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伴戸千雅子、ダンサー/振付家。93年頃から舞踏を始める。日常生活のモヤっとした感じや、…

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伴戸千雅子、ダンサー/振付家。93年頃から舞踏を始める。日常生活のモヤっとした感じや、様々なテキストを題材に作品を作る。障害のある人と表現プログラムを継続中。https://chikakobando.jimdofree.com/

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シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.7*視覚障害のある人にどう鑑賞してもらうか

視覚障害のある人と初めて作った舞台「見えるひと、見えないひと、見えにくいひと、見えすぎるひと」(2005年、主催:Dance & People実行委員会)では、視覚障害のある観客にどう鑑賞してもらうか実行委員メンバーによるいくつかの試みが行われた。その一つに「音声ガイド」がある。 試行錯誤の「音声ガイド」伴戸:「見えるひと、見えないひと・・・」の公演の時、「舞台空間体験タイム」と「音声ガイド」をやった。あれは中西恵子さん(実行委員)を中心に考えた? 五島:「音声ガイド」を担

    • シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.6*「しでかすカラダ」②

      ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「touching face」2010年) 生活や環境に目がいく五島:「見えるひと、見えないひと」の東京公演が終わって、その時の感想はどんな感じ?あの時は(伴戸が)振付・演出。それをやって。 伴戸:それをやってねえ…。初めて、一般の人に振付をして、その人が持っているものを出してもらいたいというのが一

      • シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.5*「しでかすカラダ」①

        ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「しでかすカラダvol.3」吉田一光さんのソロダンス) 2006年から2007年にかけて、Dance & Peopleは「しでかすカラダ」というタイトルで、ワークショップや公演を行った。この企画の趣旨は、参加者が、自分でソロダンス(ダンスの枠におさまらないものもあったが)を作り、踊ること。視覚障害の

        • シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.4*エイブルアート・オンステージ

          ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「見えるひと、見えないひと、見えにくいひと、見えすぎるひと」2005年上演) エイブルアート・オンステージ 2004年6月から7月にかけてライトハウスでのワークショップを実施した後、同じ年の秋に五島さんは「エイブルアート・オンステージ」に視覚障害のある人が出演するダンス公演の企画を出した。 「エイブ

        シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.7*視覚障害のある人にどう鑑賞してもらうか

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          シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.3*三拍子の動き

          ダンサー伴戸千雅子が、障害のある人とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:目かくし体験ワークショップ 「ことばのちずをかこう」2010年) 2004年に実施したライトハウスのワークショップは、私以外にエメスズキさん、栗棟一恵子さんも数回ずつ担当した。エメスズキさんが音楽家と行ったワークショップについて話した。 三角形を描く伴戸:エメさんのワークショップでは、音楽家が三拍子の

          シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.3*三拍子の動き

          シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.2*ライトハウスでのワークショップ

          ダンサー伴戸千雅子が、障害のある人とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:視覚障害のある人とのワークショップ 2006年) いざライトハウスへ私が初めて「障害のある人」とダンスワークショップをしたのは2004年6月。大阪にあった社会福祉法人日本ライトハウス(視覚障害のある人のための福祉施設、以下ライトハウスhttp://www.lighthouse.or.jp/)で、視覚障害

          シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.2*ライトハウスでのワークショップ

          ダンスと見えないこと* 〜制作者へのインタビューを通して、「障害のある人とのワークショップ」を振り返る〜

          ダンサー伴戸千雅子が障害のある人とのダンスワークショップをする中で感じた、様々なモヤモヤを、ワークショップ企画者五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。 ダンスはからだでおしゃべりすること私は舞踏ダンサー/振付家で、ダンス作品を創作・上演したり、舞台で踊ったりしている。その一方で、ダンスワークショップのナビゲーターもやる。ダンスワークショップと言っても、ほとんどの場合、対象はダンサーではない。「ダンスなんてやったことない」という人や、「ヒップホップ教室、通ってるね

