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のうのうと_おもふことの思想群

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ただおもふ.何処かに繋がるわけでもなく,明確な意識があるわけでもない.ただ脳がそう言っていることを掻き集めた何処にもいけないただの思想群.
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2020年2月の記事一覧

1ヶ月,noteを書き連ねて

1ヶ月,noteを書き連ねて

毎日noteを1月末から毎日書いてきた.

毎日800文字から1200文字程度.長い時は1500文字や2000文字以上.別に文字数は目標にしていないから,ムラはあったりする.毎日noteを通して原稿用紙2枚分くらい書かないと意識の向こう側に行くことはできないんだなと実感した.

正直なとこ,600文字程度のときもあったけれど,なるべく800文字は目処にしてきたつもりだ.

主義主張を唱えるだけだと

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GUIでなければ遊ぶことを意識できないか

GUIでなければ遊ぶことを意識できないか

大学の後輩が楽しげにキャラクターのぬいぐるみを抱えている.ゲームセンターで獲れたみたいで,それをみせてくれたのをよく覚えている.

ゲームセンターは人間が人間を楽しませるために作ったもの.

ぼくらは人の意図の中でしか「遊ぶ」ことを意識できないのだろうか.

「遊ぶ」を意識する休日は休日らしく遊びたい.遊んで息抜きがしたい.

「遊ぶ」ことを意識して有意義な時間としておきたい.
「遊ぶ」と意識する

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よろめく共同体でチャージする感受性

よろめく共同体でチャージする感受性

季節が過ぎていくたびに,感受性が風に吹かれていく気がする.

目の前のことが目の前にあるようにちっとも感じない.どうにか吹かれた感受性を取り戻せないかと考えていた.

そんなこんなで迷惑をかけようかと思い立った.

感受性を再起させるためには,よろめく共同体が必要だ.

しがない防衛本能感情的になるのが難しくなった.
子どもの頃は,かまきりを見ただけでテンションが上がってたし,捕まえようともした.

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海にいこうか

海にいこうか

海がときどきみたくなる.

ぼくが人間だからだろうか,ぼくが生き物だからだろうか.
滋賀県にいたこともあって海みたいに広い湖は近くにあったことがある.

けれども,海がみたい.湖を海と思い込めるほど正直じゃない.

海がみたい.

そんなとき,がある.
ありますよね.なんだろう.

水平線がみたいんだろうか,
水面がみたいんだろうか,
潮風に吹かれてたいんだろうか,
波の音がききたいんだろうか,

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ときおりの論理

ときおりの論理

グループディスカッションとかあったりする.居酒屋で数人で呑んだくれたりするのもグループディスカッションといえばそうかな.

そんな中で,ぼくの中で筋道が通ってるつもりが難しい顔をされたり,反対に,だれかの筋道に首をかしげているぼくがいたりする.

お互いに考えている時間軸の幅が違うんだろうなと思った.
目の前にある,ときおりの論理を疑い,考え続ける必要がぼくらにはあるのだと思った.

そんなことを

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沈黙の距離感

沈黙の距離感

多分,友人なのが一人.沈黙が続く.
さて,どれだけ沈黙は続いてくれるだろうか.

有意義な沈黙沈黙を埋める作業はお互いにとって徒労.

大した話しをするわけでもなく,上っ面だけが掬われていく.
でも,沈黙に耐えるよりかは幾分かマシなのか口がお喋りし出す.

微妙な空気感.

ふいにスマホを取り出したりもするけど,目は液晶をなぞりきれない.Twitterを眺めたり,LINEを返したりしていた方が有意

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うすまるリアル

うすまるリアル

分断する人と他人電車内の世界線は分かりやすく分断される.

視覚は液晶にへばりついて離れないし,聴覚はイヤホンがへばりついてる.最近ではノイズキャンセリングが搭載したイヤホンも登場して,ぼくらはもう,存在するだけでノイズ扱いらしい.

かつての鈴虫の鳴き声も,除夜の鐘にも心は傾かなくなったらしい.

