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トゥルーマン・ショー(1998)を観た。

名作なので、中高生のあいだに話のネタバレを喰らってしまっていた。
就職活動の中で、テレビ局や広告代理店を見ていた私としては色々な視点から楽しめる作品だった。

この作品をきちんと鑑賞する前に、SNSで某有名アイドルが好きな映画でこれをあげていたという旨の投稿を見た。
作品を観終えると、アイドルという職業の人間が好きな映画という風に思うのもなるほどなぁとも思ったし、
本作品のラストの「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」というトゥルーマンの台詞にも見えるような、
人前に出る職をする者としての彼の覚悟のようなものも感じてしまった。

本作品のラストの台詞で思ったのは、やはり最後までピエロを演じ切れる人しか人の前に立つ仕事をするべきではないなぁということだ。
特に最近のYouTuberとかインスタグラマーとかを見ていると思う。

この作品のディテールとして、好きだなぁと感じたのはやはり合間合間にスポンサーの製品が入るのところ。
トゥルーマンショーのリアリティ溢れる番組感は今のAbema TVを彷彿とさせるなと私は思ったのだけど、
キャバクラ嬢たちがさえない女性をプロデュースして美しい女性に変身させるという同放送局の番組のスポンサーがサロンだったときの納得感に近いものがあった。

また、テレビだけじゃなく、SNSの発展で誰もがトゥルーマンになり得るシチュエーションが完成してしまったと思うと恐ろしい!
YouTubeではVlogというようなジャンルの動画投稿が増えているし、
趣味の範囲で「一週間の生活」なんて題したプライベートをインターネット上にアップロードすることに誰も驚かない。(それに、私もそういうコンテンツを見ている。)
一時期よりマシになったと感じるが、TwitterやInstagramが商品のPRで溢れていたときは、一つ一つの投稿がお金にしか見えなくて何も買う気になれなかった。
生活の全てのシーンが購買意欲の促進のために使われていくのは悲しいな〜。

今見ると、私がアイドルのサバイバル番組が得意じゃない理由がここにあるって感じがしたし、
小さい頃に「はじめてのおつかい」とかを見てすごく違和感を覚えたのを思い出した!
アイドルのサバイバル番組は色々なものが放送されているけど、
ある程度、番組側で脚本が用意されていたり、事務所と制作側の事情で何かしらの配慮があったりというのは前提だと思ってはいる。
だけど、出演しているアイドルを目指す本人たちの努力や気持ちというのは嘘じゃないから、
そのリアルとフェイクの境目が曖昧になってしまっている感じがどうも楽しめない。
本人だけが本物でその周りがフェイクっていうのはその人に一番ストレスがかかるし、
トゥルーマンのケアみたいなものが一切ないのは番組として私は楽しめないな~なんて考えたりもした。
すでに、日本国内の民放テレビ局でもそういうリアルとフェイクが混合してしまってよくないことが起きているからそういう風に感じたというのもある。
例えば、テラスハウスではそういったケアを怠ってしまったが故の事件が起きてしまっているし、
おもしろさを追究するバラエティー番組でも、芸人を連れ去る企画というので事務所から許可が出ているけれども、そこに居合わせた一般人があまりの過激さに通報したというような事例がTBSで過去にあった。

もちろん、作品の時代背景的な意味でも番組の出演者とプロデューサーのみがクローズアップされるという流れになっているけど
私たちの世代は、たまに過激になりすぎるテレビコンテンツとどう向き合うかみたいたのをちゃんと考えるという意味で、
「トゥルーマンショー」をテレビで見る受け手側の目線も忘れてはいけないと思う。


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