しゃべらない人 1

障害の社会モデル


踊り始めて10年ほど。初めて「障害のある人」を対象としたワークショップで講師をつとめた。2004年、大阪ライトハウスが運営する視覚障害リハビリテーションセンター。

その話をする前に、「障害のある人」とはどういう人か、整理をしておこうと思う。というのは、ここまで書いてきたことは、人との出会いの体験で、これからもその書き方は基本的に変わらないだろう。それを「障害」の有る無しでくくるというのが、何か変な感じがしたからだ。でも、そこはあまり深追いしないで、日本が2014年に批准した「障害者の権利に関する条約」Convention on the Right of Person with Disabilitiesを見る。

第一条 目的
この条約は、全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする。
障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁との相互作用により他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げ得るものを有する者を含む。
外務省サイトより
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html

こういう文章はからだに入ってこない。

Nothing about us without us!(「私たちのことを、私たち抜きで決めるな!」)というスローガンが掲げられ、この条約を作る委員会には障害当事者が参加し発言した。

障害者が生活を行う上でのさまざまなバリアは、障害そのものに原因があるのではなく、社会との関わりの中で障害が生まれるという「障害の社会モデル」の考えを取り入れています。
DPI(Disabled People’s International)日本会議
http://dpi-japan.org/activity/crpd/

人は多様だ。だから、階段が便利な人もいれば、そうではない人もいる。なのに、電車に乗るのに階段しかなかったら困るではないか。階段が使えない人は、電車に乗らないでくださいってことか?「障害の社会モデル」は、今までの「障害」の視点を変えた。駅にエレベーターが取り付けられたのも、そのおかげだろう。私も子どもをベビーカーに乗せて移動していた頃は、その恩恵にあずかった。

「こんなん、踊りとちゃうやろ」

視覚障害リハビリテーションセンターでは、病気や事故などで視覚を失った人や見えにくくなった人のための、さまざまなリハビリプログラムが行われている。その一つ「ダンス&ミュージック」で、ワークショップをするダンサーを募集しているという内容のメールが届き、私は手を挙げた。
求職中で、時間に余裕があった。ずっと続けていた編集の仕事をやめたのは、もうちょっと「からだ」に関わるような仕事がしたいなと考えていたからだ。自分のやっている「踊り」が、どう役に立つのか、興味があった。見学に行き、他の希望者と一緒に担当者に話を聞き、3回担当することになった。

で、初回は自己紹介から始めて、ストレッチをして、考えてきたプログラムをやって、みなさんの反応はこうでした、と書きたいところだが、私はこの日のことをほとんど覚えていない。覚えているのは、「やってみましょう」という私の言葉に、全く反応がない人、私の想像とは違う動きをする人、関係ないことを話しかける人がいて、私は宇宙の果てにいるような気分になったこと。言葉が届いている気がまるでしない。流れが生まれない。空気が重い。言葉が続かない。ニヤニヤ笑いがこわばる。そんな中、ずっとしゃべり続けていた参加者が、「これ踊りか」「こんなん踊りと違う」と言ったこと。彼は何度かそう言った。私は軽くかわしていたが、最後に「これは私にとって踊りです。私はあなたがやりたい踊りをやりに来たわけではないです」とムキになって言い返したこと。
帰り道、公園のベンチで、情けないような悔しいような涙が出て、泣きながら次回何をしたらいいのかを考えたこと。3回目に、同じ人に「もう来ないのか。さびしいな」と言われたこと。

覚えているのは、こういうことだ。「ダメダメだー、私」ということだ。

でも、これでは、さすがに薄い。というわけで、このワークショップを見学していた五島智子さん(Dance & People)に覚えていることはないか聞いてみた。そしたら、なんとすごいことに映像記録を掘り出してくれた。1回目はプログラム最後の振り返りのみ、2回目と3回目はワークショップ全体。そして、驚いたことに、映像の中の私は、楽しそうだった。

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