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シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.6*「しでかすカラダ」②

ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「touching face」2010年)

生活や環境に目がいく

五島:「見えるひと、見えないひと」の東京公演が終わって、その時の感想はどんな感じ?あの時は(伴戸が)振付・演出。それをやって。
伴戸:それをやってねえ…。初めて、一般の人に振付をして、その人が持っているものを出してもらいたいというのが一番あったけど、どうだったのかな。もっと表現してもらえたのかなと思ったり。あとは、これが正しいか正しくないかじゃないけど、視覚障害のある人がやるダンスとして、どういう切り口がいいんやろ、みたいな。
五島:もっと「一人で立つ」ってことを考えた?
伴戸:それなりにそれぞれのキャラクターをいかせたのかなという感じはしているけど。
五島:エメさんのグループは、ギリギリまでエメさんが来られなかったこともあって、どうなるんやろうと思ってた。
伴戸:コラボレーション的にやってはったからね。
五島:東京公演の後、しばらくたって「次は、ソロや」って、伴戸さんが話していた気がする。
伴戸:私にとって、ソロダンスの醍醐味は、カラダ一つでお客さんと向き合うところ。その中で、得られるものは大きいんじゃないかと思っていて。「見えるひと、見えないひと・・・」では、私が振付をして、出演者の「見せ方」を考えたとも言える。
そのことに対する自問自答もあって、今度(「しでかすカラダ」の制作)は、参加者に「どんな風に表現したい?」って問いかけたかった。参加者の、「こんなことをやりたい」という切実な表現がみたいというかさ。表現者として自立するじゃないけど、そういうポイントに立ってもらいたいみたいな。私は、そういう思いを持ってしまう。
五島:参加者の一人に、伴戸さんがなんか言った時に、その人が「そんなことしたらお母さんに怒られるし」って言ったって。
伴戸:そんなことあったかな。
五島:「お母さんに怒られるし」に対して、伴戸さんは「え?そこにいくの?」って思ったって、言っていたよ。
伴戸:どこまで求めたらいいのかって、モヤっとしていたような気もする。逆に言えば、自分が表現に何を求めて、どう付き合っているのかって。参加者にとっては、それがなくちゃ生きていけないようなものではない。それに、舞台で発表することだけが「表現」じゃない、よね。生活の中にも「表現」はあるから。でも、「見えるひと、見えないひと・・・」も「しでかすカラダ」も、人に見せるのがゴール。私にとって、舞台で表現することは、たとえ誰かに怒られることになっても、「私はこうだ」と思うことをやることだったから。でも、参加者それぞれの「表現」に対するスタンスがあって、どう折り合いをつけたらいいのかわからんかった。
五島:表現するなんて、そんなのけっこうですって、言う人もいる。私の知人は、知的障害があるけど、一人暮らししていますって、いろんなところで発表してる。その人のお母さんは映画監督(知的障害の人のドキュメンタリーを撮った人)に「なんでうちの娘、撮ってくれへんの?」って。全然違うよね。家族に障害があることを隠す人もいるし。親の影響力は大きい。
伴戸:そういうところ気になってしまう。視覚障害とか、障害によっての身体観みたいなこともあるけど、それ以上に生き方というか、環境に目がいってしまうところがあったと思う。
五島:私は制作という立場で、そういうことに対する、揺れが大きかったかな。ダンスという中身より、そっちの方が強かったかも…。
伴戸:人によってなんやろうけど。気になるというか。
五島:あんまりそれに引っかかったらあかんと思うけど。(純粋に表現とか表出されることから離れてしまって)福祉的だと言われちゃうから。やけど、
伴戸:気になる。


牛若さんとの出会い

私が牛若孝治さんと出演したコラボフェス(2010年)は、エイブルアート・オンステージの5年間の取り組みを記念して、東京で開催されたフェスティバル。Dance & Peopleの枠で、「touching face」という作品を上演した。
牛若さんが書いた夢小説(夢を元に書いた小説)が題材。温めすぎた牛乳にできた膜が、「膜ちゃん」として現れ、主人公と冒険をするという、不思議でユーモラスなお話だ。

最初の練習で、私は作品の取っ掛かりになりそうなことを、いくつか考えていった。その一つが、紙テープで床に線を引くというもの。視覚障害のある牛若さんが線を引き、その軌跡が紙テープでビジュアル化されたら面白いかな、と思ったのだ。ところが、彼に「なぜ、そんなことをするのか分からない」とバシッと言われて、私はタジタジとなってしまった。さらに「そもそも、どういう作品を作りたいのか、曖昧で分からない」と詰められ、話し合いになった。

で、何を話したかというと、ジェンダーのことや、牛若さんのライフワーク「顔を触る」ことについて。とにかく牛若さんの切り口がユニークで、そこに興味を惹かれた。また、私もジェンダーについていろいろと思うことがあり、たくさん意見を交し合った。そこから作品づくりに入ったのは、それまでの視覚障害のある人との関わりとは、だいぶ違う。

