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9タイプの困ったボードゲーマー(9 types of irrational actors)

(訳者まえがき)
「ボードゲームレビュアーが陥る3つの大きなバイアス」を書いたAnthony Faber氏の新しい記事を翻訳した。BGGでも話題になっており、翻訳する価値があると思われた。

本文中にも出てくるが、この記事において、"irrational"はそこまでネガティブな意味ではなく、やや中立的な意味で使われていると思われる。こういった場合に、どのような訳語を当てるかは難題である。タイトルではポップさを優先して"困った"と当てたが、本文では語義のとおり、"非合理的"という訳語を当てている。より適切な訳語があるかと思われるので、アイディアがあればご教示いただければ幸いである。また、"actors"について、タイトルではわかりやすさから"ボードゲーマー"としたが、本文中は"参加者"という訳語を当てている。

翻訳して思ったのは、ボドゲ会を含めたボードゲームのプレイ環境は、国内外を問わず、ミスマッチの問題を抱えているということかな……。

ヘッダー画像はひふみよ5678氏のイラストを使用させていただいた(noteのみんなのフォトギャラリー機能を用いている。)。
また、当然のことながら、当記事の翻訳・公開に当たっては、Anthony Faber氏の許諾を得ている。毎度、快く許諾してくれることには感謝しかない(というか、「包括的に同意しとくわ」ってどいうことなのかw)。
元記事は以下のとおりである。

もし,あまりの文章量に目がかすんでしまったら,ポッドキャスト「Two Wood for Wheat」の最新回を聞いてほしい。最新回では、Dune House Secretsのかなり辛辣なレビューをしている。

これは、ボードゲームを非合理的に遊んでいる人々を10タイプ(※9タイプしかなく、誤記の可能性が高い)に分けてリストアップしたものだ。ここでいう非合理的というのは、ゲームに勝つことよりか、何か他のことに対して強く固執している(follow strong motives)ことを意味している。

"楽しむためにゲームを遊んでるのであって、勝つことが全てじゃない"って言いたくなる人がいると思う、けど安心してほしい。醜悪な勝ち負けにしか興味がないバーサーカー野郎に向けた議論(obnoxious hypercompetitive argument)をするつもりはないよ。もし、"楽しむ"ということが、肩の力を抜いてゲームをするとか(not taking the game too seriously)、勝ち負けついて囚われすぎないとか、ストレスにならないようにするとかという意味ならば、まさしくそのとおりだと思う。もし、"楽しむ"ということが、ゲームに勝つためのささやかな努力すらしないという意味ならば、そう、まさしく私が"非合理的な参加者"(irrational actors)と称する人になる。

この言葉(非合理的|irrational)は、別にエリートたちが優越性を示すための言葉(elitist term of superiority)ってわけじゃない。非合理的(irrational)って言葉は、ある意見に賛成する人たちを排斥する(dismiss)時によく使われる。私は、勝利以外のほかの何かのために遊んでるって意味で使っていることに注意してほしい。

私は、非合理的な参加者が悪いなんて言ってはいない。一緒にゲームを遊んでいて不快な人々のリストなんてたくさんあるさ。でも、これはそういったものの1つではない。非合理的な参加者は、とても感じ悪い人かもしれないし、感じの良い人かもしれない。でも、そこが本質的な問題ではない。問題は、非合理的な参加者が分別よくゲームを遊ぶことの妨げとなる何か強力な力として作用してしているってことなんだ。

非合理的ってのは、愚か(stupid)って意味でもない。誠実な努力をしている、ゲームが下手なプレイヤーは、私のこのカテゴリーの中には含まれない。私のこのリストに含まれるような人たちに当てはまるゲーム関連の問題を引き起こすことはないだろう。

さらに、パーティーゲームやみんなで推理するようなゲーム(social deduction games)における非合理的な参加者は、このリストには含まれない。前者(パーティーゲーム)では、勝つことが目的ではないからだ。後者(みんなで推理するようなゲーム)では、プレイヤーは他の人を騙すために非合理的な参加者のふりをするもので、そのことは、ゲームに勝つためという個々の目標において、とても合理的であるといえる。むしろ、私が話しているのは、戦略的なゲームにおける非合理的な参加者についてなんだ。

リストを見始める前に、最初になぜこのことが問題なのかって疑問に答えないといけないよね。ゲーム内で勝つこと以外の違った目標を持つ様々な人がいてどこが問題なんだろう。

答えは、こういった他の目標が、二次的であまり強調されていないのであれば、全く問題ではない。むしろ、より良いもの(benefit)になるかもしれないといえる。例えば、ゲームを教えている人(a  game teacher)が、悪手(dubious strategic path)として知られているような手を打つといった非合理的な行動をとって、初見プレイヤーをボコボコにしない(don't demolish)ようにしているとすると、それは他のプレイヤーの体験を充実させるものになるかもしれない。

