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#留学日記
メルボルン、そしてシェアハウス、到着【回顧録14】
涙ながらになんとか乗り込んだ、シドニー発の国内線。
メルボルンに到着すると、事前予約していた送迎のおじさんが待っていてくれた。
その時点で昼の11時。
日本を出発してから15時間が経過していた。
ふんだりけったりの長旅に疲労も困憊。
やっとの思いで辿り着いた新境地に心躍りながらも、疲弊した私は、ただ茫然と窓の外を眺めていた。
空港を出発して約1時間、やっとメルボルンの市内が見えてきた。
フライト。入国。珍道中。③【回顧録13】
タクシーのおっちゃんがかっ飛ばしてくれたおかげで、予定よりもかなり早く空港には着いたものの、
その時既に、保安検査場通過時間は残り15分を切っていた。
まずは荷物を預けてから保安検査場を通らなければならなかったが、(当たり前だが)空港内が英語だらけでまず混乱。
どこに行けばいいのか、スタッフにもなんと聞けばいいのかも分からない状態だった。
死に物狂いで荷物を預けた後、保安検査場に向かうと、そ
フライト。入国。珍道中。②【回顧録12】
10時間のフライトを終えシドニーに到着。
しかし目的地はメルボルン。
ここで最初の関門が待ち受ける。
そう。国内線への乗り継ぎである。
乗り継ぎ時間は1時間半。
確かに長くはないが、エージェントが用意してくれたプランだし、同じ建物内にある国内線への乗り換えには十分な時間だと計算していた。
しかし実はこれ、聞く人が聞いたらちょっとやばいんじゃない?と分かる乗り換え時間の短さ。
なぜなら。
フライト。入国。珍道中。①【回顧録11】
オーストラリアへ向かう機内。
満を持して搭乗したのは良かったものの、座席が最悪だった。
通路挟んで右隣は足鬼臭おじさん(靴履いてるのに臭う、通路挟んでるのに臭う)、左隣はずっと独り言言ってるおばさんだった(ちなみにどちらも日本人)。
これまでの経緯で完全に疲弊し、一人心細くも、己を鼓舞し搭乗した国際線。
そこで私は完全に包囲されていた。
特に、足臭おじさんが靴を脱ぎ、私の方に足裏を向けて
そして出国【回顧録10】
波瀾万丈の準備期間を終え(お分かりの通り、実家でゆっくりなんてとてもじゃないけど出来なかった)、地元の友達や家族に見送られながら、羽田空港からの出国を控え4日前に東京前入り。
実は東京前入りした後も、少しだけ残っていた病院寮退去の最終手続き(まだ残ってたんかい)、
海外転居届けと健康保険・国民年金解約(転居届けは出国14日前からしか受け付けておらず、住民票を残していた都内区役所で手続きするにはこ
オーストラリア留学を決意するまでの経緯② 【回顧録2】
コロナ真っ只中で海外留学の夢をほとんど諦め、死んだ目をしながら派遣ナースとして働き(相変わらず仕事嫌い)、気づけば1年以上が経っていた。
コロナ渦中で将来の先行きも不安、看護師早く辞めたいけど経済的な安定が無くなるのは怖い、ましてや海外留学に行くなんてもっっての他。
でも毎日毎日ストレスを抱えながら仕事をして人生が楽しくない…、このまま仕事が嫌だと思いながらナースとして一生を終えるのか…と考える