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シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.4*エイブルアート・オンステージ

ダンサー伴戸千雅子が、「障害のある人」とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:「見えるひと、見えないひと、見えにくいひと、見えすぎるひと」2005年上演)

エイブルアート・オンステージ

2004年6月から7月にかけてライトハウスでのワークショップを実施した後、同じ年の秋に五島さんは「エイブルアート・オンステージ」に視覚障害のある人が出演するダンス公演の企画を出した。
「エイブルアート・オンステージ」は、明治安田生命とエイブル・アート・ジャパンが、障害のある人が参加する舞台芸術の取り組みを支援するプログラム。2004年度から5年間行われた。
Dance & Peopleは2004年度(第1期)、2006年度(第3期)に支援を得て、尼崎、東京、京都で公演を行った。作品タイトルは「見えるひと、見えないひと、見えにくいひと、見えすぎるひと」(2005年3月、尼崎ピッコロシアター。同年8月、東京オリンピック記念青少年総合センター小ホール)、「しでかすカラダvol.3」(2007年4月、京都永運院)。

参加者募集のために奔走

伴戸:エイブルアート・オンステージのことは、どうやって知ったの?
五島:たまたま何かの公演を見に行った時に、知り合いから教えてもらった。聞いた時は、締め切り直前で、「へー」って感じやったけど、ただ、その時に具体的にナビゲートする人、伴戸さんやエメ(スズキ)さんのことや、参加者、ライトハウスの人たちがリアルに頭に浮かんでくるっていうか。なんかできそうな気がしたのね。なんか面白いんちゃうかなって。やっぱり、三拍子の人(シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.3で言及)とか、本当に面白いなっていうのがあったね。締め切り直前で出した企画が通って、私を含む5人で実行委員会(井野知子、中西恵子、宍戸信子、藤原理恵子 敬称略)を作った。それぞれ障害のある人とダンスワークショップ経験のある人。それが2004年の秋で、公演は2005年の3月。やらなくてはいけないこといっぱいで、バタバタしていた。でも、本当、どうなんやろうって、なんとも言えん感じでやっていた気がする。

伴戸:どういう方法で、視覚障害のある出演者を募集したんですか?まずはチラシを作った?                           五島:チラシは、文字情報のみの普通(墨字)のチラシと拡大文字版と点字版を作った。視覚障害のある人は見えない人だけじゃなくて、見えにくい人や、中途失明の人で点字を読めない人もいるしね。その当時はSNSもなかった。あとは点字毎日(新聞)に出した。普通の新聞にも出したかも。   伴戸:点字版は視覚情報センターなどに置きチラシをした?       五島:置きチラシもしたし、2004年11月3日に肥後橋の日本ライトハウス情報センターで、視覚障害者のための福祉機器の展示会があって、その時に点字版と拡大文字版を持ってセンターの前でまいた。伴戸:日時までよく覚えているなぁ。                             五島:そのチラシを受け取って、来てくれた人がいたから。
伴戸:点字版はどうやって作ったん?
五島:城陽の方にある印刷会社で。ライトハウスでも印刷できたかもしれない。
伴戸:他にどういうところに情報を送った?
五島:知的障害の人のファッションショーを手伝った関係があったので、奈良の社協(社会福祉協議会)とか。実行委員の中西恵子さんがやっていたアートパーティ(西宮市主催の障害のある人の美術展)では、伴戸さんとエメさんが視覚障害のある人とペアで、踊ってくれた。
伴戸:そうでした。そして、体験ワークショップもしました。
五島:4回やった。

伴戸:体験ワークショップに意外と人が来た記憶があります。      五島:そうそう。1回だけの参加とか。どんなもんやろって、先生みたいな人、ピアカウンセラーの人もきた。多分、盲学校の。
伴戸:知らない人が多かった?
五島:知らない人ばっかり。
伴戸:それだけチラシの反応があったってことやね。
五島:点字毎日で情報を知ったという人も2人いた。
伴戸:すごいね。
五島:でも、今は環境が変わっているやろうね。点字毎日をとっている人がどのくらいいるのか。
伴戸:15年前と今ではね。
五島:初めて森川万葉さん(出演者の一人)が来たときのこと、覚えている。段ボールの端切れをギターをひくように持って。スペースの真ん中とか、広いところにいくのが怖いみたいで、端っこにいた。

