見出し画像

シリーズ「ダンスと見えないこと」vol.3*三拍子の動き

ダンサー伴戸千雅子が、障害のある人とダンスワークショップをする中で感じた様々なモヤモヤを、ワークショップ制作者の五島智子さんへのインタビューを通して振り返ります。(冒頭写真:目かくし体験ワークショップ 「ことばのちずをかこう」2010年)

2004年に実施したライトハウスのワークショップは、私以外にエメスズキさん、栗棟一恵子さんも数回ずつ担当した。エメスズキさんが音楽家と行ったワークショップについて話した。

三角形を描く

伴戸:エメさんのワークショップでは、音楽家が三拍子の曲をヴァイオリンで弾いて、そのリズムに合わせて、手など、カラダの一部を使って三角形を描きましょうというものだった。そしたら、参加者はいろんなやり方で三角形を描いた。五島さんはこの話をよくするよね。
五島:一人は、胸とお腹あたりの胴体に手で三角形を描いていた。からだの触りやすい面をキャンバスにしていたのね。もう一人は、自分の右手が一番高く伸びたところを頂点にして、左足腿あたりを右手でたたき、右足腿を右手で確かめるように触り、それを繰り返して三角形を描いていた。その動きがすごく印象に残った。初めて見た動き。学校で習っている動きじゃなくて、触って確かめられる、確実なことをやっている。考えたらそういうことなんやろうけど、その時の感じは、私が「見て」、「面白いな、なんでそうなるんやろう」って。それが心に残って、エイブルアートに参加した時に、パンフレットに「それを見た私は何を返せばいいのだろう」みたいなことを書いた。
伴戸:「何を返せば」って、どういう意味?
五島:私の場合は公演をやるっていう形になったんだけども。
伴戸:視覚障害のある人の動きに対して、面白いですねって感想を返すってこと?
五島:私はその時、外にいて記録をしていた。ナビゲーターは別にいて。「今の面白いですね」って言える状況じゃなかったよね。プログラムが終わったら、参加者はサッと帰ったし。感想を言い合う時間ってあったっけ?
伴戸:あったよ。参加者を含めての振り返りと、スタッフだけの振り返りと両方。参加者は「面白かったです」「難しかったです」という程度の感想なんやけど、スタッフの振り返りでは、井野さんが参加者の普段の様子とワークショップでの違いを話したりしていた。「何を返したらいいのだろう」という言葉の背景に、面白いって言っていいのかみたいな、そういう戸惑いがあるのかと思ったんやけど、そうではないのかな。
五島:そういうことじゃなくて、ワークショップはナビゲーターと井野さんと参加者がやっていて、私は「どういうことが起こるんやろ」って記録して、周りにいるわけやんか。「そういう動き」をしている人に対して、私はどういうアクション?活動?ができるのかなって。感想を言って終わりじゃなくて。それで公演をすることにつながった。
伴戸:「そういう動き」というのは、自分が見たことがないような動きのこと?自分の発想になかった動き。
五島:私が見たことがない、出会ったことがない。
伴戸:それが公演に結びつくというのは、こういう表現があるよっていうことを、多くの人に見てもらおうと思ったってこと?
五島:共有したいというか。それは後付けかもしれないけど。エイブル(エイブルアート・オンステージ)があるってわかって、エメさんと伴戸さんと、参加者も集まるかもみたいな感じで。その人の動きからブワーッといったわけではないけれど。
伴戸:こんなに違うってところを共有したかったのかな。
五島:もしかしたら、その動きを見て、変なことしているなって、「変なの」で終わる人は多いかもしれない。
伴戸:確かに。もっと言うと、「三拍子はこう動くんですよ」って教える人もいるかもしれない。学校で教えられたことや、「みんな」がやっている動きが身につきすぎて、それ以外の動きを、「変」とか「間違っている」って判断してしまう。表現として受け止めたら、「面白いな、なんでそうなるんだろう?」って思うんだけど。じゃ、なぜ自分は「みんな」と同じ動きしか発想できなかったのかって考えたら、結局、誰かに「こうですよ」って教えられたことを守っていただけっていうか。社会とか、社会的な価値観に振付されていただけじゃないかって。
五島:そんなことまで、その時は気づかなかったけど、よう考えたら、みんなこれやん(からだの前で空中に三角形を描く)。みんな学校で習っていて、三拍子はこれって。視覚障害のある人が違うことを、わざとやっているわけじゃないやん、自然にそれが出てくるっていうか。
伴戸:三角を明確に作ろうとした場合、明確に上で、右で、左じゃないとあかんもんね。
五島:シンプルなこと。三角形を描く。人から見て、それが三角に見えるかどうかってことまで考えてないと思う。
伴戸:案外、でも…
五島:考えはったんやろうか。
伴戸:私は、視覚障害のある人に「どう見えていますか」ってよく聞かれた。どう見られるか気にする人は多いんじゃないかな。そう思うと、手を一番上に上げるのは、それ以上ない上やし、右膝を叩くっていうのは、右やし。曖昧じゃない。