考えたいのはオフラインへのリアルな意識をどう持たせるか.

ビッグバンっていう施設ぼくの地元には,

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たたずむ,いわゆる芸術家

たたずむ,いわゆる芸術家

芸術家には2つの人種があると考えている.

後発的に芸術家になった無自覚な者と,芸術家という概念を弁えている自覚ある者。

無自覚な芸術家過去の君主制において絵画は宗教的な意味や哲学的な意味や道徳的な意味を無自覚にも帯びていた.それは絵ということが手段であり,その受注に応えているという意識で自らがが芸術家であるという驕りは希薄なものだったろう.

まず第一に生活があったし,その中で生きていくための

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交じる尊敬と尊重

交じる尊敬と尊重

尊敬にのまれる尊重ぼくは生物に高等も下等もないというダーウィンさんのお言葉が気に入り.

そんな中でどんな人にも尊重の念は絶やしてはならないと思う.だけれども尊敬と尊重が交じり合って,尊敬できなければ尊重できないほどに,ぼくの思い上がった自尊心はすくすくと成長している.

交じり合った副作用前まで面識のない人たちに対して,ごくごく当たり前に,むやみにタメ口をきいたりはしなかったし,傾聴は当たり前だ

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だれもいない赤信号

だれもいない赤信号

閑散とした住宅街.静寂に包まれる深夜ともいいがたくなった深夜.
ぼくは充電が8%しかない死にかけなiPhoneを拵えてお散歩をしていた.

シンプルにお散歩.ずっと家にいたから空気を浴びに行っただけ.

でも,2月なだけあって寒い.
なるべく無駄な動きをして代謝を高めて体を温めようとしていたら赤信号にひっかかった.ぼくは待つ.

今日はその待ち時間でふと思ったことを書こう.

赤信号をなぜ渡っては

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テレビとラヂオと

テレビとラヂオと

コミュニケーションのとき,ぼくらは言葉を使う.

各メディアをわざと通して感覚を絞ることもアリだなと思った.
電子機器によって繋がる各メディアは空間共有の下位互換と思われがちだけど,そうではない.時間や場所を制約しないということを差し置いても活用方法があるなと思った.

各メディアの性格を理解して利用していくべきだと思った.

[空間共有]
視覚 + 聴覚 + 触覚,(味覚,嗅覚)

[ビデオ通話

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ジブリの瞳

ジブリの瞳

ジブリの登場人物はまっすぐな瞳をしている. 
瞳から意志の強さを感じる.それは"生"が当たり前ではないことを知っているから,瞳に灯火が宿っている.

ぼくの瞳は灰色に霞んでいる.
そうか,ぼくらは生きることに感覚を失くしてしまったからかと,思った.

昨今の日本では相対的貧困に陥っている層がある.

そんな層の大概は"生"への疑問符をとうに失くしている.

将来の夢小学生に将来になにになりたいって

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無意識メディアな余白

無意識メディアな余白

芸術とは無意識の接点

芸術作品とよばれるものは意識をまたぐ無意識への接続部分のことだとぼくは考えている.

芸術作品と呼ばれるものをつくってはみるけれどもそれが芸術だとは考えたことはない.作品がだれかの無意識との接点になりえたとしてもだれかの一部の無意識を圧縮して表徴させただけであってぼくはどう抗おうと主体にはなれない.

でも作らないといけない.作らないと肺は空気をうまく供給してくれない.

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カフェラテに溶けていく甘味造形

カフェラテに溶けていく甘味造形

カフェラテに砂糖が溶けていくのを眺めるのが好きだ.
今日は日常を論うように感覚的になってみる.

ぼくはリッチじゃないのでマクドナルドの150円のカフェラテで楽しんでいる.

お値段から100円のブレンドコーヒーを選びたいものだが,ブレンドコーヒーに溶けていく砂糖の様は素っ気ないので,ぼくはカフェラテをレジで注文する.別にカフェラテが特別に飲みたいわけでもないし,半端なミルク感で気分を悪くすること

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