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フルート協奏曲【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Koncert for fløjte og orkester
(CNW42 /1926年) 
 
フルート協奏曲 

 こんど、11月10日(日)のクラシック音楽館(NHK)では、パーヴォ・ヤルヴィ指揮で、ニールセンのフルート協奏曲が放送されます。せっかくなので今回も、観賞の参考になることを書いておきたいと思います。

N響第1920回定期公演 (2019年9月825日、サントリーホール)
指揮 パーヴォ・ヤルヴィ
 
トゥール 「ルーツを求めて~シベリウスをたたえて~」
 
ニールセン(ニルセン) フルート協奏曲
           劇音楽「母」から
             「こどもたちが遊んでいる」
          (フルート エマニュエル・パユ)

シベリウス 交響曲 第6番 ニ短調 作品104
      交響曲 第7番 ハ長調 作品105

 デンマークのニールセンはもとより、フィンランドのシベリウス、エストニアのトゥールを、エストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィが指揮するという、名実ともに

 オール北欧!

 なプログラムです。

 

 ええ。
 ほんとうに、まちがいなく、オール北欧です。

 

 北欧なんですよ。
 けどね……

 

 ですけどね。
 じつはね……

 わたし、ニールセンが北欧の作曲家だなんて思ったこと、
 ほとんどないですっ!

 

 なぜって?
 だって、ニールセンの音楽から感じる気候はですね、

 温暖で穏やか
 すごしやすい
 四季がくっきりしている
 季節ごとの自然の移ろいが美しい

 でして。
 そんなわけだから、

 あー、これ、まちがいなく日本だわ~……

 なんていつも思っています。

 それはもう、もしかしてデンマークって日本のヨーロッパ出張所なんじゃないかしら、とかんちがいしそうになるほどでして。

 

 それだけではなく、音楽から感じるニールセンの人間像、

 篤実
 実直
 謙虚
 地に足がついていて、農民的
 そして、前向き。どんな困難からも立ち上がる。

 なところも、なんだか古きよき日本人を想起させるし。

 ただし、日本人はうらみつらみがじめじめと陰に隠って互いに足引っ張りがちなのに対し、ニールセンはいつも朗らかで、どの曲を聴いても「さぁ、いっしょに!」と手をさしのべてくれるような気がするところが決定的に違います。

 でも、こんな風に日本を思い起こさせるからこそ、私にとってはニールセンの音楽を聴くことは、国産の作曲家をふくめ、どの作曲家よりもしっくりくるし、心が落ち着きます。

 

・◇・◇・◇・

 

 もし音楽に色があるなら、ニールセンのメインカラーはまちがいなく暖色です。だけど、フルート協奏曲は、そんなニールセンにはめずらしく、寒色系で冷涼な気候の感じられる、いかにも北欧な曲です。

 ニールセンの主要な管弦楽曲のなかでも、涼しげで寒色系な、いかにも北欧な曲って、あとは、交響曲 第5番か、「パンとシリンクス」ぐらいしかありません。
 あとはどの曲もぜんぶ、あたたかで、すっぽりと懐に包まれているようなイメージがします。

 また、陽気で活発な田舎の少年か、親戚のひょうきんなおっちゃんのようなイメージの強いニールセンの楽曲のなかで、女性らしいしなやかさが全面に出ているところも、フルート協奏曲のレアなポイントです。

 

 音楽の冒頭、いきなりつむじ風が吹いてきて、はっとする間もなく頭のうえの麦わら帽子が遠くさらわれていた……その瞬間あなたはもうすでにデンマークの平原の真っ只中にいるのに気がつくでしょう。
 つむじ風はあっというまに、どろどろとティンパニの響きを残して吹き去っている。だけど、またつぎの風が自由自在に吹いて、草木をざわつかせ、あなたを翻弄する。

 これが、ニールセンのフルート協奏曲です。
 この曲のフルートは風の国デンマークの風そのものです。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて。
 フルート協奏曲は、従来のクラシック音楽のお約束をとっぱらった、2楽章しかない曲です。

 ていうかそもそも、ニールセンは交響曲 第4番「不滅」(1914~16)以来、独自の構成を目指しはじめています。例えば「不滅」では、全4楽章が切れ目なく演奏される、というふうにです。
 第5番(1920~22)は2楽章しかなく、最後の交響曲、第6番「シンフォニア・センプリーチェ」(1924~25)ではいったん4楽章にもどるのですが、最終楽章が変奏曲で、しかも壮大でない、という従来のクラシック音楽的な価値観からはヘンテコな組み立てになっています。
 フルート協奏曲(1926)では、ふたたび2楽章だけになるんですが、大がかりな管弦楽曲としては最後になるクラリネット協奏曲(1928)にいたっては、単一楽章で、伝統的な楽曲構成であるソナタ形式とかロンド形式とかの名前をもつけようがない、謎の構成になっています。

 

 演奏に参加する楽器も節約されています。

 金管楽器は、トロンボーン1本。あとはホルン ×2。
 木管楽器はフルート抜きの、オーボエ、クラリネット、ファゴット、それぞれ ×2。
 あと、ティンパニと、弦楽器5部。

 クラリネット協奏曲なんかはもっと削られて、弦楽器の5部は当然かかせないにしても、あとは、

 ファゴット ×2、ホルン ×2、小太鼓
 以上!