今だから思えること

伴戸:(パンフレットに書かれていた文章を読む)「視覚障害のある人とのダンスワークで、身体の立ち方や表現の独自性に驚くことがあります。人真似から解放されている。でも、そのダンスを目でキャッチしたものは何を返せばいいのだろう。ダンスが、生きるために身体の異なる人と人の間でどんなやり取りが起こればいいのか。そんな疑問がこの企画の始まりでした。」・・・だけど、視覚障害のある人もいろいろ解放されてないところもあるだろうけど。
五島:都合よく書いているけど、当時は、そう見えたってことだよね。
伴戸:うん。
五島:今考えると、アイマスクしてどう感じるかとか、自分の身体を通したことが、あんまりなかったね。今の方がすごく、自分にとってどうなのかっていうところがあって。私の中で変わってきているところがあるかな。自分も歳をとって、「やばいぞやばいぞ、自分の身体」というのもあって。あの時は、見える人と見えない人っていう捉え方をしていたと思う。見える人と見えない人の舞台を作るって感じやったけど、今はちょっと違うな。
伴戸:不思議やけど、その発想なかったな。自分が見えない状態になってみるって。
五島:そしたら、何がどう変わるかって。ワークショップした頃に、アイマスクする研修に行ったけど、それはそれって感じ。
伴戸:ライトハウスのワークショップでは、どうやったら自分がやっている踊りが伝わるかということに意識が向いていたなあ。
五島:見通して、どうのこうのってわけではなかったし。

見えないから、見られることから自由?

五島さん同様、私もワークショップなどで、視覚障害のある人が踊る様子を見た時、ハッとすることがよくあった。特に、彼らの立ち方に見惚れた。カラダが空間にパーンと開かれているような、カラダが空間をどこまでも照らすような感じがした。見えている人の場合、人前に立つと表情やカラダに戸惑いが見えることがある。私は、彼らのカラダにはそういうものを感じず、スッキリしてるなぁと感じた。どうしてかな、「見られること」から自由なのかなと考えていた。
でも、視覚障害のある人のカラダは、「見える人」とは異なる、「見られる」感覚を持っているのではないか。今はそう考えている。「見えないから、見られることから自由」は、私という「見える人」の尺度で考えていただけのような気がする。

さらに言うと、私が彼らのカラダからそういう印象を受けたとしても、視覚障害のある人がどう感じているかは別だ。インタビューでも語っているように、私は彼らに「どう見えますか?」とよく聞かれた。それは、見える人にとって自分の動きが変に見えないか、という意味を含んでいた。「動きは人それぞれでいいんですよ」と私が言っても、なかなか安心されない人もいた。
学校教育や生活の中で、健常者はこうすると、健常者のやり方を教えられてきたと話す視覚障害のある人もいた。見えないからこそ、「見られること」を強く意識するように、「見える人」から教えられてきたのではないだろうか。そういう人にとって、自分の感覚のままに動いてくださいという言葉は、なかなか受け入れられるものではなかったかもしれない。健常者のように動きたいと言う人もいた。その言葉をどう受け止めたらいいのか、私には重かった。

そういうことがあったせいか、私は最初に視覚障害のある人と創作した作品で、動き方を細かに決めるような振付にも挑戦した。自分の表現活動ではあまりしなかったことだ。健常者と一口に言ってもいろいろいる。だから、私の動きを伝えることも意味があるだろうと思った。
とは言うものの、視覚を使わず、振付を伝えるのも初めてのこと。インタビュー中の「三拍子の動き」のように、私の「こう動いてみてください」という言葉に対して、視覚障害のある人から予想しなかった動きがかえってきたりする。その一つ一つに、「どうして、そうなるんだろう?」と考えたり、話し合ったり。彼らから出てきた動きが面白く、「それでやろう!」と変更することもよくあった。やり取りを重ねながら、彼らと一緒に振付を作っていった。
余談だが、公演のリハーサルはだいたい週一回。振付を練習しても、翌週には覚えていないところが出てくる。家でビデオを見て確認するという訳にいかない。どうすればいいか、出演者と相談した結果、私の声で振付(言葉)を録音することになった。作品で使う音楽をバックに流しながら、「右」「左」「えっ」「ウワー」「両手グルグル」など、記号のように振付を簡略にした。練習で動きやイメージを共有していたので、簡略な言葉でも通じたのだ。小さなカセットデッキを耳元にあてて、繰り返し聴いていた出演者の姿を思い出す。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?