          ダンスと見えないこと* 〜制作者へのインタビューを通して、「障害のある人とのワークショップ」を振り返る〜

          しゃべらない人 1

          障害の社会モデル 踊り始めて10年ほど。初めて「障害のある人」を対象としたワークショップで講師をつとめた。2004年、大阪ライトハウスが運営する視覚障害リハビリテーションセンター。 その話をする前に、「障害のある人」とはどういう人か、整理をしておこうと思う。というのは、ここまで書いてきたことは、人との出会いの体験で、これからもその書き方は基本的に変わらないだろう。それを「障害」の有る無しでくくるというのが、何か変な感じがしたからだ。でも、そこはあまり深追いしないで、日本が2

          しゃべらない人 1

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。6

          からだを動かすのは、筋肉なのか?映画評論家の淀川長治さん(1909-1998)は、昔、テレビのインタビュー番組で、自分は学校で勉強しなかったが、映画からいろんなことを学んだと言っておられた。演技や表現、映画の作り方だけでなく、人間そのものについて、いろんな視点を持てた。多分、そんなことを言っておられたと思う。映画を観る、と言うより、映画の中を生きている。そういう淀川さんの姿が浮かんで、すごいなぁと思った記憶がある。 淀川さんの比較には到底ならないが、私も舞踏という身体表現を

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。6

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。5

          「彼は誰どき」過呼吸になって、一人暮らしをして、もっと強くなりたいと思って、「少しずつ自由になるために」ワークショップに通っていたら、舞踏公演に出ないか?と声をかけられた。 身体表現への憧れがあった。からだ一つで、人前に立って、世界を作っていく人たちを、かっこいいなと思っていた。「強くなりたい」の「強さ」をそこに見ていたのかもしれない。だから、できるものならやってみたいと思ったが、どんなことやるのかとか、雰囲気とか、舞踏とか、あれこれ心配が湧いてくる。それで、練習見学するの

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。5

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。4

          「強く」と「自由」のつながりある日、演劇を観に行って、そこでもらった一枚のワークショップチラシにドキッとする。「少しずつ自由になるために」と書かれてあった。神の啓示のごとく、その言葉に吸い寄せられた。突然、動かなくなるような厄介なからだを抱えつつ、これから一人で生きていかねばならぬ私。強くなりたい。「強く」と「自由」はつながってる気がする。しかし、どんなことをするのか、全然、想像つかない。しかも、講師はダンスの人。私なんかが行って場違いではないか。その頃、知り合った「踊る人」

          しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。4

          しゃべらない人、私が踊り始めたのは。3

          レベッカをめぐる異文化交流「自分」に混乱していた時に、「やりたいことはなに?」と聞いてくれた人がいたなんて。今考えると、まったくありがたい。あの人はいったい誰だったんだ。 過呼吸の2年前。21歳頃。 レベッカに会った。彼女は京都で舞踏というダンスを学んでいた。私は彼女が出演する公演の手伝いをした。学生時代に演劇をしていた縁で、ホールの人に声をかけられたのだ。 初めて「舞踏」を観た。(舞踏については後でいっぱい出てくるから説明省く) 全身を白く塗って、人間じゃない。とい

          しゃべらない人、私が踊り始めたのは。3

          しゃべらない人、私が踊りはじめたのは。2

          「やりたいことはなに?」過呼吸やら自立神経失調やらで、家で寝込んでいたら、友人が来た。90年代なので、連絡は基本、家の電話。なにも知らずに電話をかけてきた友人は、母から事情を聞いて家に訪ねてきた。 「ばばん、どうしたの?」 この人は、私を「ばばん」と呼ぶ。変すぎて、泣ける。日本語ベラベラのアメリカ人。彼女は私に「やりたいことはなに?」と聞いた。「会社に行かなければいけない」と言うと、しなければいけない、ではないと答えた。「自分のことを大切にして」。自分のことを大切にするっ

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          しゃべらない人、私が踊りはじめたのは。

          障害のある人とのダンス体験 私はダンサーで、人前で踊るほかに、表現プログラムの講師をしている。気づいたら15年以上。その中でも、障害のある人とのやり取りで感じたことを文章に書いてみることにした。で、パッと浮かんだタイトルが「しゃべらない人」だった。  「しゃべらない」。ダンスワークショップで、初めて視覚障害のある人と出会った時の、私の心のつぶやきである。  いきなり参加者がベラベラしゃべってたら、進行しにくい。だから、「しゃべらない」は普通じゃないかと、今なら思う。でも、

          しゃべらない人、私が踊りはじめたのは。