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シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.2*ライトハウスでのワークショップ

ダンサー伴戸千雅子が、障害のある人とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:視覚障害のある人とのワークショップ 2006年)

いざライトハウスへ

私が初めて「障害のある人」とダンスワークショップをしたのは2004年6月。大阪にあった社会福祉法人日本ライトハウス(視覚障害のある人のための福祉施設、以下ライトハウスhttp://www.lighthouse.or.jp/)で、視覚障害のある人が参加者だった。きっかけは、JCDN(Japan Contemporary Dance Network)のメーリングに掲載されていた、ダンサー募集のお知らせ。当時、私は、それまでやっていた仕事を辞めて、新しいことをやってみたいと考えていた。できたら、ダンスに関わるようなことがいいが、それでお金を稼げるなんて夢のまた夢。私がやっているダンスにそんな需要はないしなぁと考えていたところだった。単発だが謝礼もある。視覚障害のある人には会ったことがないが、ダンスを通じて面白い体験をしてもらえるのではないか。何しろ、私のダンスは型の決まったものではないし、視覚障害のある人でも「自由」に表現してもらえる!(そんな私の妄想は、初日に軽く砕かれ、半ベソをかくことになったが。)
応募の窓口がDance & Peopleの五島智子さん。ワークショップは、ライトハウスのプログラムの一つ「ダンス&ミュージック」の時間に、外部講師を招く形で行われた。私は3回、その後、エメスズキさん、栗棟一恵子さんといったコンテンポラリーダンサーも数回ずつ担当した。

ワークショップの経緯

伴戸:改めて聞くのも何ですが、ライトハウスでのワークショップをやることになった経緯って?
五島:2004年の夏前かな、当時、ライトハウスの職員だった井野知子さんから電話がかかってきて、「利用者さんがさー、振付がやりたいって言っているんだよ」って。夜に電話がかかってきたんだよ。こっちはもう寝ていて、「えー?」って寝ながら話していて(笑)。「じゃ、現役のダンサーに来てもらおっか」みたいな話になって、「お金どうする?」って。その当時、ライトハウスはボランティアさんに交通費の実費は払うことになっていた。本当に実費。じゃ、井野さんが2000円、Dance & Peopleからも2000円出すことにして、4000円プラス交通費ってことで、みたいな話になって、募集したら伴ちゃん(私)、エメスズキさん、栗棟一恵子さんと、他にも。
伴戸:え、ポケットマネーを出したってこと?五島さんも?
五島:私はポケットマネーじゃなかったと思う。Dance & Peopleの寄付金があったから。
伴戸:井野さんが個人的にやった企画だったってこと?
五島:そやね。井野さんはライトハウスで「ダンス&ミュージック」というプログラムをやっていたんだよ。ゆっくりヨガをするとか、そういうの。そもそも、ライトハウスは職業訓練的なプログラムが重視されているけど、彼女は、もっと歌ったり踊ったりすることが必要じゃないかって。特に中途失明した人はとても落ち込む。だから、生きるため、生き続けるためには、職業訓練よりもっと大事なことがあるんじゃないかって。彼女はそういう強い意見を持っていたんだよね。極端な言い方かもしれないけど、職業訓練なんてもっと後でいいんだよって。井野さんは、すっとんきょうというか、ぶっ飛んでいるところがあって、それって力だと思うけど。「ライトハウスの会議で、これが通った!」って言うから、「やったー!」って動き出したら、本当は通ってなかったってことが何回もあった。
伴戸:井野さんの勘違い?
五島:そう、それを「井野マジック」っていう(笑)。会議で「それは面白いね」くらいは言われたんだと思う。でも、井野さんは、職員会議で通ったと思った。そういうことが何度かあって。仲間うちでもちょっとしたことでもめたりすることもあった。でも、「井野マジック」が時々、起こって、それで回っていく。あの人は具体的に何か細かく考えるわけじゃないけど、本質的なことをスコーンって言う。やってみたら、やっぱり面白いじゃんって。
伴戸:はぁ、なるほど。それで、ワークショップをやってみて、どうやった?
五島:何かを予想していたわけではないけど。今なら、違うことをいっぱい感じたかもしれない。ただ、あの時、井野さんが独自にやっていたことだったから、施設側との関わりを心配していたり、記録もとらなきゃって。私は余裕がなかった。・・・でも、参加者が輪になって座っていて、会話が空中をとんでいるみたいで面白いなって思った。
伴戸:隣同士じゃなくて、少し離れた人と会話している感じが、矢印がピュンピュンと行き交うような感じやったね。私がワークショップをやりたいと手を上げたのは、仕事をやめて時間ができて、視覚障害のある人ってどういう感じなんかなという興味で。でも、よく考えたら、自分がやっていたことと、その人たちが持っている現実とすごく違っていて。ようやったなぁっていうか、よう企画したなぁって。