牛若さんは視覚障害がある。そして、身体の性と性自認が一致せず、トランスジェンダーとしての生き方を模索しておられた。一方、私は子どもを持ったことで、社会に根強くある「お母さん」イメージに反発しつつも、それを演じようとしてしまう自分にイライラしていた。抱えているものは違うが、私は牛若さんの話に共感するところが多かった。

コラボフェスの後、私と牛若さんは、公演ではなく、授業やワークショップを一緒にやる機会を持った。
私が担当している専門学校の「ボディワーク」という授業では、5年にわたり、毎年、ゲスト講師に来てもらった。牛若さん自身の体験談を交えたジェンダーの授業は、生徒たちに好評だった。
性自認と身体の性が一致しない牛若さんが、男性の顔がどんな形をしているのか気になって、顔を触るようになったこと。盲学校の先生に人の顔や身体を触ってはいけないと言われていたこと。また、顔を触るというコミュニケーションを通して、交わされてきた会話のこと。自分が感じたことを大切にしながら、外(他者)に向かって問いを投げかけていく牛若さんの姿に、私はいつも力をもらっていた。

「自立」をめぐる考察

前回のインタビュー(「ダンスと見えないこと」vol.5)の中で、私は牛若さんの話をする時に、「自立」という言葉を使った。

伴戸:彼は表現したいことがあって、自立していた。自立ってどういうことかわからないけど。彼には、「こういう表現がしたい」というのがあった。

そして今回も、「表現者として自立するじゃないけど」と「自立」という言葉を使っている。

福祉の分野ではよく聞く言葉。熊谷晋一郎(医師、研究者)さんは「自立とは依存先を増やすこと」と言っている。私はどんなイメージを持って、「自立」という言葉を使ったのだろうか。

同じくインタビューの中で、私が参加者の一人に「そんなことしたらお母さんに怒られるし」と言われて、「え?そっちいくん?」と言った、という話をしている。
当時、私にとって舞台で表現することは、自分を縛りつけるような価値観を壊すことだと考えていた。というか、表現とはそういうものだと思っていた。だから、「お母さんに怒られる」という言葉に、「なんだ、その人にとって表現はその程度のものなんだ」と思った。

自分の意見をはっきり主張する牛若さんに対して、その人は他者の意見に左右されており、辞書の意味に照らせば、「自立」してない人になる。(【自立】他の経済的・精神的支配を受けず、自分の力で物事をやってゆくこと。独立。「新明解国語辞典 第四版」)

でも、そんな風に簡単に線引きができることなのだろうか。

当時、私が「障害のある人」との表現を通じて、壊したかった価値観とはどういうもので、どういう方法で壊せると思っていたのだろう。
「見えるひと、見えないひと・・・」の公演の感想で、「障害がある人ががんばって踊っていた」と言われて、私はガックリした。実際、そうだったから間違いはないけれど、表現に障害の有無は関係ない。「がんばってる」という言い方も、他人事という感じがした。観客も同じようにカラダを持っているのだから。
人が自分のカラダに真摯に向き合う姿を通して、表現する人と観客の間に、もっと有機的なつながりがうまれるはず。そんな理想を私は持って、次の企画では、ソロダンスがいいと思い、しかも、それを個々に創作してもらいたいと思った。

私が壊したかったのは、「障害のある人ががんばって踊っている」という見方だったのだろう。
だから、「お母さんに怒られそうな」ことを提案したのかもしれない。でも、「障害のある人」に、過激な「表現」を求めることで、壊せるようなことだったのだろうか。「障害のある人」だけ、観客だけの問題なのだろうか。もっと大きなところに根っこがあるのではないか。
一つの舞台で、「障害のある人ががんばって踊っている」という見方は、簡単に壊せるようなものでもなく、いろんな人と関わりながら考え続けていくようなことではないだろうか。今はそう思う。社会のさまざまなモノの見方に対して、自覚的に付き合っていく。私は「自立」という言葉に、そんなイメージを持つ。

でも、そこに共感する人もいれば、そうでない人もいて、「表現」に対するスタンスは人それぞれだ。いろんな人と出会うことで、私はそのことを知り、自分の中に矛盾を感じながらも、尊重しようと思った。カラダに向き合うのは、その人なのだから。私は場を作り、それを見守るだけだ。
また、私は参加者のいろんな「表現」に触れる中で、「表現」の持つ力を感じるようになっていた。表現することは、自分を受け入れていくようなことでもある。他者に受けとめられることで、また、表現が生まれる。そういう循環の中で、お互いが変化していくようなことが起こる。「表現」にはそういう力がある。そこにもう少し関わってみたいと思った。
でも、そこを掬うには、舞台は時間も役割(見る側/見られる側)も限定されている。漠然と舞台の限界みたいなことを考え始めていた。

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