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しゃべらない人、私が踊りを始めたのは。4

「強く」と「自由」のつながり

ある日、演劇を観に行って、そこでもらった一枚のワークショップチラシにドキッとする。「少しずつ自由になるために」と書かれてあった。神の啓示のごとく、その言葉に吸い寄せられた。突然、動かなくなるような厄介なからだを抱えつつ、これから一人で生きていかねばならぬ私。強くなりたい。「強く」と「自由」はつながってる気がする。しかし、どんなことをするのか、全然、想像つかない。しかも、講師はダンスの人。私なんかが行って場違いではないか。その頃、知り合った「踊る人」に相談したら、「いいんちゃう?」と言われ、やっと申し込んだ。

余談だが、イベントでバリダンスの営業をしてるうちに、身体表現の人と仲良くなった。自分で考えて、からだ使って表現して、すごいなあと感心していた。私のバリダンスは、衣装着て、メイクして、決められた動きをやってるだけ。その頃は練習もほとんどしてなくて、イベントに呼ばれたら、あわてて振付を確認するやる気のなさ。そのうちに、本気でバリダンスをやっている人に遭遇して、私の短いバリダンス人生は終わった。

さて。「少しずつ自由になるために」は、岩下徹(山海塾舞踏手)さんが長年続けておられる有名なワークショップだった。それがわかったのは、ずっとずっと後で、その時は岩下さんの名前も、山海塾も知らない。だけど、長年、コンテンポラリーなダンス業界に生息している私なら言える。「ええとこから入ったね」。

初の身体表現ワークショップ。ジャージでいいのか。つまらないことまで気になってガチガチに緊張したいた。が、やったことは「えっ?」と気が抜けるくらい単純なことだった。一番記憶に残っているのは、時間をかけて立ち上がること。薄暗くした会場で、10分だったか、とにかく、えらい長い時間をかけてやる。「寝転んでいるところから立ち上がってみましょう」と、講師の岩下さんは小さな声で言った。10分だから、とにかくゆっくりしないと時間が余ってしまう。ところが、ゆっくりしようとすると、どこをどう動かしたら立ち上がる過程に向かえるのか、全然わからない。いきなり手や足をグイッと使うと、時間が余ってしまう。岩下さんの動きは、スロー再生で見てるみたいに、途切れるところがなくて、なめらか。グイッとかガバッがない。それは一体どうやったら、と頭をぐるぐるさせながら、芋虫のごとく転がっていた。

自由どころか!

「自由」どころか。なんですねん、これは。しかし、私は真面目である。なにしろ、長年「しなければいけない」を行動指針にしていた。与えられた課題はクリアせねばならん。なめらかなスロー再生ができないことには、ワークショップに参加する資格がないんじゃなかろうかくらいに思っていた。そんなわけで、日常生活の中で、ひそかなスロー再生訓練を試みる。会社でコピーを取りながら。家で料理しながら。一瞬動きをゆっくりにしてみる。

これが、なんていうか、変な感じ。時間の感覚が変わるというか、変なところに入っていくというか。逆流するというか。ボワーッとなんかが大きくなって、包まれるみたいな。ゆっくりにするだけなのになあ。私にとって「少しずつ自由になるために」は、「少しずつ不自由で変なからだと出会う」ことだった。

ゆっくりに興味をひかれて、芋虫は週1回の連続講座にで続けた。興味をひかれると、なんとなくそっちへの道が開かれていく。振り返るとそう思う。はっきりと「選ぶ」より、なんとなく興味をひかれたという感覚の方が、私にはしっくりする。身体表現の人に興味をひかれて、ゆっくりに興味をひかれて。

そして、ワークショップに参加していた人に、「舞踏の公演、出てみない?」と声をかけられた。

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