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しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。6

からだを動かすのは、筋肉なのか?

映画評論家の淀川長治さん(1909-1998)は、昔、テレビのインタビュー番組で、自分は学校で勉強しなかったが、映画からいろんなことを学んだと言っておられた。演技や表現、映画の作り方だけでなく、人間そのものについて、いろんな視点を持てた。多分、そんなことを言っておられたと思う。映画を観る、と言うより、映画の中を生きている。そういう淀川さんの姿が浮かんで、すごいなぁと思った記憶がある。

淀川さんの比較には到底ならないが、私も舞踏という身体表現を通して、いろんなことを教えてもらったと思う。その時は、からだをどう動かすか、どう表現するかに必死すぎて見えなかった。でも、そこにはたくさんの知識や思想、智慧があり、人がある。そういうものがからだを動かす力になるのだと思う。からだを伸ばしたり、縮めたり、ねじったりすることは、動きの背後にあるものに触れようとすることでもある。

ローザゆきさんには、一度だけ振付をしてもらった。98年、ロリーナ・ニクラウス(バニョレ振付コンクール審査員)の日本ワークショップ参加作品だった。その時の振付は歴代3位くらいにキツかった。激しくジャンプし続けた後に、片足でバランスを取る静かでゆっくりとした動き。おまけに水泳のゴーグルをつけて分厚い生地のワンピースを着る。15分の作品を踊り終えると、ゴーグルが真っ白に曇り、水滴がたまっていた。ローザさんの言葉で印象に残っているのは「重箱の隅」。四角い重箱を丸く拭くのではなく、きちんと隅まで。動きも同じ。動きの隅、動きと動きのつなぎ目もあいまいにしない。自分をきちんと見つめなさい、と言われている気がした。

ローザさんの踊りは、本当に丁寧に「隅」まですくう。それは時に、かわいらしくて、おかしくて、悲しくて、厳しくて、いろんな感情を私に抱かせた。女性であることが詰まっている感じがした。今まで当たり前に受け入れてきた自分の女性観を考えるきっかけを作ってくれた人かもしれない。

私というフレーム

一番長く稽古に通ったのは、由良部正美さん。94年頃から3、4年。当初、由良部さんは人に教えてなかった。が、「いつもやっているストレッチ」を一緒にやるくらいならいいよ、と引き受けてくれた。
「いつもやっているストレッチ」は、ごく基本的なストレッチだが、動きが一筆書きのようにつながっている。吸う吐くの呼吸のリズムもイメージによって緩急が生まれる。由良部さんがやると、すでに踊り。海に浮かぶ船みたいに、波に揺られたり、波とぶつかって呑み込まれたり。波に乗るには、やわらかなからだとどっしりした中心が必要だった。それ以外に、稽古ではいろんなことをやった。いろんなこと。例えば、台詞を言いながら踊ったり。「舞踏」っぽくないと感じることもあった。でも、稽古に通い続けたのは、由良部さんの姿勢に惹かれたからだと思う。からだに問いかけ、考え、なにかを生み出そうとする姿勢。
「あなたが”私”と思っている、その”私”なんて、ないんですよ。幻ですよ」と言われたのは、衝撃的だった。いわゆる「自分探し」の先に始めたのが、舞踏だったから。”私”をしんどくさせている、”私”というフレームを想った。

出会った人のことや、起こったこと、まだまだあって、書き出すとキリがない。稽古に通い始めた頃は、踊りを長く続ける気がなかった。5年くらいやったら、なにかわかるだろうぐらいに考えていた。ところが、ウン十年たっても、踊りをめぐる冒険は続いている。それを振り返るのは、別の機会にして、そろそろ本稿の趣旨、障害のある人との体験を書いていく。

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