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TUGUMI

吉本ばななの作品には何度かニアミスしている。中学校の図書室には確か所蔵されてあったように思うし、高校の頃は美術部の先輩が読書感想画を描いていた。にもかかわらずだいぶ時差のある出会いになってしまった。
大人になってから、朗読会で聴いたことがきっかけで、初めて正面から出会い直した。
それが『TUGUMI』だった。

清らかな海辺での一度きりの夏、意地の悪い幼馴染の美少女と、突然越して来た男の子。青春の条件をこれでもかと詰め込んでいてもふしぎと押し付けがましさがない。一文一文が落ち着いていながら美しく、凪を感じた。

つぐみはお世辞にもいい人とは言い難くて、恨みをいくら買っていてもおかしくない。そのつぐみのいとことしてともに育った語り手のまりあが、怒りも煩わしさも一切を流しやって彼女を大切に思っているのが、淡々とべたつかずに言い切られていてよかった。

最後の夏に浜へやって来て、つぐみの恋人となる恭一と、まりあは戦友になったように見えた。
陳腐な三角関係になることなく、ひたすら大切な人を守る気持ちを共有する同志のようで、羨ましさすら覚えた。

もうひとり、つぐみの姉である陽子の存在も太陽のように大きかった。つぐみのわがままや暴言を受けてなお優しくいられる天使と称される陽子は、どの場面でも大抵誰より早く、季節や自然の移り変わりを口にする。
そして、つぐみの唯一の理解者とされるまりあでも気づかなかったあることに気づき、つぐみの目論見を阻んだのも陽子だった。
陽子はつぐみがぼろくそに言うよりもずっと聡いのだ。優しいために周りの変化に敏感で、優しいためにいつも少し困っている、あるいは必死で涙をこぼしている。まりあが陽子を好いている理由がよくわかる。

章立てを見たとき、病弱なつぐみはおそらく最後に死ぬのだろうと思った。死をもって夏を完璧に閉じ込めれば、より思い出の強度は増す。そういう物語だと覚悟していたので、ある意味拍子抜けしたし、笑い飛ばしたくもなった。どうやらこの小説で女の子は簡単に死なない。口の悪いやつはなおさら。

作者の吉本ばななは、「現実の海や恋や生活は小説ほど美しくはない」という旨のあとがきを寄せている。編集者によるインタビューでは、「人生に対して否定的だからこそ、せめて小説ではそれを救うようなものを書きたい」と答えている。
美しい文や青春のひとときが驚くほど素直に沁みるのは、そういう根元があるからなのかもしれないと思った。
人生は素晴らしいだなんて、直球で来られても面食らってしまう。それでもちいさく光るものを手渡したい、という意志を感じるから、つい受け取ってしまうのだ。

生きている限りまたいつかこういう夜を感じることができると思うと、未来にも希望がもてる。
もう2度とないかもしれなくても、もしかしたらいつかの夏、今夜に似た夜にめぐりあうかもしれない、と思うと、最高だった。

確信というには弱いものの、まりあの独白には単なる期待だけではない確かさがある。

つぐみの手紙も同様だ。熱に侵され生死をさまよう夜と目覚めの朝の最悪さを綴った後に、それだけで終わらず「でも」と続く。最終盤からの引用は控えるが、あんなに力強い逆説を他に知らない。

10代の頃に出会っていたら、きっと生意気で強かなつぐみにばかり夢中になっていた。
それができなくなったのは少し寂しいが、より遠くから眺めてみて、作者と登場人物の機微をわずかでも想像しながらものを読めるようになれたことは嬉しく思う。

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