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2020年2月の記事一覧
1ヶ月,noteを書き連ねて
毎日noteを1月末から毎日書いてきた.
毎日800文字から1200文字程度.長い時は1500文字や2000文字以上.別に文字数は目標にしていないから,ムラはあったりする.毎日noteを通して原稿用紙2枚分くらい書かないと意識の向こう側に行くことはできないんだなと実感した.
正直なとこ,600文字程度のときもあったけれど,なるべく800文字は目処にしてきたつもりだ.
主義主張を唱えるだけだと
GUIでなければ遊ぶことを意識できないか
大学の後輩が楽しげにキャラクターのぬいぐるみを抱えている.ゲームセンターで獲れたみたいで,それをみせてくれたのをよく覚えている.
ゲームセンターは人間が人間を楽しませるために作ったもの.
ぼくらは人の意図の中でしか「遊ぶ」ことを意識できないのだろうか.
「遊ぶ」を意識する休日は休日らしく遊びたい.遊んで息抜きがしたい.
「遊ぶ」ことを意識して有意義な時間としておきたい.
「遊ぶ」と意識する
よろめく共同体でチャージする感受性
季節が過ぎていくたびに,感受性が風に吹かれていく気がする.
目の前のことが目の前にあるようにちっとも感じない.どうにか吹かれた感受性を取り戻せないかと考えていた.
そんなこんなで迷惑をかけようかと思い立った.
感受性を再起させるためには,よろめく共同体が必要だ.
しがない防衛本能感情的になるのが難しくなった.
子どもの頃は,かまきりを見ただけでテンションが上がってたし,捕まえようともした.
たたずむ,いわゆる芸術家
芸術家には2つの人種があると考えている.
後発的に芸術家になった無自覚な者と,芸術家という概念を弁えている自覚ある者。
無自覚な芸術家過去の君主制において絵画は宗教的な意味や哲学的な意味や道徳的な意味を無自覚にも帯びていた.それは絵ということが手段であり,その受注に応えているという意識で自らがが芸術家であるという驕りは希薄なものだったろう.
まず第一に生活があったし,その中で生きていくための
無意識メディアな余白
芸術とは無意識の接点
芸術作品とよばれるものは意識をまたぐ無意識への接続部分のことだとぼくは考えている.
芸術作品と呼ばれるものをつくってはみるけれどもそれが芸術だとは考えたことはない.作品がだれかの無意識との接点になりえたとしてもだれかの一部の無意識を圧縮して表徴させただけであってぼくはどう抗おうと主体にはなれない.
でも作らないといけない.作らないと肺は空気をうまく供給してくれない.
カフェラテに溶けていく甘味造形
カフェラテに砂糖が溶けていくのを眺めるのが好きだ.
今日は日常を論うように感覚的になってみる.
ぼくはリッチじゃないのでマクドナルドの150円のカフェラテで楽しんでいる.
お値段から100円のブレンドコーヒーを選びたいものだが,ブレンドコーヒーに溶けていく砂糖の様は素っ気ないので,ぼくはカフェラテをレジで注文する.別にカフェラテが特別に飲みたいわけでもないし,半端なミルク感で気分を悪くすること