 ですからねー……。
 それでいてどちらの協奏曲も、表現力はフルオーケストラに勝るとも劣りません。
 俳句や水墨画のように枯れていますが、内部には底無しの宇宙があり、自然のすべてが包含されています。

 同時代のマーラーがいろんな楽器を交響曲に導入して大規模化していったのとはまるで真逆です。

 

 ニールセンのフルート協奏曲の特異なところはそれだけではありません。
 独奏楽器のフルートにティンパニがどろどろどっかんと絡む、という、とんでもない音楽になっています。これはもう、「フルートとティンパニのための協奏曲」って名前にしたくなるくらい。
 続くクラリネット協奏曲でも、クラリネットに小太鼓がバシバシ絡みますから。

 打楽器の存在感、キャラの際立ちかたがはんぱない。
 しかも、打楽器なのに、ちゃんとメロディが感じられるんですよ。

 こんなのアバンギャルド過ぎます。
 宇宙行ってます。
 もう、常人にはついて行けません。

 

・◇・◇・◇・ 

 

 だけど、

 笛と太鼓が絡み合いながら、
 濃密で深遠な世界を描く、

 って、日本人ならなにかを思い出しませんか?

 

 ほら、……あの伝統芸能ですよ。

 能楽。

 

 「クラシック音楽館」の時間は、ときどき伝統芸能の番組にさしかわるときがあって、子どもの情操教育もかねて必ず見るようにしています。
 もともとがクラシックの時間なので、能楽なんかもついつい「クラシックの目から見たらどんなか?」という、外からの視点で見てしまうのですが……あれって、ほんとに異様な世界なんですよね。

 掠れた音のする横笛
 高低2つの太鼓(大鼓と小鼓)
 そして、太鼓を打つおっちゃんの謎の雄叫び

 たったこれだけで、音楽が構成されている。
 もちろん、渋い声のおっちゃんたちの合唱団も付いてますが、楽曲のメインの楽器はこの3つ。
 なのに、異様に密度が濃く、聴くだけでめちゃめちゃ脳が疲れます。

 これ、昔のクセにアバンギャルドすぎるやろ……ッ!

 って、ツッコミいれながら子どもとわいわいってたんですけど……ふと、ひっかかりを覚えました。

 このパターン、どっかで見たことあるぞ。でも、どこで?

 ……って。

 

 …………………って、あんた。
 ほら、あれよ。

 

 ニールセンやないかーいッ!(≧▽≦;)

 クラリネット協奏曲とフルート協奏曲でやっとるやんけ!

 

 もう、腰が抜けましたね。
 ニールセン、どうやってこれにたどりついた、って。
 能楽に接する機会なんか、ヒントにしたくてもまずなかったでしょうし。

 

・◇・◇・◇・

 

 で。

 そこのあなた。
 こいつなにすっとんきょうなことゆってんねん、って、冷たい目してるでしょ。

 ていうか、ニールセンはもうそもそも、従来のクラシック音楽的な価値観からはぶっとんでいて、「いかにもクラシック」なものを求めていたら、真価を見いだすことはできません。
 私は、ニールセンは、ヨーロッパというよりは、日本的な美意識や価値観に近接しているし、日本人こそがもっともよくニールセンを理解しうると考えています。

 実際に、この投稿でもすでに、ニールセンを俳句や水墨画に例えていますし、それに、ニールセン特有のほがらかさと爽やかな率直さだって、万葉集のますらおぶりに例えるのがもっともしっくりきます。

 

 さらに、フルート協奏曲は、クラシック音楽的な「拍子を合わせて縦にそろえる」というよりは、「各自が横にのびて間を合わせる」という日本の伝統的な演奏法が近く感じられます。

 また、もともと切り詰められている楽器の種類が、実際の演奏ではもっと切り詰められて、「フルートとティンパニ」「フルートとファゴット」みたいなシンプルな絡み合いが頻発します。
 クラシック音楽の世界ではこれを「室内楽的」というのでしょうが、実際に聞こえる音楽は室内楽的ではありません。シンプルであるがゆえに緊張感の高まる能楽の方が、より似ています。

 そうやって、この曲では自然そのものをまるごとありのままにとらえ、描写している……というより「自然とはそもそもどんな音楽であるか」をありのままに移し取っているように聴こえます。
 ニールセンにとって、自然はおそらく「自分の外にあるもので、支配するもの」ではありません。「自分自身もそのなかにあり、寄り添い暮らすもの」であることが、音楽から聴き取れることと思います。その点においても、やはり日本的です。

 

・◇・◇・◇・

 

 というわけで。

 ニールセンはめちゃめちゃ日本っぽい!……という説は、今のところ私ひとりくらいしか唱えてないはずです。
 これを信用するかどうかはともかく、従来のクラシック音楽とはちがう、異次元の音楽として今回放送のフルート協奏曲を聴いていただけたら、と思います。

 そしてやはり、N響といえば楽しみなのがティンパニの演奏!
 前回の交響曲 第2番のティンパニはほんとうに素晴らしかったです。フルート協奏曲では主役のフルートとティンパニがデュエットするのですから、なおのこと聴きのがせません。

 

 そうそう、最後に知識をひとつ……。

 フルート協奏曲の冒頭は、この曲の出だしを流用しているようです。1889~90年という、ごく初期の頃の楽曲ですが、これをはじめて聴いたときはビックリ仰天でした……(^_^;)

 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。