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交じる尊敬と尊重

尊敬にのまれる尊重

ぼくは生物に高等も下等もないというダーウィンさんのお言葉が気に入り.

そんな中でどんな人にも尊重の念は絶やしてはならないと思う.だけれども尊敬と尊重が交じり合って,尊敬できなければ尊重できないほどに,ぼくの思い上がった自尊心はすくすくと成長している.

交じり合った副作用

前まで面識のない人たちに対して,ごくごく当たり前に,むやみにタメ口をきいたりはしなかったし,傾聴は当たり前だし,真摯に向き合っていたつもりだった.

でも,最近になってよくない兆候がある.

小難しい話なら太刀打ちできないけど,ある程度の世間話は話しの導入部分でおおよ掴めるようになってきた.そのときに,ぼくの症状は顕著に出る.その人方に尊敬の念が欠ければ尊重の念も欠けるようになってきたのだ.話が右から左に流れるようになってきた.情報化社会だろうか,20代の若気の至りだろうか.効率化だろうか.

よくない,よくない.何かのせいにするのはよくない.
興味と肉体は乖離させてうなづかなければ.首を縦に振っていかないと.

自分が話すときもそうだ,尊重できていない話ぶりをしていると思う.
尊重ができていないと,信頼関係は生まれない.

人として自立できない.

課題の分離は信頼か,期待か

課題の分離とはアルフレッド・アドラーさんの概念で馬を水辺に連れて行ったところで水を飲むかどうかは馬の問題であって課題の分離が必要であるということ.

ぼくの考えはあまりに独善的な考え方で凝り固まった考え方なくせに,訳のわからない驕りすらある,たちの悪い人間だ.

そんなことを自覚しているから分かり合えない人に対して,課題の分離を行うのは自分よがりで失礼かと今まで思っていた.なので,分かってくれるまで説明を丁寧にしたりしてたけど,これはその人と信頼関係を築きたいという意思表明ではなく自分よがりな期待だなと思った.どちらがお話が上手かとか,論理的かなんてことではない.

話が合っていて分かり合えないのなら決別すればいいと思うけど,ひとまず話が合わないのは事実なのだから,どう尊重すればよいかが問題だなと思った.そこで尊重できないぼくは,どこか他力本願で期待しているのだと思い恥じた.

尊重とは信頼だ

課題の分離から考えて"期待”と"信頼”を履き違えているのなと思った.

信頼は対等であろうとするけど,期待は圧力が多少なりともあって人任せな節がある.願望が強く吹いている.尊重はつまり信頼だと思う.

信頼は相手を重んじることで生まれるものだから,尊重は人として向き合うための最低限であって尊敬と尊重は重ねてはいけないと悔い改めなければならないなと思った.


文言/うめの瑳刀
写真/Jr


のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.