ごく普通の生活者とアーティスト

伴戸:エイブルアートの最初の公演で、「大変だったなあ」と印象に残っていることはなんですか?
五島:胃がちぎれるぐらいだったのは、公演の少し前のリハーサルで出演者の家族が「出演をやめさせる」と言い出してもめたこと。ある出演者が着物を着るシーンがあって。演出のエメさんは、その人がお客さんとコミュニケーションをとりながら着物を着ていくというのを目指していたのね。ただ、リハーサルにエメさんが来られない日もあった。スタッフがお客さん役をやっていたんだけど、みんな変なことばっかり言う(笑)。ありきたりはつまらないと思っているから。そのことが視覚障害者を揶揄(やゆ)しているのではないですかって、ほかの見えない出演者やリハーサルを見ていた家族が言いだして。井野さんも稽古を見ていて胃が痛い時があったみたい。ごくごく普通の生活者にとって、アーティストが狙っていることが、常識から逸脱していると感じることもある。それに、家族の意見も大きいとも感じた。一度、みんなでお弁当食べたことあったでしょ。
伴戸:練習の合間に、親睦を兼ねて。
五島:そう。その時にいろんな話が出て。ある女性は、自分が好きなものを外では絶対食べない。行儀の悪い食べ方しているって人に言われるのがイヤだから、好きな食べ物は家で食べますって。どう見られているのかというか、プライド。うまく食べられない姿は見られたくない。ある人は、家族から家の近くでは白杖をつかないように言われている、と話した。参加者のいる環境について知ることになった。
伴戸:話を聞いて、びっくりした記憶がある。
五島:稽古が終わってから、絶対ミーティングをしていたじゃない。それがめちゃめちゃ長くてしんどかったと思うけど、よく伴戸さんは最後まで付き合っていたな。子どもがいなかったということもあるよね。
伴戸:そやね。長かったなあ。「こんなことあった」とか「これはどうしたら?」とか、結論が出ないまま話がグルグル回っていたような。
五島:独身の男性参加者は、公演に出ることで、誰かに何か言われることがないと言っていたけど。家族の影響力。逆に熱心な家族もおられたしね。こちらがリハーサルの写真をブログにあげていいですか?と聞く前に、自分たちのブログにアップしている人もおられた。環境によっての差。本番も、家の近くでやるなら出演しないけど、違う県だったり、市だったりするから出演できるとか。そういう話を聞いて、なんとも言えない・・・私は、作品そのものの、一個外にいる感じなので。
伴戸:これをやる前に舞台の制作とかしていたの?
五島:やってないけど、白虎社(五島さんがメンバーだった舞踏グループ)の時は、踊る以外に全員がいろんなことを分担していたから。何が必要かということはわかるので。情報を出すところが点字毎日とか、違うってことはあるけど。今から考えたら、障害を持つ人が参加者。お客さんじゃないけど、参加者。出てもらうためにどうしたらいいか?サポートするとかフォローするとか、そういう方向にすごくエネルギーを使っていた。今思うと、やり過ぎていたのかなとも思うけど。
伴戸:表現者として生きているわけではないから、どこまで言えばいいのかと思っていた。でも、表現をしたいと思って集まってはるし。
五島:そうなんや。だけど、視覚障害のある人には、ためらいっていうかな。すごくあると思う。人前に出る、公演に出るとか、そういうことしていいのか、周りの人に知られたくないとか。公演に家族を巻き込んで出ていた人、公演に出ることを誰にも知られないようにしていた人、がいた。

なんとも言えない

制作チームの丁寧な情報宣伝のかいもあり、8人の出演者(視覚障害のある人)が集まった。4人ずつが、エメスズキさんと私のチームに分かれて、2005年の1月から公演に向けてリハーサルを始めた。リハーサルを何回か経た頃、実行委員が、親睦を兼ねて出演者みんなでお弁当を食べる時間を作ってくれた。

その時聞いたのが、インタビューにあるような、視覚障害のある人の日常の話だ。視覚障害があると分からないように、振る舞いに気をつけているという話もあり、私はびっくりした。思わず、「そんなアホな!好きにしたらええがな」と言ってしまったような記憶がある。でも、私は見える人なので、好きに言えるのだ。その事実が、じわじわと自分に響いてきた。そもそも、彼らが振る舞いに気をつけるのは、「見える人」の「目」があるからだ。

