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シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.5*「しでかすカラダ」①

ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「しでかすカラダvol.3」吉田一光さんのソロダンス)

2006年から2007年にかけて、Dance & Peopleは「しでかすカラダ」というタイトルで、ワークショップや公演を行った。この企画の趣旨は、参加者が、自分でソロダンス(ダンスの枠におさまらないものもあったが)を作り、踊ること。視覚障害のある人だけでなく、ない人の参加も受け入れた。「しでかすカラダvol.3」(2007年3月、エイブルアートオン・ステージ参加事業)では、6人の出演者のソロ作品を上演した。

教会、お寺を会場に

伴戸:「見えるひと、見えないひと、見えにくいひと、見えすぎるひと」の東京公演の後、これで終われへんって感じで、次に続いていく。
五島:2006年の5月に3日間の連続ワークショップをやったんじゃなかった?
伴戸:「しでかすカラダvol.1」やね。
五島:ライトハウスに入居していた奄美大島出身の人が参加していたよね。踊りだしたら止まらないって感じで。カラダに島の踊りが入っているみたいやった。
伴戸:「しでかすカラダ」は、一人一人の参加者が自分を語るというか、自分の作品を作ってみようという企画。「しでかすカラダvol.2」は、大阪の教会をかりて、公演をした。
五島:みんなソロ。森川万葉さん(出演者)は、丸々一個レタスをバリバリ食べていた(笑)。吉田一光さん(出演者)は子どもの頃の遊びをテーマに踊った。
伴戸:その次にやった「しでかすカラダvol.3」は、京都の永運院というお寺が公演会場やった。バリアフリーとは程遠い環境。なんで永運院を選んだんやっけ?
五島:まず、お客さんが心地いいところがいいと思った。狭い劇場じゃなくて。永運院は不便やけど、大きなきれいな庭がある。車椅子の人が使いやすいトイレもあった。
伴戸:でも、準備は相当、大変やったよね。
五島:築400年の歴史ある建物で、傷をつけたら大変やん。何回も事前に廊下や部屋を計測しに行って、仕込みの日に、お客さんの動線に合板やカーペットをひいて。お寺やし、何日も貸し切りにできないし。スタッフもみんな、本当に、すごい大変やった。
伴戸:それでも、お寺でやろうって思ったんやなあ。
五島:そう。劇場じゃなくて、ああいう場所の方が、それぞれが作った6つのソロ作品がいきると思った。見終わった後に、きれいな庭を見ながら、お客さんとお茶を飲んで、感想を話す時間を作りたいなって。
伴戸:作品の制作過程を見てもらいたいって、リハーサル風景の写真展示もしたな。「しでかすカラダvol.3」は、実行委員や私が、6人の参加者それぞれに「どんなことをやりたいか?」と話を聞いて、進めていった。参加者の希望によって、美術や映像、音楽アーティストに共同作業をしてもらった。「いろんなところで踊ってみたい」と言った人は、カフェや福祉施設で踊って、本番ではその映像を紹介したり。吉田一光さんは「振付してほしい」というのが希望で、「じゃ、舞踏やりましょう」って私が振付をした。
五島:吉田さん、縁側から這って出てきた(笑)。公演の後、京都国立近代美術館のロビーパフォーマンス(「舞台美術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」を記念して開催)でも、吉田さんが踊って、それが最後(2008年5月に急逝)になった。吉田さんは、最初、社交ダンスを教えてもらえると思ってワークショップに来た(笑)。
伴戸:ワケがわからんとか、いろいろ文句言いながらも、ずっと私たちに付き合ってくれたというか。吉田さんの記録映像を作ってもらったな。吉田さんは、白杖ついてすごいスピードでガンガン歩くから、それが衝撃的で。稽古場への行き帰りの様子を、藤原理恵子さん(実行委員)が撮影して。「しでかすカラダvol.3」は、そういう普段の様子も含めて紹介しようとした。

