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何をするのにも年齢は関係ない

おはようございます。

河野企画代表、チューバ奏者、指揮者の河野一之です。

今日は年齢の話、まだ僕自身が32歳というのは関係なく、1人の人として書いてみる。

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序章

同調圧力、年功序列大国の我が国ではある一定の年齢、例えば20代とか、30代、還暦etcになると

・〇〇するには遅すぎる
・今更ねぇ
・まだ若いくせに
・〇〇歳のお前に何がわかる
・その年でそんなことして〜

などという年齢で差別をしたり、何かを諦めるという行為が頻繁に行われている。

正直、年齢なんていうのは人間が勝手に決めた時間というサイクルで、その中の一年という長さを基準にし、それが3回起これば3歳、62回起これば62歳と

人が過去定めた"時間"という概念で見た、今の自分の状態でしかない

なので7歳でもものすごい能力を発揮し活躍する人もいるし、70歳でも人に迷惑ばかりかけ何にもできない人もいる。80歳でも社会に貢献し続ける人もいるし、10代ですでに2回目の起業を行なっている人も実際にいる。

この国では縄文時代以降、大陸から渡ってきた渡来人との混血が起き、その後長きに渡ってほぼ単一民族として暮らしてきた。

夏は30度以上、冬は氷点下までいき一年の温暖差が40度以上、地震に火山活動、台風の頻発、周囲を海に囲まれている島国のため津波も来る。

このようなハードモードな国では(想像でしかないが)単一民族同士で内戦は行うけれども基本的には「みんなで決まりを守って生き残ろう」という気質が生まれるのもよくわかる。

しかし、すでに人口も1億人を超した現代では「個」のあり方を重視されるようになってきている。

これは「みんな一緒、同じ!」という考え方だとそれに効果的な致死要因がきた場合簡単に絶滅するからだ。
(でもまだまだ同調圧力、年功序列、性別による差別、身体的差別などは根強く残っているけどね)

今日はこの国で30年、英国で2年生きてきた僕の考えを紹介する。

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30歳までにプロになる

家族には話していたし、自分自身でもなぜか決めていたのが

30歳までに音楽で生計を立てる

ということだ。

自分自身の自立という意味でもなんだかとても拘っていた気がする。

宣言通り実際に30歳になるまでに自立し、音楽で生計を立てることには成功したけれども今考えればこの考え方は視野が狭かったと思う。もし自分の子供が生まれたり後進に話す機会があった場合は他の道(方法?)もあると説明する。

何が言いたいかというと、別に

10歳、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳、70歳、80歳、90歳、100歳だろうと何歳でもプロになろうとすればいいし、そうでなくても良い訳だ。

ここで大事になのは何をどうしたいのかだけ

・音楽が好きで続けたいのか
・音楽で生計を立てたいのか
・好きなことで生計を立てたいのか
・30歳という数字が大事なのか

これだけだ。

・音楽が好きで続けたい、ならプロアマ関係なく続けたら良い。
・音楽で生計を立てたい、ならお金を稼げる音楽業務を勉強し習得すれば良い。
・好きなことで生計を立てたい、なら音楽だけでなくても良いのではないか
・30歳という数字が大事、なら君の人生は30歳がゴールなのか

こうなる。

僕の場合は音楽が好きで続けたい、そのずっと時間を忘れて行える音楽でお金を稼げるなんて素敵。音楽家になりたい。

であった。なので因数分解すると
・音楽が好き、続けたい
・好きなことで生計を立てたい

これだけ。「音楽で」「30歳までに」生計を立てたいというのは勝手に勘違いしてそうしなきゃいけない、そうすべきだ!と思い込んでいただけのものだ。

しかも音大卒業したてのころなんていうのは自分の専科でしか稼いではいけない、それでしか稼げないかのような謎の枠組みをつけてしまう。おそらく四年間その専科を専門に研究してきたというプライドがそうさせるのだ。

