見出し画像

アデル、ブルーは熱い色

人に会えなくて寂しいと、思ったことがほとんどない。だから最近まで恋愛映画にそこまではまらなかった。

けれど22歳の春に観て、以来ずっと暫定マイベストムービーに輝いているのはある恋愛映画だ。その話はここではしない。ただその映画を観てから、優れた恋愛映画は優れた人間ドラマだと言われる所以に納得して、恋愛映画の"人間"部分を観ようとしている。

『アデル、ブルーは熱い色』のアデルは、私が得意ではない熱烈な10代そのものに思えた。好意を寄せられたらなめらかに受け入れて、簡単に傷ついたり傷つけたりする。

そう思いながら、アデルの運命・エマとの邂逅の場面では、私も簡単にどきどきした。エマの視線の投げ方、荒々しいブルーの短髪、白い肌に光を弾く産毛、唇を釣り上げる角度にどきどきした。他人の恋はときにばかばかしいのに、矛先が(たとえ錯覚でも)自分に向くとままならない。己の愚かさがよくわかってしまう。

セックスシーンで主演女優ふたりとも監督に不信感を抱いた、という話を後から知った。観ている間は特にセックスが多いとも長いとも思わなかったけれど、そこ以外にも視線ひとつで充分官能的な画はいくらでもあった。

恋人になる前後のふたりが特に好きだ。奔放そうに見えるエマではなく、アデルの方からキスをした。それまで他の誰かにはされる側だったアデルが。

それから後の展開も、エマが思っていた以上にずっと実直な人で驚いた。家に帰れない日は電話を入れたり、浮気したアデルに面と向かって激怒したり、それを許したり、でも二度と恋人にならないしセックスも拒否する、それでもエマにとってアデルはずっとかけがえがない。人が人を大切に思っているのにその関係はずたずたで、エマの心中は地獄の様相なんじゃないかと思うけれど、離別の一夜と再会の日以外はいつもすかっと笑っている。

反対にずっと泣き通しなのがアデルだ。私は人に会いたいと思う心が枯れているので、「どうしようもなく寂しくて」と泣くアデルが全然わからない。"周囲のLGBTQへの無理解が彼女たちを引き裂いた"などの見方もあるようだけど、恋人が男性でも寂しくなったらアデルは同じように浮気したんじゃないかと思ってしまう。

終盤でエマの髪がブルーからブロンドになっていたのも意外だった。タイトルに持ってくるくらいの要素なら最後まで変えなくてもいいのにという気はしたが、原題を直訳すると『アデルの人生 その第1章と第2章』になるらしい。冒頭の朗読『マリアンヌの生涯』とリンクしているのだろうか。
髪の色なんて些細な特徴でしかなくて、もっと大きなものを描いていたようだ。

エマに拒絶されて放心したままのアデルが、同僚に「5分だけ」と言って砂浜を離れ、海に身を任せるシーンがある。そのときのひとりになったアデルは好きだと思った。最後に展覧会からひとりで抜け出すアデルも。
彼女の第3章が、孤独でも実りあるものになれば、エマとの別れも「偶然なんかじゃなかった」といつか笑えるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?