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だれもいない赤信号

閑散とした住宅街.静寂に包まれる深夜ともいいがたくなった深夜.
ぼくは充電が8%しかない死にかけなiPhoneを拵えてお散歩をしていた.

シンプルにお散歩.ずっと家にいたから空気を浴びに行っただけ.

でも,2月なだけあって寒い.
なるべく無駄な動きをして代謝を高めて体を温めようとしていたら赤信号にひっかかった.ぼくは待つ.

今日はその待ち時間でふと思ったことを書こう.

赤信号をなぜ渡ってはいけないか

赤信号をなぜ渡ってはいけないか.
モラルだからというつまらない理由は吐かない.馬鹿になって考えてみる.

それは安心と安全のためだ.

では,なぜだれもいない交差点で赤信号は無視できないのだろう.
安心安全はこの静寂で保証されている.

車が赤信号で渡ってはいけないのは道路交通法も含めて,動くだけで殺傷能力があるからということで納得ができる.ただ,歩行者のぼくに至っては動くことでむしろ危険になるという始末だ.


赤信号をまもる意味

赤信号をまもる意味,それは姿勢だ.

その意味は個人の中で完結してはならない.まもる意味があるなと思うのは全体として考えたときだ.

[小学生とか幼稚園児]

赤信号を渡ったとして,その姿勢を小学生がもし見ていたら.
それは良くない.大人としてそんなところは見せてはいけないとか,くだらない世間体のことじゃなくて,もし,ぼくの姿勢をみて,小学生も赤信号に対して緊張感を持たなくなって,安心安全の確認不足が小学生には起こる可能性があるからだ.そうすれば,ビュンビュンと自転車で飛び出てくる町になりかねない.年齢バイアスをかけるのはよくないけど,一元的にみないと論理が組めないのでご愛嬌.だから,赤信号をまもる意味があると思う.


[秩序意識の向上]

渋谷の交差点は安心安全を信号のみでしか確認できないから該当はしないけど,町中に,大股で3歩で通れるじゃねっていう短い横断歩道がある.それをまもる意味を考えたい.

それは秩序だと思う.モラルではない.秩序だと思う.モラルではない.
秩序という規律の良さが町の良さに影響する.町にゴミが落ちていないか,公衆トイレは綺麗か,赤信号をまもる意味は町の随所に影響してくると思う.
みんながまもっているから守るではなく,それぞれが安心安全を確認でているにも関わらず,時間を賭して,秩序のある町であることを行動を持って証明する時間であると思う.だから,赤信号をまもる意味があると思う.


目の前の赤信号

閑散とした住宅街.静寂に包まれる深夜ともいいがたくなった深夜.
だれもいない.今こそ赤信号を個人の問題として捉えることができる.

iPhoneの充電はもう5%しかない.不安になる.寒さをいっそうに感じる.

目睫に赤信号.まもる意味はあるのだろうかと問いかける.


文言/うめの瑳刀
写真/Jr




のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.