だけれども、全然勝つ気がないことが明白なくらい一線を越える非合理さになると、それは社会的契約(the social contract)が破棄されたということになる。ゲームにおける暗黙の社会的契約とは、通常、"ひとまずのところ、このゲームが重要なものと思うことにして、決められたルールに基づき、勝つための努力をしよう"といったものだ。ルールを破るプレイヤーは、社会的契約を破ることになるのと同じように、勝つためのささやかな努力すらしないプレイヤーも同じことをしてる。

少し違った見方をすると、プレイヤーがズルをしたら、腹立たしくなるよね。何でだろうか。お金を賭けて遊んでない限り、彼ら(ズルをしたプレイヤー)は何も奪ってないし、他の誰かを、文字通り傷つけるようなこともしてない。しかし、彼らは、ルールに則って遊ぶという暗黙の社会的契約に違反しているんだ。

同じように、スポーツをしていて、ある人が結果に影響を与えようともせずに、突っ立ったまま携帯電話で遊んでいたとする。そいつは誰も傷つけてないけど、それでもすごい腹立たしいと思うかもしれない。そいつは、勝とうとするという暗黙の期待、つまり暗黙の社会的契約を破棄しているからなんだ。ズルするやつと勝とうとしないやつの両方とも、他のプレイヤーが特定のルールに基づいて競い合う努力を台無しにする。そして、つまらないゲームとなり、その面白さを削いでしまう。そいつらは、あまりに単純とか、あまりに恣意的とか、ルール外のことを持ち出すとかといった結果を生じさせる。

"全く勝とうとしない"というのは、問題を明確にするために使った、非合理的な参加者の極端な例ということに注意してほしい。私が経験したほとんどの例はそこまで極端ではないけど、それでも他のプレイヤーのゲームの競技体験を悪くする影響を及ぼしていた。

じゃあ、これから具体的に見ていこう。

関心のない人(The disinterested)
これはおそらく、非合理的な参加者の最も極端な例になり、一緒に遊ぶと最悪な場面の1つになるだろうね。こういう人は、うわべでは遊んでるけど、そのゲームに興味ゼロだ。おそらく、そのゲームが嫌いなんだろう。もしかすると、本心ではゲーム自体やりたくもないのに、騙されて遊ぶことになってしまった(roped into it)なんて感じてるかもしれない。ひょっとしたら、何か重要なことで頭がいっぱいで、ゲームに集中できないのかも。

どんな場合であっても、関心のないプレイヤーは、ゾンビみたいに手番を眠ったように流し(sleepwalk)、ほとんどランダムな動きをする。時々、ルールミスを起こし、それを訂正されても態度を改めない。その代わり、ランダムな動きを重ねていき、プレイエリアから目を離してしまう。

この種の人は、ゲームの競技体験を損ない、全てのプレイヤーの楽しさや雰囲気を壊すほどのものなので、私が手番を止めて、"今夜はこのゲームにのめり込んでないように思えるから、他の別のゲームをやった方がいいんじゃないかなぁ"なんて言ってゲームを中断しようと提案することになる珍しいカテゴリーに含まれている。

注意散漫な人(The distracted)
これは、関心のない人の中で、そこまで極端ではない人たちになる(sub-category of the disinterested)。本当はゲームを遊びたいんだけど、携帯電話や近くにいる人たちとのおしゃべりに気を取られちゃっているなどなど、こういった人のことなんだ。

注意散漫な人の手番の行動が遅いってだけなら、戦略的な判断において非合理的な参加者ってことには全くならない。一緒に遊んでいて迷惑な人かもしれないが、重ねて言うけど、こういった類のゲーマーってだけで、非合理的な参加者というわけじゃない。

注意散漫になって明らかなミスを犯してしまう場合、非合理的な参加者のカテゴリに含まれることになる。私は、ここでアドバイスをするわけではないけど、私が何か指摘しようとする気持ちは、その人のことをどれだけよく知っているかと正比例するということだけは言っておこうと思う。

酔っ払い(The drunk)
笑う人もいるかもしれないけど、何度も公共のゲームエリアで酔っ払ったプレイヤーに出会ってきたんだ。社交的なゲームであれば、愉快なものになり得るけど、戦略的なゲームでは、ゲーム体験が不安定なものとなり、人間関係的な面(social experience)においても不愉快な思いをする。プレイヤーが酔っ払っている人を安心して受け入れる唯一の場所は、ポーカーのテーブル(at poker players)だ。そこでは、他のプレイヤーは酔っ払いが全財産を失うまで付き合ってほしいと望んでいるからね。それに、警備員に引きずり出されないようにするために、呂律の回ってない酔っ払いがシラフであると強く主張するプレイヤーを見たことがある。

