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うすまるリアル

分断する人と他人

電車内の世界線は分かりやすく分断される.

視覚は液晶にへばりついて離れないし,聴覚はイヤホンがへばりついてる.最近ではノイズキャンセリングが搭載したイヤホンも登場して,ぼくらはもう,存在するだけでノイズ扱いらしい.

かつての鈴虫の鳴き声も,除夜の鐘にも心は傾かなくなったらしい.

考えたいのはオフラインへのリアルな意識をどう持たせるか.

ビッグバンっていう施設

ぼくの地元には,屋内遊び場 大阪府立大型児童館ビッグバンという施設がある.着陸した宇宙船をイメージしたデザイン設計になっていて、入場は大人1000円,幼児600円してぼちぼちなお値段だけど,子ども連れでよく地元の方が遊びにくる.なにより驚いたのが親と子がコミュニケーションをしっかりとっていて,スマホをいじっている人が少ないということだ.

冒頭の言い方でいうと世界線が分断されず繋ぎとめられていた.

童心に返ろうということで大学生にもなった友人と2人で小学生や幼児を対象とした遊具が多いと知っていながらも足を運んだ.

ぼくは結婚もしていなければ,親でもないので子どもを連れていく動機はよく分からなかいけど感動した.


なだらかな空間

着陸した宇宙船のようなイメージで,世界観ももちろんつくっているけど,休憩スペースはありがちな規格品の椅子や机が並べられていて,打って変わって気構える必要のない,リラックスできる空間が並べられていた.

そこで,お母様方は談笑なさっていて,子どもは勝手に遊んでいたり,あるいは牛乳パックやペットボトルが並べられた工作スペースでは親子が一緒になって作っていたりとなんだかいい空間だった.

近くの公園のような人目をはばかった,こじんまりとした雰囲気はなくて安心して子どもを遊ばせたり,子どもと遊んでたりしてのびのびとした良い施設なだなと思った.

有料コンテンツだからだろうか.

そうであればお金が単に消費されているのではなく,空間の意義や価値をお互いに理解するためにお金が利用されている.心地のいいお金の流れだと思った.


変わりゆく電車の風景

ぼくは小中高とスマホは持っていなかったから,電車内では人間観察くらいがたしなみだった.

歳を重ねるにつれて世界線が分断されていくさまを見て,技術的にはたしかに都合はいいけど,目の前の現実感が薄まっていく様子をみていて,幸せとして最後はおさまっていくのだろうかと電車内の変わりゆく風景をみていて思っていた.

だけれども,ただ暇を持て余して,立ち寄った児童館でそれからひとりで安心した.


文言/うめの瑳刀
写真/Jr


のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.