善き友 - 染まり合い -

現実から学ぶべきはか?ここで考えてみよう。そんな難しいことを考える乳児はいない。幼児でも難しいことをそうそうは考えられるものじゃない。人は学習を重ねる結果、年を重ねるに従って少しずつ難しいことも考えられる。そうであれば学習の習慣を真っ当に身につけた人は「現実から学ぶべきは何か?」と考えることができるようになっているだろう。結局、私がここで語り掛けるあなたは真っ当に学習する習慣を身につけたお人です。

「真っ当に学習する」を「哲学する」と言い換えても構わないと思います。そうすると哲学する者哲学しない者の2種の学習者が見えてきますよね⁉人の赤ちゃんは哲学しない。犬・猫・蜂・蝶・ナメクジ・花なども哲学せずに環境に感じ染まるなどの知恵を具えた存在でしょう。大概の生き物は哲学せずに感じ染まるのです。人の幼児だと、哲学することを覚える者が現われる。哲学する存在は生物界の突然変異(ミュータント)と言えそうです。

そう考えると哲学しないのが主流ですし、哲学しないのを自覚せず反省せずの姿勢を恥じないのはマジョリティ(多数派)ですからその意味でお仲間は多い訳で気楽にいられると言うことも出来ます。結局、少数派(マイノリティ)の私は皆様から変わり者として扱われて、奇異の目で見られるのは余りにも当然です。多数派優先の社会にあってはマジョリティの皆様が主流ですから、その意味で胸を張るあなたは少しも変わり者ではありません。

マジョリティは多数という心地好さを手放せなくて更に積極的に染まり合おうとするでしょう。恐らく多数派のあなたは「そんなことはない」なんて仰らないでしょう。何故ならそんな恐ろしいことを口に出そうものならお仲間に入れて貰えなくなりますし、お前も変わり者だなんて評価されて排除されてしまいますからお気をつけになってください。哲学は生き様です。ファッションとしての哲学が人気ですけど、の哲学は生き様なのです。

ハイジのお祖父さんは変わり者でしょう⁉牧師や村人から変わり者として非難ごうごうですね⁉牧師は厳かに反省しろとお祖父さんに迫ったのですね⁉いやいや、私は牧師を非難しているのではありません。その牧師はマジョリティを佳(ヨシ)とする思想の持ち主ですから、その思想に至った訳があるのです。その思想の心地よさに酔っているところに私が哲学を説いても聴く耳を持たないでしょう。牧師の酔いを醒ましてはあげたい私ですけれど‥

今少し、お祖父さんを振返ってみます。良識ある家庭に育った少年でした。社会常識としてお金は大事だと記憶した。他者勝たねばだめだと憶えた。この2点を取敢えず憶えてイザ出陣。賭場で金を稼ぎ・他者に抜きん出ようとした。酒場で他者に尊敬されようとお金を遣った。計画はウマく進まず、返り討ちにあって、呆気なく敗退。それで傭兵になって巻返しを図ったかどうか私は知らない。俺ならもっと上手くやる‥あなたはそうかもね⁉

お祖父さんの若き日の失敗に善く学ぶか、悪しく学ぶか‥マジョリティの実態はどうなってる?デーテ叔母さんに連れられてきたハイジはどうだった?身に着けさせられた窮屈な良識を何もかも脱ぎ捨てたのでなかったっけ!? ただ自分で気持ち好いと感じていた作法は捨てなかったよね。大好きな作法だけを持ってアルムの山小屋へ向かったハイジなんだ。これが分るとハイジはマイノリティの仲間だってことが分る。変わり者のハイジなんだよ。

変わり者同士‥ハイジ、お祖父さん、それからぺーター、ペーターのお祖母さん、他にも居ただろうけど、それにしてもマイノリティがアルムに揃ったのだろうな。住みやすい村に住んでいるマジョリティはマイノリティを軽蔑している構図が窺えるようだ。ここでマジョリティの合言葉は教会であり、多数派だろ? それに対してマイノリティのキーワードは皆の幸せであり、自然世界を与えられた事実‥事実は知ったし、今後(未来)の課題はだ。

ともあれ、マイノリティ同士は皆の幸せを願う心で染まり合い、自然の恵みに感謝する心で染まり合う。教会は無く、牧師もいない。だがちっとも生きるのに不自由はなくて困らない。あなたには排除してくれる偉い人がお似合いでしょうか?いかが?

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