これは、社交的な体験と戦略的な体験が大きく異なる一場面ではある。私は、参加する上位トーナメント全てにおいて酔っ払ったまま出場しているトレーディングカードゲーム(collectible games)の上位プレイヤーを知っているけど、それでも、とても良いプレイを行っていた。というか、シラフだと全くプレイできないんだけどね。

だから、酔っ払った人というカテゴリーを作ったけど、それが、どう対処したらよいかとか、酔っ払った人をどう介抱したらよいかといった社会的な問題を指しているのではないんだ。それが戦略的な体験にどう影響するか、劇的に変わるのか、全く変わらないのかといった点を見てほしい。(酔っ払いの)排除につながるような社会的一線は、喧嘩腰であったり、他人のパーソナルスペースを侵害したりすることになるけど、(ゲームの)戦略的な側面からみると、手際良く自分の手番をこなせなかったり、ボードの状態をめちゃくちゃにしたりするなどして、ゲームを台無しにするところにある。

無知な人(The ignorant)
これは愚かという意味ではなく、単にゲームの特定の要素を知らない人を意味する。もし、インストの3/4ほど終えて、そのほとんどを理解することなくゲームを始めようとしたら、それは非合理的な参加者ってことだ。

ある種の難しいゲームにおいては、ルールを理解した知性的な人であっても、初見では非合理的な参加者となる。ゲームの難度によっては、非合理的なプレイをしてしまい、(そのゲームの)経験者にとって面白くないものになり得る。もし、あなたが経験者と一緒にプエルトリコを初見でプレイしたら、あなたの後に座った人が、あなたの避けられないミスを全て利用して勝者となるだろうね。

初見プレイヤーが悪者だなんていうつもりは全くない。難度の高いゲームでは、大抵、初見プレイヤーが非合理的な参加者で終わることが多いので、単に初見プレイヤーと経験者を混在させると、ゲームが悪くなってしまうねという話なんだ。

目立ちたがりや(The attention seeker)
ここからは、知識の有無といったところではないタイプのプレイヤーについて取り上げていこうと思う。"私を見て"的なプレイヤーの最上位の動機は、注目を浴びることで、勝つことじゃない。そして、非合理的な動きは、あえて人々に注目されるように仕組まれたものだ。ボード上の全ての自分の駒を一列に並べるかもしれないし、他のプレイヤーが必要とするアクションスペースをあえて取るかもしれない。それらは、自身が勝つための戦略的な努力として行われたわけではなく、単に他者を怒らせて注目を集めるために行われているわけ。

目立ちたがりやは、キングメーカーになりたがる。勝って注目を集めなくとも、少なくとも勝者を作り上げて注目を集めることができる。それに、まさに勝つところだと思っていたのに負けてしまった人からネガティブな注目も浴びることができる。

この種のプレイヤーは、本当に面白いコメディアンか、単に醜悪な品のないやつ(an obnoxious buffoon)のどちらかだが、いずれにせよ、戦略的な体験を間違いなく損なうような存在だ。

恨みを持つ人(The grudge holder)
こういったプレイヤーは、初期の思い違いによるあしらい(some imagined slight)に腹を立てて、そのプレイヤーをこてんぱんにしようとして残りのゲームを費やす。彼らは、復讐心で頭がいっぱいになってしまい勝つことを完璧に諦めてしまう。時として、誰かが本当につぶしにかかってきたので、そういう復讐心を抱いてしまうことに理解できるときもあるが、そうじゃなければ動機がよくわからないときがある。

時として、復讐の物語が、特にガチガチに争うようなゲーム(coflict games)において、楽しいゲーム体験を作り出すこともあるし、ゲームグループの中には復讐と報復を望んでいるところもあるので、ほかのタイプよりも一線が曖昧になってしまうことがある。私は、こういうゲームの楽しみ方をしないけど、復讐と報復により忘れられない物語が創り出されて、あなたやグループのメンバーにとってそれが魅力的なのであれば、このタイプの非合理的な参加者がたまに存在することは楽しみの一部ということになる。どうぞご自由にしてほしい、私はこの良い悪いを判断する立場にはないので。

死ぬまで続く敵対関係(Mortal enemies)
これは恨みを持つ人のバリエーションになり、ゲーム中に2人の異なるプレイヤーが必死に攻撃している場合が含まれる。このことは、前回のゲームから引き継がれたものであったり、ゲーム序盤の対立に基づいて生じたものであったりするが、直接攻撃が可能なゲーム(games with direct conflict)でよく起こってしまう。2人のプレイヤーは、誰が勝者であるかということを超えた張り合いになる。第3のプレイヤーが勝つことには気にせず、ライバルが潰されることにしか関心がない。

