しんでいたり,求めがちだったりするほかに,このバイアスにかかる理由の一つは,一つのゲームだけを見るのではなく,ゲームデザインが業界全体を前進させ,将来のゲームに新たな可能性をもたらすかどうかといった批評家の視点が全体的にあるからなんだ。

さらに,批評家たちは何度もゲームを遊ぶわけではないし,ビジュアルの面かメカニズムの面において,他のゲームとは違うゲームであると語り合うことができる際立ったゲームを探している。その結果,批評家が受け入れるオリジナリティは目立っていて,明白なものになりがちだ。批評家は,エリアコントロールのゲームにおいてどのようにキューブを配置させるかといったちょっとした工夫を称賛しない。むしろ,このエリアコントロールのゲームでは,キューブを置いたエリアをコントロールするに当たって巧妙な要素があるんだ,なんて話がしたいわけ。大げさに言っているんだけど,要点を言うと,レビュアーは,些細なイノベーションではなく,際立っていて明白なイノベーションについて話すのを好んでいる。それは,より簡単なことだし,些細だったり時間がかかったりするようなイノベーションをよく見過ごしてしまうからなのさ。

このバイアスについて,レビュアーはほとんど考えが及んでいないんだけど,レビュアーは否定するわけではなく,むしろゲームを素晴らしくするために必要で,正当なものとして捉えている節がある。実際に,このバイアスは,たくさんのレビューに組み込まれており,何度も何度も特定のキャッチフレーズを聞いたことがあると思う。

「このゲームは何も新しいところがないね。」
「このゲームは新鮮な空気を吸ったようだ。」(独自性がある)
「こういうゲームは前にも見たことがあるわな。」

こういったフレーズを意識してしまうと,いつでも耳に入ってくるようになる。新しいものがたくさんあるゲームは,そうじゃないゲームよりも良いものであることは当然だろう。僕が思うのは,レビュアーではないゲーマーのほとんどは,レビュアーが思っているほど独自性に関心がないということ。ゲーマーのほとんどは,好きなものは好きだし,嫌いなものは嫌いなんだ。レビュアー村の外では,”このゲームには独自性があるんかい?”って問いが出ることはほとんどない。

この現象の具体例を見たいのであれば,ボードゲームにとって素晴らしい1年であった2016年のThe Dice Tower(ダイスタワーは海外の有名ボードゲームYouTubeチャンネル)のレビューをいくつか見てみるといい。ところで,ダイスタワーを槍玉に挙げるわけじゃないのは了承してほしい。ダイスタワーは並外れた仕事をしている。ダイスタワーはレビューを網羅しているから,ゲームレビューを比べるのにうってつけなだけなんだ。

この年に出版されたゲームには,キャプテンソナー,Tyrants of the Underdark(以下「TotU」という。),ミレニアムブレード,ミスティックベールがある。このうち,TotUを除いたすべての作品が,Tom Vasel(ダイスタワーのホスト)とダイスタワーにより過剰な称賛を受けている(たくさんの他のレビュアーからも同様である。)。それらの作品がどんな独自性があるかというと,キャプテンソナーにはリアルタイム,秘匿情報,ミレニアムブレードにはカードの収集体験の再現があり,ミスティックベールにはカード制作があった。トムは,これらのゲームの新規性や独自性についてめっちゃしゃべりまくってたさ。

では,TotUについてみると,トムは控えめながら肯定的な評価をしているんだけど,彼の評価について詳しくみると,「最初にこのゲームについて言いたいことは,新しい要素があんまりないんだ」って発言をしている。彼は,レビューを通じて3回もこのことを述べており,毎回,「いいよいいよ,ゲームとしてうまい具合さ,全てのゲームがもれなく多くの新しい要素が入っていなくてもいいんだよ。」とも言っている。彼は,誰に向けて話をしているんだろうかね。彼は,間違いなく,ゲーマーがゲームにどれだけオリジナリティがあるかを気にしていると思っている。こんなにくどくどと言い続ける必要はないからね。でも,私は,ゲーマーのほとんどはそうじゃないと思っている。

さて,皮肉なことに,ゲームの基本的な要素が従来からあったものかを何度も何度も言い続けていると,デッキビルディングとエリアコントロールとがブレンドされた場合とかのように,結果として完成した組み合わせにどれほど独自性があるか見逃してしまう。ダイスタワーは,リースのピーナッツバターカップ(ハーシーカンパニーが販売している,ピーナッツバターを詰めたチョコレートカップでできたアメリカのキャンディー,うまそう)の発売当初にレビューしてたら,チョコレートとピーナッツバターは昔からあるよねって何度も説明しなきゃいけないなんて思ったんだろうか。

BGGでは,TotUは,高価格で出来栄えがあんまりよくなかったにもかかわらず,キャプテンソナーよりわずかに低くランクされており,ほかの2つのゲームよりもかなり上位にランキングされている(なお,もうすぐ出版される新版では,少なくとも悪い点が解消されているみたい。)。また,主要なレビューでは,TotUを高く評価しているんだけど,他のオリジナリティあふれるゲームみたいに興奮した感じでわめきたてているレビュアーはいなかった。レビュアーは,堅実なデザインを認識することができるけど,骨組み自体に新規性がみられないと,レビュアーの熱狂的な支持を聞くことはできなさそう。

繰り返すけど,このちょっとした例は,ダイスタワーをディスったり,他のゲーム(キャプテンソナー等)を批判したり,TouTが好きじゃない人がバイアス野郎だなんて言ったりするつもりじゃない。単に,レビュアーがいかにオリジナリティに重きを置いているかを説明するためなんだ。トムは,オリジナリティは楽しさよりも重要なんだねなどと指摘されたら,とても嫌がるだろうね。実際,彼は,何度も何度も楽しさはオリジナリティを含めた全てに優先するなんて言っているしね。要するに,レビュアーにとってみれば,オリジナリティがゲームを楽しくする大きな部分を占めているのだから,2つのこと(オリジナリティと楽しさ)を明確に分離はできない。それはそれでいいんだけど,他の多くの人にとっては,必ずしもそうじゃないってこと。

今日はこれくらいにしよう。下のコメント欄(元の投稿の下のコメント欄のことで本ページではない。)で,ほかに見たことのあるバイアスとか教えてほしい。もしくは,レビュアーが魅力,短期の結果,独自性といったバイアスにかかっているという主張が間違っているというなら理由込みで教えてほしいと思う。読んでくれてありがとう!

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