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しゃべらない人、私が踊りはじめたのは。2

「やりたいことはなに?」

過呼吸やら自立神経失調やらで、家で寝込んでいたら、友人が来た。90年代なので、連絡は基本、家の電話。なにも知らずに電話をかけてきた友人は、母から事情を聞いて家に訪ねてきた。

「ばばん、どうしたの?」

この人は、私を「ばばん」と呼ぶ。変すぎて、泣ける。日本語ベラベラのアメリカ人。彼女は私に「やりたいことはなに?」と聞いた。「会社に行かなければいけない」と言うと、しなければいけない、ではないと答えた。「自分のことを大切にして」。自分のことを大切にするって、なに?わからん、と泣けてきた。

最近、この話を人にしたら、「心とからだが乖離(かいり)してたんですねぇ」と言われた。そんな難しいことになってたとは。当時の私に教えてあげたいが、きっと受け入れてもらえないだろう。

「しなければいけない」は、私の行動指針だった。自分を動かすための言葉で、エネルギーの源だった。どこで獲得してきたのか。親の言葉は大きいだろうが、私の質みたいなものが、それを極端に取り込んだのだろう。起きないと(いけない)、ご飯食べないと(いけない)、会社行かないと(いけない)。それを禁じたら、なにもできないやん。

いちいち頭に浮かぶ、(いけない)が引っかかって、また涙が出る。もう、とにかく、とにかく、どうにか…と、思ったときに浮かんだのは、東京の彼氏。

そこに行けばなんとかなる。必死の思いで東京に行った。が、彼氏は忙しく、全然家にいない。かまってもらえない。私は日がな、ブラブラゴロゴロ。するうちに、はあぁーと呑気な気分になってきた。日向で寝そべりながら、ああ、落ち着くなあ、自分の家がほしいなあ…と。

あれ、そうか、自分の家がほしいのかと気づいた。とすると、「やりたいことはなに?」の答えは、一人暮らしをすることか。じゃあ、そうしようと、その考えに飛びついた。

それを「地道」と名付けよう

そこからすったもんだがあったが、仕事にも復帰して、一人暮らしを始めた。ボロい文化住宅で、「しなければいけない」を禁句に、機嫌よく暮らしていたが、長年愛用してきた言葉。そう簡単には手放せない。「しなければいけない」は、私の中で適当に変換されて「地道に暮らしたい」になった。

それが行動指針となり、A4の紙に「地道」と書いて、壁に貼っていた。人からとやかく言われないように、きちんと仕事をして、きちんと暮らす。きちんきちん。世間から「きちんとした人ですね」と言われる人は、スーパーのスタンプをきちんと集めて割引券をもらうような、そういう人だ。「そういう人に私はなりたい」と思っていたし、そうしているつもりだった。でも、他人の評価は、「きちん」より「変わってるね」だった。…おかしい。でも、みんな、変わった人だから、そう思うのね。「地道」という壁の文字を心に刻むように、ながめていた。

そして、からだのことを、どうしたらいいかと引っかかっていた。その後も何度か、しんどくなることはあったが、それは息を吸いまくるせいで、呼吸が苦しくなって、手足がしびれるのだと、なんとなくわかってきた。

いつもからだを持ち上げていたような気がする。自分のからだの中には沼みたいなものがあって、そこに落ちないように。ナマケモノで、なんもしない自分というのが沼で、そうならないように「がんばる」。こういうイメージは、親というより、それも包むもっと大きな、社会的なものの影響なのだろう。

からだを動かすことで、もっと強くなれる気がしていた。そこには、「ばばん」と変な呼び方をする、アメリカ人の姉さんが関わってくる。

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