なので実際専科が金管楽器のチューバな僕がどうしていたかというと好きな音楽に絡めて
・指揮者活動
・通訳、翻訳業務
・音楽イベントの企画、運営
・スーザフォン(チューバの亜種)演奏
・海外アーティストのツアーコンダクター


なんていうのをしている。全く専科と関係のないことも多い。でも好きな音楽に絡んでいるし、一回やってみて楽しかったものは新たに好きになったものなので続けられる。

例えば24歳で音大を卒業したとすれば、まだたった24年間しか生きていない中で自分の得意なことや好きなこと、しかもそれの売り方まで完璧に分かるなんていうのは一握りの人だけだ。

そういう中で何歳でも、どこ卒業でも、性別は何でも、身長は〇〇でも何でもできる!という風に今の僕なら当時の自分自身に話すだろう。

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34歳の留学生

英国へ留学し最初に住んでいたFlat(アパートのような、キッチンとリビングが共有でシャワーとトイレがそれぞれ付く個別の部屋がある建物)の同居人に、ハンガリーから来た留学生がいた。

僕が苦手なパプリカ大好き大国の国民だ。
(彼女の作る料理にはほぼ100%パプリカが入っていた。)

そんな彼女と話していると年齢の話になった。
当時頭カチカチの超日本人脳だった僕は彼女の年齢を聞いて驚いた。
「私は34歳、美術を学ぶためにこっちへきたの。」

いくら同じ欧州同士だからといったって、言語も風土も違う”国”をまたぎ、しかも34歳で留学をし始めたという言葉に衝撃を受けたのを覚えている。

ここで23歳だった僕の中の世界が広くなった。
何歳で何をやっても大丈夫だ!

さらにその後世界は色々なことを僕に教えてくれた。
というよりかは凝り固まった価値観を壊し、狭い視野を広げてくれた。

100歳でバンド活動をしている方もいる。

80歳で徒歩で行ける世界で一番高い場所、エベレストに登頂した方もいる。

90代で大学院を卒業された方もいる。

9歳で大学を卒業する人もいる。

年齢1桁や10代で起業し1億円を稼ぐ人たちもいる。

つまり何でも良いのだ。

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まとめ

僕は生粋の日本人だ。
(よく顔が香港人っぽいねと妻に言われるけど、妻にはインド人っぽいねとお互いにいじりあっている)

なのでおそらく日本で暮らすということを何となくはわかっているけれども、この島国では日本語話者が多く、全ての物事が日本語で完結する。文化もほぼ和文化のみ、あっても中華街やコリアタウン、元がインドの仏教、キリスト教ぐらいが僕は思いつく。

そういった中で育つと環境によっては全く外の世界を知らずに育つことになる。それが良い悪いという話ではなく、もし自分自身がこの島国で何か息苦しさを感じるでのあれば一度「島の外」を見てみると良い。

しかも和訳されたものではなく原文で。

言葉を知るというのはその言葉が使われている国を、人を知るということだから。

手っ取り早いのは英語。

そして国や文化を調べるのも良いけど実際に自分の意見を日本人以外に聞いてみると良い。さっきの34歳のFlat mateとの会話のように雑談の中に彼らの当たり前、こちらにとっては触れたことのない価値観が潜んでいる。

たった一言でこちらの固定概念が崩壊する。

今日は年齢をテーマに書いたけれども、性別、身体的特徴、出自、生まれた場所、etcといったスタート時点で自分の力ではどうしようもないところは後々強みにもなるし、改善もできる。

年齢に関してはただの数字で、それで何かを区切ったり差別する必要は全くない。

言葉を選ばずに書けば

年齢を何かを諦めるための言い訳にしているだけだ。

誰も他人の人生に干渉はできない。僕で言えば一生に一度の32歳の夏は今しかない。時間が逆行するわけではないので、今が人生でもっとも若いのだ。

年齢は関係ない、というか何もかも自分がやりたいことをするのには実は関係ないと僕は思っている。自分が

やるか、やらないかだ。

Thank you

Kazz


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