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BLMを考えることは究極の教育活動だと思う

「Black Lives Matter」
もう聴き慣れた言葉になっていると思います。
私はこう見えてアメリカ在留経験があり、この話題がかなりホットな2014年をアメリカで過ごしました。
今日はこの社会活動を日本の子どもたちに伝えたいメッセージを込めてお送りしたいと思います。


Black Lives Matter(ブラックライヴズマター)とは**

これは黒人が中心となって行っている社会活動です。
Wikipediaに詳細がまとめてあるので事前に読んでみると分かりやすいと思います。


子どもたちへのメッセージ、としていてもこの記事を直接子どもが読むことはないと思います。
なので、もし、子どもに読んでもらえるとしたらという形で書いていきます。

この社会活動(運動)は、
黒人を白人が殺した事件から始まります。
黒人の意見は「黒人の命は軽くみられている」=黒人は殺してもいいという認識がこの世にあるから、なんとかしなきゃいけないんだと!
グループを作って世の中に訴えているのです。

つまりは、差別に対して差別を受けている人たちが抗議をしているのです。

でも、簡単に

「あ、黒人かわそう、私も賛成です、抗議します。世の中間違っています。」

とこの活動の表面だけをみて参加してはいけないのです。

もちろん、どんな理由があっても尊い人の命を奪ってはいけないのですが、
それだけではこの問題は解決されません。
ここから少し話が難しくなってしまうかもしれないですが、お付き合いください。


黒人VS白人の戦いなのか

この問題の表面を見てみると、
黒人を射殺した白人警官が(世の中が)黒人の命を軽んじているとだから黒人は怒っているんだ!という風に見えてきます。

この構図がそのまま正しくてこの争いに転じているのだろうか?

黒人はその長い歴史の中で、迫害を受けてきました。とても悲しい歴史があります。黒人はアメリカ開拓時代にアフリカからアメリカに奴隷として連れて行かれました。これは世界史の勉強でも日本史の勉強でも学ぶ内容で、全世界が知らなければいけない人類の悲しい歴史です。ヨーロッパでも同じです。そして鎖国が開けた日本でも同じような扱いを受けていきました。

当然ですが、人類の長い歴史の中で白人がこの世を統べてきたのは皆さんご存知で、ヨーロッパが最も発展を遂げて、世の中をリードしてきました。
立場が弱い黒人、立場の弱い黒人こうした勢力図が出来上がり、黒人たちは憎しみを募らせてきました。

そして時は流れ、奴隷解放へと進んでいきます。
近代化とともに人権が世の中で大切だと訴えられ始めました。
有名なキング牧師など、声を大きくして戦ってきた先人たちのおかげです。

キング牧師


日本の歴史にしてみると、
天下統一を志した多くの武士が、ようやく徳川家康の手によって天下を統一された・・・
果たしてキング牧師の戦いが同じような戦いだったのでしょうか?
武力を持って強い奴が敵をやっつける、そんな戦いなのでしょうか?

そうではないですよね。
だからこそ、黒人VS白人は成り立たないですし、この運動が黒人VS白人ではないということを忘れないでください。

この騒動の発端から多くの人が血を流している、これは命の尊さを訴えている活動なのに、命のかけ方を多くの人は間違えてしまっているのです。


問題はどこにある?

こうした差別の問題は、簡単な言葉で片付けることはできないです。
これは誰かが誰かを嫌いで戦いを仕掛けているのではなく、人々が持つ権利をどのように守っていくかという話なのです。

これも歴史の上で証明されていますが、
人々は何かを守るために戦います。

国益や領土、権力を守るために人類は争いを行ってきました。
人々の自由や権利を奪うことで自分自身の権利を守ってきました。

根本的な問題はどこになるのだろうか?
そして、日本人に関係がない話か?
そうではないのです。


差別というのはあらゆるシーンで起こっています。
実は、私は文化人類学研究を大学時代におこなっていてたくさんの事実を学び、考えを深めていきました。
基礎知識として、マイノリティという言葉とマジョリティという言葉を抑えておきましょう。

マイノリティは少数派という言葉、マジョリティは多数派という言葉です。
つまり、人が集まったときにその特徴やルーツなどが全体のどのくらいを占めるかということです。
差別の根底にあるのはそういった基準によって与えられるイメージが存在するのです。人間は表面で物事を捉えて判断する生き物です。第一印象が与えるイメージ(経験から来るもの、知識から来るもの)といわゆるセカンドインプレッション、第二に来る印象で相手を判断します。

基準を作っているものは間違いなく知識です。

「黒人差別、白人差別など人種差別が日本にあるかといえばそう多くないでしょう。」


多くないと言いましたが、実はかなりあります。
では、なぜないといったか。

私は日本において、日本国民として生まれ、日本語を母語とし、日本に住む人の大多数が持つ特徴を持ち、日本人として生活しているからです。

これがマジョリティです。
多数派に所属する私はそういった迫害を受けている自覚がないから簡単に、日本には差別があまりないなんて言葉を使うのです。
(すみません、あえて言わせていただきました)

これが人種間や民族間、異文化理解において最も危険な落とし穴です。
ハーフの人たちが受けてきている差別、他のアジアの国のルーツを持つ人たちが受けてきた迫害など差別があります。

マジョリティのコミュニティ(多数派の集団)は、自分たちを守るために他者との基準を設けて、明確な線引きをすることで自分たちを守ってきたのでしょう。
だから、昨今のマジョリティに所属する人間はその問題さえも気付かないのです。
日本人が行った差別作戦は大成功です。

