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覚悟を決めた時が、成人の時かもしれない

おはようございます。音楽家の河野一之です。

もくじ

うちの母は片親にも関わらずとても教育熱心で僕に対してものすごい愛情を注いでくれました。

だけれどもいつしかそれが過熱し、段々と僕自身が疑問を感じるほどになっていました。

親友たちや仲間たちの親との距離感と、我が家の親子の距離感が全然違く、我が家はすごく近かったのです。

その後2年間の留学(良い意味で死闘)を終えた僕はおかげさまでとても成長することができ、その帰国を待っていた母の記憶にある2年前の僕ではもうなくなっていたのです。

留学を終えてからの数年間は自立しようとする僕と過保護になってしまった母親とのバトルでした。さらにこの戦いは僕自身との戦いでもありました。

それはまだ自分の中にいる子供な自分です。

この三つ巴の戦いは大爆発を起こしながら結局僕の自立で幕を閉じました。

もう何年も前の話です。

いつも付き纏っていた不安

経済的にも精神的にも自立する前は常に自分自身にえもしれぬ不安が付き纏っていたました。深層心理的に「こんな生活が続くわけがない」と思っていたのだと思います。

しかし、本気で自立する!というかそういう状況になった時人生で初めて自分自身の人生に責任を、覚悟を持とうと決意したのです。

何があっても自分の責任、全て自分で調べ、対処し、解決していこう、そう決めました。

ものすごく大きな決断でした、まさしくバンジージャンプを飛ぶ直前ぐらいの緊張感です。

しかし、一度そう決めてから行動をしていくとすごく楽しいのです。なぜならやっと生まれて初めて全て自己責任で、自分自身の力で自分の人生を切り開いている感覚を得たからです。

そこからいつもどこかで感じていた得体の知れない不安は姿を消しました。おそらくこの不安は覚悟をしたいけどさせてもらえない憤りから来ていたのかも知れません。

誰かのせいにした途端

人生は、生きるということは、この世界での活動の全ては

誰かの、何かのせいにした途端進化を止めます。

簡単に言うと思考停止状態になるのです。

お金がないのは社会保障が薄いからだ!健康ではないのは食べ物が高カロリーすぎるからだ、頭が悪いのは学校の教育が悪いからだ!

政治が悪い、社会の仕組みが悪い、世界が悪い、家が悪い、親が悪い、地域が悪い、国が悪い、あいつが悪い、あれが悪い、それも悪い

こう言う風にして何かのせいにすると”その何かが変わりさえすればいい”と思考停止状態になり、相当幸運でない限り思い通りにはいきません。

思い通りに行ったとしても自分自身が変わっていない状態なのでまたそういう状態は起きます。

自分の人生で起きていることを自分以外のせいにしても変わりません。

とにかく自分自身を変えるつもりで勉強し、行動し、変化を受け入れ動いていくことでしか周囲は変わりません。絶対にです。

まとめ

僕自身、良い意味でも悪い意味でも可愛がられ甘やかされて生きてきましたが、やはりどこかで成長せざるを得ないタイミングが来ます。

でもそれは本当に今考えれば自分にとっては千載一遇のチャンスで、あの機会がなければ自分自身の人生なのに、自分以外の何かのせいにしてしまい自分の人生を歩めなかったと思います。

このように自分自身の人生を歩んでいるからこそ、当時の家族が与えてくれた愛情に感謝ができますし、今の自分自身の人生を楽しむことができるのだと思います。

そんな経験ありませんか?

Thank you

Kazz


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