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スタディーノート10 未遂

(かつて15世紀から17世紀初頭まで勃興していたアラカン王国。仏教徒の王とムスリムの家臣がおり、コンバウン朝に滅ぼされた後からロヒンギャムスリムの冷遇される時代が始まった。
そして現在に至るまでそれは続いている かつて同じ町で暮らしていたアラカン人たちはロヒンギャを外国人として見なしているのが現状である)

ミャウー郊外にあるロヒンギャの村々を延々に訪ねた。ハイウェイとは名ばかりのアスファルトを一直線上に固めた道を進む。しかし両側に見えるライスフィールドの燦然たる緑は格別である。照りつける太陽のおかげで肌はすでに赤みを増している。旅前半の雨のツケとしてならばひどく迷惑である。
この場所は私が初めてロヒンギャとの邂逅を果たした、海を隔てた場所にいる人々に思いをはせるようになるきっかけとなった場所でもある。
これまでシットウェのような外界とはほとんど隔離されているようなロヒンギャを見てきた。数年前まで同じ街で暮らしてきたムスリムをいとも簡単に「外国人」として見なす雰囲気には驚かされたものだ。一言で言えば「ムスリムの消えた街」であった。
しかし、このミャウー郊外ではアラカン人とロヒンギャは同じ生活空間で過ごしていることもある。ずっと探していた情景といえば間違いはない。聞こえはいいようであるが、決して「共存」してはいないのだった。
 
ホテルから一番近い村にたどり着く。乗合バスから降りると一人の男が話しかけてきた。「マイフレンド」。前回、初めてロヒンギャを目の前にして同様の色を示していた私に村の案内してくれたロヒンギャの英語教師である。クリス松村に酷似している。固い握手と熱い抱擁を交わした後、彼の学校に誘われる。
職員室には一人のアラカン人がいた。政府の任によりこの村に教育を与えるためにミャウー市街地の方から出向いてきているらしい。話を聞くと約1000人のロヒンギャの中にも20数名のアラカン人の生徒もいるらしい。内容はわからないが、ロヒンギャ英語教師とアラカン役人はどうやら楽しそうに会話している。
頭の中にあるボードには「共存」の文字が浮かびつつあった。しかし早合点であった。

 写真1・アラカン人の校長とロヒンギャの英語教師

昼食をとるために食堂といえば誇張、小屋といえば失礼に聞こえる建物に入る。中にはアラカン人女性が数名、テーブルにはロヒンギャ男性二人が向かい合って茶を飲んでいる。村を渡れば渡るほどこういった光景が増えてくる。両者がファインダーに収まることに幸福感を抱いていた。でてきた料理は大量の唐辛子を効かせた生野菜であった。それを食べる私を皆一緒になってゲラゲラ笑っている。よかろう。そんなに楽しい思いをしてくれるのなら食べてやろう、いくらでも。この時点で「共存」の文字は成り立ちつつあった。しかし甘かった。

 写真2・昼食を食べた店。お代はいらないよと言ってくれた。

ロヒンギャの村に立ち寄るとまずしなければならないことは、だいたい英語の先生となるが、英語を話せる者を探すことだ。見つけて聞くのは、村の人口や家屋数・学校の様子、そして一番深刻に抱える問題である。
どの村も抱えている問題は一致する。内戦の被害・教員不足や病院の有無、警察からの扱われ方。しかし村によってどれを深刻に捉えているかは異なっていることがなかなか興味深い。病院を一番にあげた村では流行病や患者を診れる者がいないのだろうか。
「共存」の文字がくっきりとしなかったのは、このような問題をロヒンギャが抱えていることを知っていたからだ。同じ生活空間にいたとしても「平等性」がなければ「共存」とは決して言えない。
 

写真3・タバコを吸うロヒンギャ男性。救いがないと嘆いていた。

「共存」の文字が灰燼と化したのは、あるアラカン人のアクションがきっかけであった。
そろそろ日が暮れる刻、奥まで進んだ私はUターンして再び再会を果たした英語教師の村を訪ねていた。すると一人の男が「帰れ」とジェスチャーを私に送る。彼は仏教徒側のリーダーであるらしい。
「ムスリム、デンジャラス」と私に言い放った。一瞬の出来事であった。おそらく彼は私の身の安全を考慮しての言動であることはわかったが、思わず変な声が出てしまった。ホテルを出る前から同じ生活空間にいるからこそ、抑えている感情はあるだろうと思ってはいた。その結果が2011年から続いた衝突であるのだ。しかしその感情を垣間見える瞬間と出会おうとは。しかし、私がリーダーに出会わなかった場合を考えれば、その予測を確信に昇華させることはなかった。幸運とも言える。両者の収まった写真を撮って満足するだけのマスターベーションだったに違いない。
 オレンジ色の夕日と田の緑が絶妙なグラデーションを成している。私はシットウェで聞いた老人の言葉を反芻させながら帰路につくのであった。あの光景は希望と言えるのか。

写真4・学校の窓からこちらを覗いていた子供達。

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