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しゃべらない人、私が踊りはじめたのは。

障害のある人とのダンス体験

 私はダンサーで、人前で踊るほかに、表現プログラムの講師をしている。気づいたら15年以上。その中でも、障害のある人とのやり取りで感じたことを文章に書いてみることにした。で、パッと浮かんだタイトルが「しゃべらない人」だった。

 「しゃべらない」。ダンスワークショップで、初めて視覚障害のある人と出会った時の、私の心のつぶやきである。

 いきなり参加者がベラベラしゃべってたら、進行しにくい。だから、「しゃべらない」は普通じゃないかと、今なら思う。でも、その時そう思った。その感触が残っている。細かく考えれば、いろいろありそう。ま、とりあえず、「しゃべる」ことが、人とのコミュニケーションの基本だと思っていたからだろう。

 視覚障害だけでなく、知的障害、精神障害、その後、さまざまな障害のある人に出会った。会話でのコミュニケーションのことにいつも引っかかった。会話によるやり取りは、「一番理解しあえるもの」と思っていたのかもしれない。そういえば、「ダンスはからだでお話することです」とか言っている。

 小さい頃しゃべるのはあまり好きではなかった。石になりたいと思っていた時もあった。からだがなくなって心だけになったら、しゃべらなくても通じるのにと妄想していた。猛烈にしゃべりたくない、しゃべれないときもある。

 気がつかなかったけれど、「しゃべること/しゃべらないこと」と、私が障害のある人とダンスをやってることは、変なつながり方をしているのかもしれない。

 で、なにから書こうと思ったら、えらく遡ることになってしまった。仕方ない。冒険気分で虚実はっきりしない”私”の記憶をたどる。なんかの役に立つかもしれない。

「しゃべらない人」とのきっかけ

 私が、しゃべらない人と関わることになったのは、踊り始めたから。踊り始めたのは、踊る方法をまなんだから。まなんだのは、自由に踊ってみたいと思ったから。そう思ったのは、からだの中のものが出したかったからで。出したかったのは、からだが思うように動かなくなったからだ。23歳ぐらいの頃。

 からだの逆襲だ、と思った。息ができない。手足がしびれる。歩けない。

 道でうずくまっていたら、「大丈夫ですか」と声をかけてくれた人があった。私は「大丈夫です」と答えたいのに、涙が出てきて何も言えない。自分の状況が全然分からない。なぜ泣いているのか、なぜ歩けないのか。とにかく、「平気なので会社に行きます」と心の中で言う。動かないからだを引っ張って、会社にたどり着いたら、同僚が病院に連れて行ってくれた。

 ところが、病院でも「私は大丈夫」と思ってるから、診察を拒否して帰ろうとする。廊下のストレッチャーの下に潜るという奇行をしでかす。ハフハフ息が苦しいのも、診察拒否も、すべてお芝居みたい。自分でやってて、「なにやってんの、私」とわけがわからなかった。

 家に帰ったら、そのまま布団から立ち上がれなくなった。実家暮らしで、母はかかりつけ医のところに連れて行った。医者は、精神的なもんでしょうとムニャムニャ。当然だ、からだはなんともないんだから。でも、だからと言って、精神的になにかというのも違う気がする。つまり、身体的にも精神的にも問題ない。なのに、なにかがおかしい。訳がわからない。母は私の手を握り、「うつうつすること、誰でもあるねん。うちも子ども産んだとき、そんなんあったで。春先はなあ」と言った。

 寒い寒いと思っていたら、外は急に暖かくて、その暖かさがつらかった。暖かくてほんわかしてしまいそうなことに警戒した。油断してはいけないと思った。

 涙がで続けて、ご飯も食べられず、一重まぶたが二重になった。


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