この作戦は、とても多くの場面で見受けられます。
いじめ問題も同じです。以前書いた記事がありますのでご覧ください。

私がいっていることの根本的な部分は同じです。

大事なことは、まず相手を知ることです。
イメージという話がありました。

きっと黒人を射殺してしまった白人警官は、
「こいつ、ちょっと強そうだな。仕返しされたら怖いな。」
そう思ったのかもしれません。

国内でもあります。
「このアラブ系の青年はきっと不法滞在者だな。よし、在留カードを確認しよう。」

これは、実は無知が災いして相手を傷つけ、憎しみを生んでいるのです。
知らないから怖いのは当然です。
道端でぶつかって、(弱そうだったから)メンチ切った相手が実はヤクザでした。
これも同じ、第一印象で受けるイメージからの行動です。

無知は人を傷つける。だから、異文化理解、相互理解、コミュニケーションが重要なのだと思います。
守るというアクションに移行する前に、相手を知るというフェーズは何より重要です。
問題は無知やコミュニケーションにあるのではないかと思います。



アンパンチでは解決されない。(相手を知る練習をしていない人類)

相手を敵としてしまうのはとっても簡単。
でも、そうしないためにどうすればいいのか。

勧善懲悪もののアニメを題材に解決策を考えます。
人間は未知だったり、自分にとってよくわからないモノへの理解方法を知らずにいると私は思っています。教育と言いながら、綺麗事で終わってしまっている、もちろんあくまでただのエンターテインメント的コンテンツではあるのですが、もう一歩突っ込んだところに解決策があると思うのです。

多くの日本人が見たことがあると思う、アンパンマンです。

街で悪さをするバイキンマンを敵に、正義の味方のアンパンマンはその必殺技であるアンパンチやアンキックを使って悪を成敗します。
さて、悪は本当にバイキンマンなのでしょうか。

バイキンマン側に立って少し考えてみます。
バイキンマンは文字通り、菌から出来ています。悪戯好きな性格や相当な女性好き、目立ちたい気持ちを前面に悪さをします。
でも、実はただの悪党として見られることを嫌うエピソードがあったり、自身が開発するメカを褒めて欲しいと主張しているエピソードがあります。
自らの私利私欲をコントロールできていないところはもちろんありますが、ただの悪人ではないということが分かります。

エピソードとしても、ただ単純にアンパンマンを敵としていて、アンパンマンを殺すために活動しているわけではないのです。
アンパンマンのような完全正義で人気を得ている者を嫌い、目の敵にしているだけなのです。

彼らの戦いに終止符を打つのであるならば、変わらなければいけないのはアンパンマンの方なのです。
どのように変わるかというと、アンパンマンは相手、つまりバイキンマンをもっと知らなければいけません。

バイキンマンにもいいところがあります。
・アンパンマンを倒すために発揮している探究心
・アンパンマンを倒すために発揮している科学力
・アンパンマンを倒すために発揮している継続的な努力
・アンパンマンを倒すために発揮しているリーダーシップ

このアンパンマンを倒す為という彼にとっての目標を、
アンパンマンが協力することでクリエイティブでポジティブな方向に持っていくことができます。

さらに、アンパンマンの解決方法は世界大戦時と変わりありません。
バイキンマンは悪い奴だから殴ればいいんだよ。
そう言わんばかりの荒々しい対処。
正義であれば、相手に暴力を働いていいのだろうか。
ここまで、おおよその方が想像できるアンパンマン論争です。

アンパンマンの正義は、「街のみんなが幸せに過ごすこと」
バイキンマンの正義は「俺はすごいんだ」
もし、アンパンマンが話の主人公であるならば、バイキンマン(街の仲間の?)も仲間、つまりアンパンマンが思うみんなに含まれる存在であるべきです。
バイキンマンをどのようにみんなに見せるか、というのが大事になってきます。

「あいつ、調子に乗ってやりすぎちゃうところがあるけど、実は手先が器用だったり、すごい発明ができるいい奴なんだぜ。」

もし、アンパンマンがバイキンマンの一歩上をいって認めることができ、
うまく活かすことができればそれは素晴らしい世界が待っているでしょう。
ヨーグルトだって、キムチだって、納豆だって菌のおかげで美味しいいんです。


私がこのアンパンマン論争で述べていることは、実は現実でも起きています。
アメリカンフットボールの歴史をなぞると、かつて、
白人は花形(オフェンス)ポジションに対して黒人はディフェンダーとして活躍していました。(今はもう適材適所)

なぜかというと、
チームの勝利を目的としたときに、黒人の方が守りに対してプライドがあったから。そして、白人はそのプライドを認め、一目を置いて背中を預けていたからなのです。

アンパンマンとバイキンマンがお互いの手を取り合うことなんて実は容易いことで、お互いに守りたいものが一緒ならば人々は簡単に手を取り合い、仲間になることができるのです。

相手を知るということをしないだけなのです。



じゃあ今こそ考えよう

この黒人3世代の話を聞いてみましょう。
私が書いたことを踏まえて考えていきましょう。

https://youtu.be/0-Vxdloc1MI

人々の間に引かれている線引きを変えることは、この何十年の歴史の上に難しかった。
人々がすでに抱いているイメージを塗り替えることは難しかった。

でも、命を大切にすることは難しいか?

相手の話に耳を傾けることは難しいか?

みんなが幸せになれる目標を作ることは難しいか?


これは、単なる差別の話ではないし、アメリカだけで起こっている問題ではありません。教室でだって起こる問題、会社でだって起こる問題です。

そしてもう一つ確証を持って言えることは、
この問題を解決するのはこれからを生きる、今は幼い尊い命たちなのだということです。

そして、今生きている命がこれから成長していく尊い命をどのように守っていくかということなのではないでしょうか。

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