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プロぶるのは自分自身に、人には人として付き合え

おはようございます、音楽家の河野一之です。

お知らせ


まずはお知らせをさせてください。

①The LIVE "In Eb"動画販売中!

令和3年2月28日(日)
東京都西日暮里駅もより「やなかホール」にてチューバ、テナーホーン、ピアノ、パーカッションの4人で開催されたライヴコンサートの配信動画です。

あの感動をいつどこでも再び!

②17LIVEという無料配信サイトで毎朝生放送しています。

ぜひ覗きにお越しください。

毎朝6:30~管楽器奏者が教えるブレスウォームアップ
毎日チューバライヴ

③金管バンドでスターウォーズを練習する会
6/26(土)10:00〜12:00
今回は前回のStarwars Phantom menaceに加えSWシリーズフォースの覚醒よりThe March of the Resistanceを練習します!

ご応募は以下より

ご応募はこちらから

貴族と王

貴族や王族はその身分にふさわしい能力で国や多くの人をまとめたり救い、生活を守る。その代わりに尊敬を集め、税金や特権をもらっている。

昔はこんな感じだったようです。

でもこの貴族や王族が自分の能力を過信し、いただいた権力を暴走させると国が荒廃し、革命が起き退位させられます。

これは貴族や王族に限らず、人という生き物は基本的に群れをなす生き物なので社会、学校、小さいところで言えば家庭などどんな場面でも起きることです。

そして今回は音楽家、とりわけプロの話です。

先生と呼ばれてから

音楽が好きでずっとやってきて、もっと知りたいと専門性の高い音大や専門学校に行きます。

そうして在学中や卒業後には演奏の仕事やご指導の仕事をいただきプロの卵からプロ奏者に成っていきます。

この過程の中で、どうしたって専門性の高いことを学んできて、自分自身研究もずっと続けて生きているのでご指導させていただく場では「先生」と呼ばれることも多くなります。

これは日本独自でしょうか、僕が行っていたイギリスではつけるとしたらMr.やMrs.などで、これもかなり少なく基本的には先生と生徒同士でもFirst Name同士で呼び合う形が90%でした。(話す内容や話し方はもちろん先生に敬意を払うように話します。呼び方の話です。)

幼少の頃から「先生の言うことは聞きなさい」とその先生の人格や人間性云々の前に大前提で「言うことを聞かなくてはならない」という条件付けをされている我々日本人は、先生と言われる人を前にするとなんだかかしこまった感じを感じます。

さらにこれが呼ばれる立場となると、つまり僕で言えば「河野先生」となると尚更です。ここで少なくない数の人が勘違いをするようです。

簡単に言うと「先生と呼ばれてる自分」=すごい

こんな感じです。

権力というのは人から与えられたものです。自分がどれだけ大騒ぎしようが、偉業を成し遂げようが自分の能力というのは他者から見てどうかという比較でしか表せません。

そんな中、人から与えられた権力を何を勘違いするのか僕たち人間は簡単に勘違いをし、まるで自分の能力のように思ってしまいます。

そうして、慢心し、本来は同じ目線でご指導し「先に生きてきた」、または「生徒さんがまだ知らない世界を見せてあげる」べき先生が心ない言葉を生徒にぶつけ、音楽を嫌いにさせていくのです。

先日こんなアンケートをとってみました。48時間アンケートへの回答時間を設け、115名の方が回答してくださいました。

結果は一位、怒鳴られたことがある。二位、経験なし。三位、暴力を受けたことがある。となっています。

まず第一に43.5%の方々がそんな経験もなく普通に部活動を続けて来られたことに安堵しますが、一転51.3%、約半数以上の方は何かしら怒鳴られたり、暴言を吐かれた経験があるようです。恐ろしいのは5.2%の人は暴力まで受けていけています。

こちらは文部科学省が明記している義務教育の目的です。

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下部に書かれている

1、国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成

こちらを達成するために「怒鳴り」「暴力」は必要なのでしょうか?

河野の意見

そんなに簡単でシンプルなことではないのはわかっていますが、言うことを聞かすために怒鳴りや暴力には反対です。

もし指導を行う対象に言うことを聞かさなければならない状況があるのであれば①指示に従いたくなるようなシステム作り②指示に従わない場合のデメリット、この二つをしっかり理解し、指導対象にも知ってもらう必要があると思います。

以前ヒューマンエラーの話をしましたが、今だにヒューマンエラーは存在せず全てはシステムだと考えています。

プロぶるのは自分自身に、人には1人の人として付き合え

なのでプロぶったり、先生ぶるのは自分自身への戒めだけとし、他者に関してはどんな場面でも1人の人として付き合うべきだと僕は思うのです。

これはもしかしたらどんな場面でもそうかもしれません。

親だからといって他者と比較した”親像”を作らなくても1人の人として子供と付き合うとか、先生と受講生でもあくまで1人の人として敬意を持って、個を尊重した付き合いが必要だと思うのです。

そこにプロとしてとか、親としてとかいうのは”自分自身”にだけ向けて考えておけばいいのではないかなと常日頃自戒を込めて考えています。

そうしたら自分自身には理想のプロとして、理想の人としての研鑽を積みたい気持ちになり、他者には同じ同志として優しくできるでしょう。

取り止めのない文章でしたが引き続き思考を続けていきます。

Thank you

Kazz


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