カレン

ときどき思い出す程度に文章を書きます

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マガジン

  • 演劇感想日記

    観る専の素人が演劇やその他物語の感想を書き留めるマガジンです。日常が愛おしくなる作品が好みです。茨城と東京の劇団が中心。ネタバレ有り。

  • 平凡日記

    名前のつかない一日を積み重ねていく

最近の記事

TUGUMI

吉本ばななの作品には何度かニアミスしている。中学校の図書室には確か所蔵されてあったように思うし、高校の頃は美術部の先輩が読書感想画を描いていた。にもかかわらずだいぶ時差のある出会いになってしまった。 大人になってから、朗読会で聴いたことがきっかけで、初めて正面から出会い直した。 それが『TUGUMI』だった。 清らかな海辺での一度きりの夏、意地の悪い幼馴染の美少女と、突然越して来た男の子。青春の条件をこれでもかと詰め込んでいてもふしぎと押し付けがましさがない。一文一文が落ち

    • ぼくたちが戦争より好きなもの

      早稲田松竹に感謝を。半年ぶりの映画館がここで本当に幸運だった。 ぼくたちが戦争より好きなもの。 そう題して組まれた2本の映画『ジョジョ・ラビット』と『Swing Kids』、選んでくれた方に礼を伝えたい。 最低限の背景知識もおそらく不十分で、半分も理解できた気がしないけれど、それでも4時間あまりノンストップで前のめりだった。 10歳の少年が暮らすドイツの街が舞台の『ジョジョ・ラビット』は、最後のひと場面以外まったく戦地を描かなかったことでより残酷さが際立っていた。 殺し

      • 怒り

        いまさらながら映画『怒り』を観た。沖縄が舞台のひとつになることを知らずに観た。本土から来た少女が米兵に性的暴行をされるシーンがあった。少女は目撃した少年に「誰にも言わないで」と懇願した。少年はやがてある行動を起こし、理由を知った少女は青い海を睨んで叫ぶ。 演技も演出もずば抜けた映画で唯一、その幕引きには全然納得いかなくて、間髪入れずに原作の小説を読み始めた。 映画と対照的に、小説では核となる殺人事件の犯人が比較的早めにわかる。読者には誰が犯人か明らかな状態で話が展開するので

        • アデル、ブルーは熱い色

          人に会えなくて寂しいと、思ったことがほとんどない。だから最近まで恋愛映画にそこまではまらなかった。 けれど22歳の春に観て、以来ずっと暫定マイベストムービーに輝いているのはある恋愛映画だ。その話はここではしない。ただその映画を観てから、優れた恋愛映画は優れた人間ドラマだと言われる所以に納得して、恋愛映画の"人間"部分を観ようとしている。 『アデル、ブルーは熱い色』のアデルは、私が得意ではない熱烈な10代そのものに思えた。好意を寄せられたらなめらかに受け入れて、簡単に傷つい

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        • 演劇感想日記
          25本
        • 平凡日記
          17本

        記事

          #BlackLivesMatter を叫びながら、非当事者ができること

          当事者性と非当事者性について考えている。 目次 ・当事者ではない立場から ・日本における「難民」の定義 ・難民申請のプロセス ・罰則を巡る専門部会での攻防 ・#BLM を叫ぶだけで終わらない 当事者ではない立場から#BlackLivesMatter が報道されるようになって、まず私の目に入ってきたのは燃やされる街や略奪されるスーパーマーケットの惨状だった。いまでこそ平和的なデモも多く目にするが、一番最初のその衝撃は強かった。 それらの抗議手段について、こう擁護する記事を読

          #BlackLivesMatter を叫びながら、非当事者ができること

          マイ・ブロークン・マリコ

          地獄の渦中にいる人も惨めだがそれを眺めるしかできない人も惨めだ。だんだんおかしくなっていく大切だったはずの人。少しでも安全な場所にいてほしいのに好んで地獄に戻ろうとしているように見えるその背中に、傷のついた手首に、また何もできなかった、という後悔を積み重ねていく。 どんなに心から心配してみせたって そんなもんじゃどうにもならない所にあのコはいた 作中でシイノが独白のように呟いた言葉に、相手が生きていても死んでいても自分には手が届かない無力さを感じる。 「何度もあのコ

          マイ・ブロークン・マリコ

          親が死んだら公開するはずだった話

          ※設定がよくわからなくてすでに公開になっていたので、もうそのままオープンにしておくことにする。 父親について。 テレビでニューハーフのタレントが出ていると必ず「気持ち悪い」と言ってチャンネルを変えた。歌やお笑いは総じてくだらないと言って報道番組ばかり見ていた。そのくせ5分と同じものを見続けることはなく、仕事を終えて帰宅してから寝るまで、延々とザッピングをするのが習慣だった。 母親は結婚を機に専業主婦となって、子どもと夫の世話を焼き、親戚付き合いを大事にしていた。私が宿題

          親が死んだら公開するはずだった話

          ペスト

          書店で面陳されていたうち最後の1冊になっていた、カミュの『ペスト』を買ってきて読んだ。いま多くの人に読まれており、多くの人が言葉を尽くしているだろうこの小説のことを、わたしも書き残しておきたい。 作品にのめり込むまでは、語り口に慣れなくて何を言っているのかわからない箇所もたびたびあった。 時代と地域が遠くなればなるほど当然、言葉は共通認識の範囲を超えていく。それとかあれとかの指示内容がつかめない。省略された目的語を補えない。特に宗教に関する部分は完全にお手上げだった。雰囲気