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その人を成立させているもの

五島:2008年12月に森川万葉さんや花嵐とフランスに行って、2009年3月に元・立誠小学校(京都)でその報告会をやった。2010年の3月に、牛若孝治さんと伴戸さんがコラボフェス(エイブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル2010)に出た。
伴戸:嵐のような5年間。
五島:今やれって言われても、無理。ガーッと?スウ―っと流れに乗ってかな?無我夢中で、本当にようやったと思うわ。
伴戸:森川万葉さんとフランスに行った時に、自立してない人を舞台に上げてみたいなことを言われたよね。
五島:フランスでも彼女は自分の意思で立っているのかって言われた。それに対して、京都の障害福祉協会の人に「喜んで参加しているというのは自分の意思だと思いますよ」っていわれたけど。どこに行っても同じ反応はあるんやなって。
伴戸:牛若孝治さんとの関わりは、それまでと違って。
五島:サポートする感じじゃなくて。
伴戸:彼は表現したいことがあって、自立していた。自立ってどういうことかわからないけど。彼には、「こういう表現がしたい」というのがあった。
五島:技術的なことじゃなく。
伴戸:社会との関わりみたいな。「しでかすカラダ」という方向に行ったのって、見える見えないというより、それぞれの表現を引き出したい、みたいなことだった。誰かが表現したことに対して、「面白いな」とか「私もやってみたい」と思う人がいて、また、表現がうまれて、それを受け止めてって、循環がうまれるといいなと思う。
五島:ナビゲートをやった人の感想やな。
伴戸:その人ならでは表現を、いかに出してもらえるかって思っていた。

万葉さんの世界に触れる

「見えるひと、見えないひと・・・」の上演後、「しでかすカラダ」という企画に、引き続き参加してくれた視覚障害のある人、その中の二人が、インタビューにも何度か名前が出てくる森川万葉さんと吉田一光さん。

森川万葉さんと初めて会った時、彼女は高校生。ワークショップに来た頃は、壁沿いに座って、人や場所を慎重に観察していたような感じだったと思う。回数を重ねるにつれ、人との関わりがどんどん増えていった。
私はよく万葉さんにくっついて、彼女のリズムに合わせて、カラダを左右に揺らせた。そうしていると、とても落ち着く。目を閉じてユラユラしながら、万葉さんの世界を想像する。時々、彼女は体重をあずけて、私にもたれかかってきた。彼女の体重を受けとめながら、すごく幸せな気持ちになった。他の出演者やスタッフもよく彼女と一緒にユラユラしていたのは、みんな同じようなこと感じていたからではないだろうか。

彼女が舞台に立つと、ふわーっとやわらかな空気が流れる。やわらかいだけじゃなく緊張感がある。見ている人は、彼女が次に何をするのか気になって、彼女の動きに釘付けになる。そして、予想外の動きに笑ってしまうこともある。
上半身をクルクルと回し、手を伸ばして何かをつかまえるような動きや、ユラユラと揺れながら、その感触を味わっているような表情が、私の印象に強く残っている。万葉さんの感覚をたどるように、今でも目を閉じて同じように動いてみることがある。今さらながら、私は万葉さんからいろんなものをもらったなと思う。

自分の意思で舞台に立つ

万葉さんは全盲で、知的に障害があった。言葉を使って、二人で話し合ったことはないが、
一緒に踊ることで、言葉にならないやり取りをたくさんしたと思っている。

2008年に、万葉さんと花嵐(伴戸が参加していた舞踏グループ)が共演した。いろんな感覚を刺激しようと、上演中に、舞台にコンロを置きポップコーンを作った。バターの匂いとポンポンとはじける音。乾燥したコーンが床に散る音、薄暗い中を踊る人の影、空気の揺れ。不思議な舞台だったと思う。
作品を作る時、どうしたら万葉さんと対等に舞台に立つことができるか、みたいなことを花嵐のメンバーでよく話した。中途半端なことをしたら、彼女にくわれてしまう。だから、私たちもそこにいることに100%じゃないと、負けてしまうと思った。