記録映像から見えたこと

このインタビューをする前に、ライトハウスのワークショップを記録した映像を10数年ぶりに見た。実は、映像を見るのは、とても気が重かった。その時の私は、「自由」な表現を楽しんでもらおう!という想いばかりで、やりたいこともうまく伝えられず空回りした、という記憶がずっと残っていたからだ。
ところが、映像を見ると、そうでもなかった。確かに私がやったダンスは、参加者の知っているダンスとは違ったようで、「(これは)踊りちゃうがな」という正直な感想はあったが、そのほかの人は、戸惑いつつも、「動かない(運動不足の)私にとっては、いい体操だった」「ゆっくりした動きで汗をかいた」など、優しく受け止めてくださっていた。
興味深いなと思ったのは、参加者が退席した後のスタッフだけの振り返り。井野さんは開口一番、「思っていたイメージよりも、みんなが一生懸命だったので、びっくりしました」「今日の(参加者の)動きというのは、すごく新鮮に感動しちゃいました」と嬉しそうに話していた。彼女は、参加者が私のダンスに戸惑うことを想定していたのかと改めて気付いた。

もう一つ、ワークショップには、ボランティアさんが参加していた。施設の利用者の活動を支援する人だが、ボランティアさんがいるというワークショップは私にとって初めてで、「彼らを」どのように位置付けたらいいのか迷っていた。参加者のような、参加者でないような。ボランティアさんも同様で、私のやろうとしていることがわからないと、支援ができず、参加者のような参加者でないような存在になる。
振り返りで、ボランティアさんはワークショップで行うダンスについて、「イメージしやすいものをもってくると(いいのでは)」「私もそうですよ。雲をつかむような表現って、普段してないからね。テレビの画面とかで見た動きというのが頭にあって」と発言している。参加者の様子から感じたこと(支援者としての立場)と、自分がワークショップを受けて感じたこと(参加者としての立場)を重ねているようだった。その人は、3回目のワークショップで腑に落ちるところがあったのか、「今日からもう一回始めたい」と話し、また、ダンサーの声かけで参加者の動きが変わったことについて、「小さな動きを見逃さないでアドバイスしてはるというのを(知りました)。いい勉強になりました」とコメントされている。

井野さんという人

五島さんはインタビューで、井野さんから電話で相談を受けた夜のことを、笑いながら話した。ダンサー募集の経緯は、練りに練ったものでもなく、ちょっとした思いつきだったのかなと、私は最初に思っていた。でも、後から聞いたのは、2人はそれ以前から、障害のある人とのダンスワークショップに共に参加していて、五島さんは障害のある人の介助などの仕事をしていたということ。2人の中に、共有する思いがあったからこそ、電話ですぐに話がまとまったのではないだろうか。半分寝ていたから、アレコレ考えずに「ダンサーに来てもらおう」と言えた。利用者さんの「振付をやりたい」という言葉に、2人は背中を押され、ポンと何かを飛び越えたのかもしれないと思った。

その後、井野さんは、Dance & Peopleの公演実行委員になり、エイブルアート・オン・ステージに参加した「見える人、見えない人、見えにくい人、見えすぎる人」「しでかすカラダ」などの作品で、視覚障害のある出演者のサポートをしてくれた。視覚障害のある人への手引きや言葉の使い方など、井野さんから学んだところは大きい。彼女は、感覚的に違うと思うこと、面白いと思うことは、すぐに口に出して言った。でも、話し合いになると、「私は難しいことは、わからないのよ」とよく困ったような顔をしていた。障害のある人と作品を作るのは、私には初めてのことで、どう見せたらいいのか、出演者とどうやり取りしたらいいのか、気づかいばかりしていたところがあったと思う。そういう私にはとって、井野さんのあり方は、シンプルに道を照らしてくれるものだった。実際に、「伴戸さんは面白いね。だから、伴戸さんが面白いと思うことをやればいいと思う」とよく言ってくれた。

活動歴

伴戸が関わったDance & People(五島さん)企画・制作のワークショップや公演などを、一覧にまとめた。全て視覚障害のある人とともに行う表現活動になった。

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