          5/1 不感の安寧

          これは配慮のない文章です。 春先からの緊急事態宣言に全然参っていない。 びっくりするほどいつも通り職場に行くし食材は買えるし、大勢の人と集まって話す趣味もないから寂しくもない。 離れて住む親の死に目には会えないとしても、それは一人暮らしを始めたときから了解していた。 映画館と小劇場と飲食店に行けないのは窮屈だが、だからと言って死ぬわけではない。少なくとも、私は。 私の生活が保たれているのは物流と小売の現場にいる人のおかげなのはわかっているし、医療従事者が地獄のような環境

          5/1 不感の安寧

          エターナル・サンシャイン

          感情出力のコントロールがへたな人は苦手だ。 嬉しいでも悲しいでも上下の差が激しい人と長く一緒にいたらつらくなる。 淡々としながら冷たくない人がいい。 だから『エターナル・サンシャイン』のジョエルのことは最初からすごく好きになった。 初対面の奇抜な女の自虐をフォローしようとして「私のことよく知らないでしょ」と一蹴され、 「いい人になろうとした。ごめん」 と呆気なく折れてしまう不器用さ。 人付き合いのうまくなさそうなジョエルが、その奇抜な女・クレメンタインに惹かれていくごとに

          エターナル・サンシャイン

          存在のない子供たち

          何度も見逃して諦めていた映画が早稲田松竹でかかっていた。大袈裟でなく運命的なものを感じて観に行った。あらすじを聞いたときから、観なければと思っていた。 推定12歳の少年・ゼインの描かれ方が誠実だった。外国の貧しい被虐待児としてだけではなく、善悪併せ持つ生身の人間として存在していた。 ゼインは学校に通えず路上で働かされている。親に叩かれ罵られる。妹は11歳で嫁に出される。 でもそれだけではなく、ゼインは悪態をつくし、盗みも働くし、家出をして薬物を売る。 さらに妹の生理を隠すた

          存在のない子供たち

          ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引越しの夜

          普段は心動いたことや好きなことについて書いているけれど、これからは少しずつ「わからなかったもの」についても跡を残しておきたい。 年末の吉祥寺で、初めてマームとジプシーの演劇を観た。 名前をあちこちでよく聞く劇団で、今回は歌人の穂村弘さんの生い立ちをベースに据えた、女性の一人芝居だった。 マームとジプシーのことも、穂村弘のこともあんまりよくわかっていない状態で行ったら、やっぱりちょっとよくわからなかった。 秘密基地のように雑然とした舞台で、くるくると場面が切り替わっていった

          ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引越しの夜

          沈黙 -SILENCE-

          お休みが多くもらえる時期なので、いつもは手が出せないようなものに触れている。 そのうちのひとつが 宗教について知るということ。 無宗教かつどのコンテンツにもいわゆる"推し"がいないので、私はあまり何かを信じたり崇めたりということがない。 だから神様の存在とか、神のように"推し"を扱うことが、すこしばかり見ていて怖くもあった。 小学生の頃に中東の戦争や9.11のテロを見て、「宗教があるから争いがあるんじゃないか」と率直に思ったこともある。 自分の命より大切なものがある人た

          沈黙 -SILENCE-

          価値観差で風邪を引く

          上京して2年が経つしもうそろそろ大丈夫だろ、と思っていたけれどたぶんまだ全然慣れていない。 渋谷では永遠に迷子だし新宿ではうまく歩けない、乗り換えが2つ以上あるとほぼ必ず間違えてだいたいの約束に遅れてしまう。 まあでも地理がだめなのはいまに始まったことではないので、いまは人とあんまり約束をせず、せめて迷惑をかけないようにしている。 迷うより ときとしてダメージが大きいのは、たとえば新卒採用での「MARCH以下はいりません」という露骨なアピールが当然のように受け入れられてい

          価値観差で風邪を引く

          首里城が燃え落ちて

          象徴とはこういうもののことを言うんだな、と初めて実感した。 朝起きたらすべて燃え落ちたあとで、まさか戦争と自然災害以外で、つまりなんの前触れもなく失われるとは、考えたこともなかった。 首里に住む友人は相当にショックを受けていた。たまたま東京の私の家に泊まりに来ていたその子は、親からの電話で先に起きていた。石塀のおかげか近隣にはあまり燃え広がらなかったこと、その甲斐あって死傷者は出ていないこと、けれど木造建築の城はほぼ壊滅状態だということを教えてくれた。 私は首里城のこと

          首里城が燃え落ちて

          東京芸術祭

          野外劇 『吾輩は猫である』を観に行った。池袋の東京芸術劇場、そのエントランス前に舞台が組み上がり、駅へ向かう人の目につくところでの上演だった。 人と猫が入り混じって、つぎはぎに場面がうつっていく。猫というか狐の化かし合いのようだった。 とにかくいつでも機嫌の悪い珍野教諭と、気まぐれにからかい去っていく猫たち。74名の大人数がいちどきに舞台へ駆け上がる様が圧巻だった。 登場人物は少なくて、でも一役を5人や7人でやるから目が忙しい。 没個性的にならないようにあがけばあがくほ

          東京芸術祭