私という「見える人」が、視覚障害のある人が出演する作品を作る。そして、それを「見える人」に見せる。そういう構図が頭に浮かび、私は怖くなった。

長いミーティングで考えた

エメスズキさんや実行委員も、同様の問題意識を持っていた。リハーサル後のミーティングが長かったのも、そのせいだ。構図は変えられないけど、どうしたら少しでも視覚障害のある人をベースに舞台を作っていけるか、みんなで考えた。

例えば、舞台を円形にするアイデアは、そういう話し合いから出てきたと思う。円形なら、視覚障害のある出演者が、前(観客)など、向く方向を気にしなくてもいい。また、舞台照明は「見える人」には必要かもしれないが、視覚障害のある人にとってどうなのかという話もでた。極端な話、暗闇や薄暗い中で上演するのもありではないか。ただ、視覚狭窄や弱視の人にとって、暗いと動きづらい。それに、「見せたい」という出演者の思い、「見たい」という家族の思いだってある。

舞台監督、照明、音響スタッフは、私たちの意図を汲んで、一つ一つ丁寧に対応してくれた。円形舞台は、通常の舞台(舞台と客席が向かい合うような形)より、客席数の確保、音響設備や照明機材の設置に手間がかかる。視覚障害のある出演者は、音が聞こえる方向で、自分の立ち位置をはかったりすることがあった。音響スタッフは、スピーカーの位置、音の響き方を、照明スタッフは光の作り方や光源の位置(眩し過ぎると、動きづらい人もおられた)など、出演者に確認しながら細かに調整してくれた。

8人の出演者

私の作品(「Dance In Your Eyes」)には、視覚障害のある人(4人)だけでなく、見える人(3人。ダンサーと俳優。一人は実行委員の藤原理恵子さん)にも出演してもらった。パートナーがいることで、本番までの準備期間が短い中でも、お互いの力を引き出しあえるのではないかとパッと浮かんだからだ。それと、一人(振付・演出家)に力(影響力)が集まらず、いろんな意見が出しやすい環境を、私は作りたかった。出演するダンサーや俳優は、私に「こうしたら?」とか「言っていることがわからない」など、気安く言ってくれる人たちだった。そういう存在が、視覚障害のある人にとっても発言しやすい場を作ってくれると考えた。

作品は、デュオ、群舞など6つのシーン。前回(シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.3)、書いていたように振付をカチッと決めているところもあったが、半分くらいは枠組みやイメージだけ決めて、動きはその時々に変わる(即興的な)ものだった。視覚障害のある出演者というより、それぞれのやりやすい方法、腑に落ちるところを探っていった。それぞれの個性(存在)が舞台上に活きる作品にしたかったからだ。

出演者は7人だったが、本番直前に、出演者(視覚障害のある人)のお母さんを、私が引っ張り込んで、8人になった。その人は、毎回リハーサルに来て、お菓子を配ったり、それぞれの出演者に感想を言ったり、出演者である娘にアドバイスしたりしていた。その様子を見ていて、私は「お母さんも踊ったらいいのに」と思ったのだ。お母さんのための短い振付を作り、最後のシーンに入れた。

再び、なんとも言えない

私は、出演者やリハに付き添う親族、実行委員が、お菓子を食べて話をしたり、冗談を言ったり、打ち解けていく様子がとても好きだった。日常生活と表現(アート)が地続きにあるような感じがした。それは私には新鮮な感じだった。
でも、「見える人」の視線の中で、いろんな思いをしてきた視覚障害のある人を、私という「見える人」が演出する。それはやっぱり怖く、責任の重さを感じた。                              それでも、ともかく自分が思う作品を作るしかない。そう思えたのは、打ち解けて話ができる環境があったからだ。

公演は盛況だった。出演者は堂々と舞台に立ち、私は心の底からみんなに拍手を送った。でも、私は、観客のアンケート用紙に書かれていた「感動した」という言葉に、「なんとも言えない」気持ちになった。ありがたい言葉である。でも、素直には受け取れなかった。一方で、出演者を称える気持ち、もう一方で、あれでよかったのだろうかと繰り返し自分に問いかける気持ちがあった。
近年、観劇後に観客の感想シェア会を行っている人たちがいる。なかなか言葉になりにくい感想を、対話の中から引き出そうという試みだ。そういう方法もあったか、と思う。迷いながら作った舞台を、観客はどのように受け止めたか、丁寧にやり取りすることで、また違う作品の意味が見えてきたかもしれないな、と考えたりする。

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