フランスで上演した際、現地の観客に「彼女は自分の意思で舞台に立っているのか」と聞かれた。つまり、彼女は「言葉」で意思を伝えたのか、ということだ。その人は、私たちの舞台にあまり賛成ではなかったようだ。
そういう線の引き方もあるのかと思ったのと、障害のある人を見世物にしているように見られたのかなぁと、ちょっとガクンとした。万葉さんのお母さんに、「万葉ちゃんは、どう思っているんでしょう」と言うと、お母さんは普段通りのやわらかな調子で「さあねぇ、万葉は何も言いませんからねえ。でも、イヤだったら、やらないと思いますよ」と答えた。そりゃ、そうだと納得した。

その後、万葉さんと踊る機会はなかったが、数年前に、「おとあそび工房」(https://otoasobikobo.amebaownd.com/ 神戸で活動)に出演している万葉さんを見に行った。相変わらずの存在感と茶目っ気ぶり。ご両親もスタッフとして公演を盛り上げておられた。

 しでカラ3 マヨ+ウオン

吉田さんと作った「直美の夢」

吉田一光さんは、社交ダンスをやりたかったのに、どういうわけだか、私たちとダンスを続けていた人。タバコとコーヒーが好きで、好奇心旺盛で、自分がどう見えているのかいつも気にしていた。「私の動き、変じゃない?」「みんな、どうしているの?」、いつも繰り返される同じような質問に辟易したが、なんというか憎めない人だった。なにより、年をとってから新しいことに挑戦するって、なかなかできることではない。

「しでかすカラダvol.3」は、自分でソロダンスを作るのが趣旨だったが、吉田さんはそれがイヤ。振付をしてほしいということで、私が担当することになった。動きのイメージを伝えていくうちに、「直美の夢」というタイトルが自然と出てきたような。ゆっくりとうごめくシーン、激しく身をよじるようなシーンもあった。普段とは違う動きに息切れしつつも、何度も練習して自分のものにしていかれた。繊細な手の表現や顔の表情、振付家の意図を超えて、いい作品になったと思う。でも、吉田さんがパンフレットに書いた文章は、私のイメージとはちょっと違っていて笑った。
「超能力によって、私自身の心と身体がバラバラにされ、一個の固体にされてしまった。しかし、かすかにある意識でその固まりからもがき苦しみ這い上がり思い続けた。直美を追い求める様子(さま)をダンスにしてみました。」
「直美の夢」は、美術展のロビーパフォーマンスでも上演。他に出演していたコンテンポラリーダンサーにひけをとらない格好よさと凄みがあったと、私は思っている。

私はその後、出産でしばらく活動を休んだ。子どもが生まれて、半年くらいした頃、吉田さんから電話があり、お茶を飲みに行こうという話になった。子どもにも会ってもらいたかった。でも、数日後、突然、吉田さんの訃報が届いた。携帯電話の履歴を見て、親族の方が私に連絡をしてくださった。その方は吉田さんがダンスをしていることを、ご存知なかったそうだ。

一緒に過ごした時間が長くなるにつれ、その人のいろんな面が見えてくる。インタビュー中で、私は「それぞれの表現を引き出したい」とエラそうに言っているが、正確には「引き出し合う」というお互いの働きかけがないと成立しない。
森川さんや吉田さん、ほかの出演者の表現を受けとめる中で、私の中の、それまで眠っていたような部分が開かれていったような感じがある。受けとめることで、私の中から新しい表現がうまれていく。「引き出し合う」は「受けとめ合う」ことでもある。
私のカラダの中には、いろんな人の印象残っていて、思いもかけない時、誰かの佇まいや首のかしげ方が湧いてくる。あれ、この感じ、誰だったろうと思う。
誰かの表現を見て、「私もやってみたい」と思うのも循環だが、やってみたいと思わなくても、身体レベルで、感覚のやり取りがあるというのか、入り混じるようなことが起こるのではないかと思っている。


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