時々、こうした敵対関係が合理的な場合もある。もし、2人のプレイヤーが卓上の他の誰よりもはるかにスキルが高いことを知っているのであれば、他のプレイヤーを無視してお互いを攻撃し合うことになるだろう。これは理にかなっているだけでなく、より上手いプレイヤー同士で潰しあうことで他のプレイヤーにチャンスが回ってくるため、ゲームバランスをとることができる。

もちろん、社会的には、友好的な対立意識であっても、その外野の人々にとってはちょっと気まずいものであるし、実際の個人的な恨みに基づくものだったら、その場のものであれ、引き継がれたものであれ、腹立たしいことだ。戦略的な面からすると、他のプレイヤーは、プレイヤー間の敵対によりこぼれ落ちた利益を不公平な形で得ることになるので、恣意的な結果が生まれてしまうんだ。

最高の瞬間のためのプレイング(Playing for standout moments)
このプレイヤーは、勝つことよりもむしろ、他の人の心に残るような決定的瞬間を楽しむようだ。おそらく、彼らにとってゲーム全体は、馬鹿げたカードコンボを楽しむ(getting off)ことが目的なのかもしれない。もしかしたら、各自の兵力を壊し尽くす効果を生じさせるような、全てのプレイヤーを巻き込んだ大規模戦闘を起こすことが目的かもしれない。さもなければ、その戦略的な場面に適合するかどうかにかかわらず、ゲーム中に大きいモンスターを引き連れてプレイしたいのかもしれない。目立ちたがりやの親戚(cousin)として、こういったプレイヤーは時々最高の瞬間を実現するために、キングメーカーになりたがる。

プレイヤーのほとんどは、DNAレベルでちょっとした"最高の瞬間を求める"プレイヤーの要素があり、大抵の場合は、無害で楽しいものだ。誰かが、明らかに、ゲームに勝つために役に立つ以外のことを取り組んでいた場合、非合理的な参加者の領域に踏み込んでしまっているんだ。

奇抜な人(The offbeat)
最高の瞬間を求めるプレイヤーのもう1つの親戚として、奇妙で奇抜な手を愛する人がいる。彼らは、人の通らない道を歩きたくなる。誰も成し遂げたことがない方法で勝ちたくなる。ゲームにおいて、ある種のほぼ不可能なことに挑むこと(shooting the moon)が許されているのであれば、毎回それを達成しようとする。非対称能力があれば、誰もが雑魚(sucks)といい、それでは勝つことがない能力を使う。

繰り返すけど、これは必ずしも悪いことじゃない。最初の方で述べたとおり、ゲームを教える人が、初回プレイのバランスをとるために、狂ったようで実験的な戦略を試すようなこの種の非合理的な役割を担うことがよくある。革新的なスタイルであることと、かっこいいから何か試みることの間は微妙な差しかない。勝つという思いがだんだんと消えていって、マッドサイエンティストとしての経験それ自体が最優先となった時に、その一線を越えることになるだろう。

おわりに
このリストの後半に当てはまる"違うゲームを遊んでいるかのような"非合理的な参加者、つまり、ゲームに参加しているけど、勝つこと以外の何かに魅了されているような人たちには、他にも様々な種類がある。コメント欄で、他にどんな人がいるかみんなが教えてくれると思う。

じゃあ、なぜ私はこのリストを作っているのか。なぜ私は、社交性という範囲外からゲーマーのタイプをカテゴリ分けして、ゲームプレイにどのような影響を与えているのかという点にのみ着目しているのか。はっきり言っておくけど、私は、この評価基準で人を判断することを推奨しているわけじゃない。こういった人々がどれほど悩みの種かということは、どれだけ戦略的なゲームプレイに重きを置いているか次第になる。こんなことをそれほど気にしないって人は、こういった非合理な参加者を気にしないだろう(社交的な理由からその他の人たちと揉めることはあるだろうけど)。

私は、非合理的な参加者を分析することは意義がある(interesting)と思っている。というのも、"なぜ他の人はゲームを遊んでいるのか"ってだけでなく、"なぜ私はゲームを遊んでいるのか"という疑問を投げかけてくるからだ。ゲームの卓上における多くのトラブルは、単に異なった理由でゲームで遊ぶ人たちがいることが原因となっている。

この記事では、あえてアドバイスをすることを避けている。厄介な人たちとの付き合い方について助言することは、簡単で明白なことかもしれない。だけど、人がなぜそのような行動をとるのか、なぜあなたを悩ませるのかといったことについてよく考えてみることは、もっと効果的で、より共感を得られることだろう。だから、非合理的な参加者について学んだことや、あなたにどのような影響を与えてきたのかということについて、以下のコメント欄で教えてほしい。ここまで、読んでくれてありがとう。

以上

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