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【自己否定】 比較が招く地獄への入り口

おはようございます、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。

もくじ

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自己否定、卑下

辛いことがあったり、しんどいことがあったりすると頭が良い人や優しい人ほど

・自分が悪かったのではないか
・何を改善できるか
・もっと〇〇すればよかった
・なんで自分ばかりこういう思いをするんだ

などと自己否定や自分自身への卑下(自分を人より劣った者としてみること)に繋がる考えが浮かんでくる。

それは相手に求めても仕方のないこと、自分自身が変わらなくてはいけないという「周りを変えたければ自分が変われ」の法則を知っているというのもあるし、そもそも自分自身への信頼や自信がないことに由来するようだ。

僕自身は長男+一人っ子、さらに父方の祖父母にとっては初孫ということもあり幼少期は本当に可愛がられ自己肯定感や自尊心はMAX、さらにプライドという鼻っ柱もかなり高いまま小学生になっていった。

幼稚園よりも小学校の方がより数も多く幅広い同級生達に出会うことが多いので僕の場合も一気に十数人から数十人に増えた。

さらに筆記テストや体育などでのかけっこなども始まり徐々に

比較

されることが増えてくる。するとかなり高かったプライドは折られ、自己肯定感や自尊心もなりを潜め始める。

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この比較、比べられるということはある人の能力を教育機関や日本という国の基準と比べてどうだったか点数にして表す。

僕は国語、音楽、図画工作、社会の授業ではなく教科書を読んでいるのが好きで、体育や算数、語学は苦手

これは自分が生まれてから何か後発的に何かをしたのではなく、先天的に僕にとっては得意なもの、不得意なものがあっただけだ

アルベルト・アインシュタインの言葉

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ここにアインシュタインの言葉がある。

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教育のシステムと題されたこの絵

様々な場所に住み色々な身体を持つ動物や魚がいる。そして試験官はこう伝える。

「平等に審査するため、皆さんには今からその木を登ってもらいます。」

そしてアインシュタインはこう綴るのだ。

「Everybody is a genius, But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid.」

「誰もが何かしらの天才だ。しかし、もし魚が持つ能力を木を登らせることで測るのであれば、その魚は「自分はダメなやつだ」と生涯信じることになる。」

生まれた時は誰もが唯一無二

僕たちは生まれ落ちた時点で

・他の誰かの代わりではない
・他の誰にもできないことができる
・他の誰にも真似できない

存在である。自分と全く同じ人間は同じ指紋が存在しないのと同じで少なくともこの地球上にはいない。

なので本来は誰しも唯一無二なのである。

でも生まれた瞬間から人間同士、男女、日本人、世代別、年齢別、家族、親戚など様々な比較対象と比べられ始める。

こうして母親のお腹の中から出た時点で自分には何の責任もないまま比較されまくりながら育っていくのだ。

周りの環境次第では自己肯定感や自尊心を持ちながら生きられるし、運が良ければ自分の才能や得意なことにあったものに出会い活躍していく。

本当に生まれ落ちる環境とその後の運次第なだけだ。親を選べないのと一緒。

この自分ではどうしようもない事で悩み始めると最後には

自己否定&自分自身への卑下

しか選べなくなり、闇へ落ちていく。なぜなら自分では絶対にどうしようもないことを悩むから、ゴールのないトンネルをくぐらされるのと同じだ。

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想いの力はかなり強い

結構軽視されている人が多いが人の想いはかなり強い

想いが強すぎて鬱になる人もいるし、同じトレーニングをするのでも想いの強さやイメージの仕方で実際に身体つきが変わってくるという風に身体的にも大きな影響を与えることになる。

ネガティブな人や自己否定感が強い人とポジティブで自己肯定感が強い人であれば顔つきや雰囲気でわかるぐらい差がでるし、同じ人でも考え方1つで雰囲気が変わることもある。

そんなものすごいエネルギーを持った「想い」を使って自己否定や卑下を行うのだから身体への影響はかなり強い。

突き詰めてしまえば自分自身を死へと追い込む自死までいくだろう。

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想うなと言っているのではない

なので「自己否定や卑下をするな!」と言っているのではない

なぜ自己否定に走るのか、自分を卑下するのか

そこを考えるべきだと書いているのである。

例えば
・誰かと自分自身を比較していないか、または比較されていないか
・理不尽な思いをしていないか
・自分の不得意なことをわざわざ頑張っていないか
・好きなことはできているか
・自分の想いを我慢していないか
etc

こういうことが続くと自己否定や卑下につながってくる。なぜなら唯一無二であるはずの自分を誰かとわざわざ比べたり、自分が不得意なことを頑張ってみたり、好きでもないことをわざわざするのだから当然である。

そしてこういう状況にいると洗脳状態に近い状態になるために今書いているような新しい知識も

でも、だって、しかし

という様々な理由をもとに変えたくないように勘違いをし、変化を自分自身が拒むのだ。洗脳というのは本当にすごい。

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自分を洗脳し直す

じゃあどうすればいいか、上記した

・誰かと自分自身を比較していないか、または比較されていないか
・理不尽な思いをしていないか
・自分の不得意なことをわざわざ頑張っていないか
・好きなことはできているか
・自分の想いを我慢していないか

この内容と逆を行えば良い

・誰とも比較しない、誰に比較されても気にしない
・理不尽なものには対応をしない
・得意なことを探し、やる
・好きなことをする
・自分の想いに常に忠実に、誠実に生きる

これだけだ。でもだってしかしが出てきたら

「いやー、まだまだ洗脳が解けてないなー笑」

と笑って否すべきだ。

僕たちが絶好調で動けたり生きていけるのは恐らく5~60代ぐらいまで、徐々に身体に不調が出てくるだろう

そういうそれまでの期限のある人生の一分一秒を自己否定や卑下の時間に使っていては勿体無い

少しづつでも前向きに好きなことをやり、得意なことを駆使し楽しんで生きた方がきっと死ぬときに笑って死ねると思う。

自戒も込めて

Thank you

Kazz








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